今、思い出しても顔が赤くなる。
―――私ったら、何てことを言っちゃったのかしら…。
もう、湯船に浸かってからどれくらい経ったのか?すっかりふやけて、指の内側なんてシワシワになってしまうほどだから相当だと思う。
それでも、自分が言った言葉が恥ずかしくて、麻衣はなかなかそこから出ることができなかった。
「麻衣?あんまり長いから、どうかしたのか?」
『えっ…ふっ、文章さん』
心配した文章が様子を見に来たのか、ガラス戸を隔てたすぐ側から声が聞こえてくる。
麻衣は慌てて上半身をバスタブから浮上させると、勢いで波打ったお湯がザーッと溢れた。
「麻衣」
「あっ」と麻衣が小さく声を上げた時には、ドアが開いて覗き込んだ文章とバッチリ目が合った。
人間、咄嗟の出来事には何もできないものなんだなと改めて認識し直したりして…。
「ごっ、ごめん。あんまり長いから、何かあったんじゃないかと思って」
文章が言葉を発したことで我に返った麻衣は、「きゃ〜〜〜〜〜〜っ」と叫んだと思ったら、お湯をバシャバシャ両手で掬い上げ、彼目掛けて投げ掛ける。
その勢いったら相当なもので、咄嗟には何もできない反面、こういう予期せぬ行動を取る力も兼ね備えているのだということ。
「わぁっ、やめろっ麻衣」
何かあったのではと、よく確かめずにドアを開けた行為は軽率だったかもしれないが、服を着たままの文章にお湯攻撃はきつい。
反射的にドアを閉めたものの、ほんの数秒の遅れで顔がびっしょり濡れた。
…でも、綺麗だったな。
そんな代償ならいくらでも、そう思えてしまうくらい彼女は美しかった。
思春期に週刊誌に載っていたグラビア写真を見て、男に目覚めた時以来の衝撃だったかもしれない。
しかし―――
彼女は、出てこられるだろうか…。
やっとの思いで『泊まって行って、くれませんか?』と口にしたことを考えれば、これで益々出にくくなってしまうかもしれない。
「麻衣、ごめんな。覗くつもりじゃなかったんだけど…そんなに入ってると、のぼせるから」
今度こそ出るに出られず、再び湯船に首まで浸かっていた麻衣だったが、怒っているわけではない。
ただ、恥ずかしかっただけ。
「今夜は帰るよ」
本当は帰りたくなどなかったが、急ぐ必要もないし、これからまだまだ時間はいくらでもある。
ここまで来るのだって、そう簡単な道のりではなかったのだから、麻衣の気持ちにもう少し余裕ができるまで待つことは惜しまない。
「待って、待って下さい」
『帰る』と言われて、麻衣はバスタブから出るなり自らドアを開けた。
今どういう姿なのかなどすっかり忘れたというか、それどころではなかったと言った方がいいのかもしれない。
雫をポタポタと床に垂らしながら文章の腕を掴んだが、長湯のせいか一瞬クラっとなって彼の胸に倒れ込んでしまう。
今度は顔だけでなく、着ていた服までびしょ濡れになったが、そんなことは構わない。
「大丈夫かい?ほら、ちゃんと拭かないと風邪ひくよ」
「帰らないで」
艶やかな肌、上気して頬を赤く染めた麻衣からはシャボンのいい香りがする。
「これじゃあ、帰れないよ」
―――あ…。
思ったがもう遅い、みるみるうちに文章の着ていたシャツに染みを作っていく。
それに抱きついている麻衣は素っ裸、文章の方が帰ってくれと言われても、もう帰れそうにないだろう。
「ほら、本当に風邪をひくよ」とタオルで彼女を包み込んで、しっかりと抱きしめた。
熱が全身を通して伝わってくる。
「麻衣、無理しなくてもいいんだよ。僕は―――」
カッコつけてるとわかってる、本心は今すぐにでも彼女を組み敷いて抱きたいと思っているのに口ではきれいごとを言って…。
でも、こうでもしなければ、きっと壊してしまう。
そう、思ったから。
「私は…文章さんが好きです、だから…」
「ありがとう、麻衣」
文章は優しく微笑んでそっとくちづけると麻衣をその場で抱き上げ、ベッドのある部屋に移動してゆっくりとシーツに沈めた。
正直、このまま本能に任せてしまってもいいものか、迷わないわけじゃない。
ただ、彼女の気持ちを大切にしたかった。
そして、自分を好きだと言ってくれた言葉を信じたかった。
「冷たくて気持ちいい」
「ん?」
こんな時にと麻衣は思ったが、普段から“カラスの行水”と言われるほど、お風呂に入っている時間が短いというのにかなり頑張り過ぎたから、シーツの冷たさはとても気持ちよかったのだ。
「お風呂に長く入り過ぎてしまったので、少しのぼせたみたい」
「いつもあんなに長いの?」
「えっ…いえ、いつも短いです」
ここでそんなことないと言ったところで近い将来、結婚したら全部バレてしまうわけだし…。
出られなかったと言うのも、自分からあんな大胆なことを口にしておいてどうかなと…。
そこは大人な文章のこと、麻衣の思っていることは表情からすぐに読み取れた。
「じゃあ、僕がドアを開けなかったら、あのまま入ってた?」
「それは…」
―――裸、見られちゃったんだ。
今更、思い出しても遅いけれど…。
どうせ見られるってわかってても、スタイルには全然自信がないだけにやっぱり恥ずかしい。
「綺麗だったよ、とっても」
「え?」
「僕だけが麻衣の裸を見てもいいんだなって思ったら―――」
「やっ、文章さんのえっち」
麻衣は上に覆いかぶさるようにしていた文章の胸を軽く押しのける。
そんなことを言うような男と思われていなかったのだろうか?
どんなに装っていても所詮男というものは、こういうものだということ。
女性の裸に興味がないわけじゃないし、むしろその反対というか、彼女に関しては別だろう。
「さっき、好きって言ってくれたけど、今ので取り消されちゃうのかな?」
―――そんな…。
取り消すようなことなんて、絶対にない。
顔を左右に振る麻衣に内心ホッとしていた文章だったが、そろそろ彼女を前にして我慢も限界に達してきていたようだ。
「なら、もう一回好きって言って?」
「文章さんが好きです」
「僕も麻衣が好きだよ」
それが二人の夜の始まりの合図かのように、文章は想いを込めてくちづけた。
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