病院でお医者さんに、『もう、来なくてもいいよ』と笑顔で言われた。
本当ならすごく嬉しいはずなのに、なぜか今は喜べない。
だって、今日で先生の送り迎えが終わってしまうから。
でも、先生にとっては違うよね。
あたしのお守りもしなくていいし、一足先に活動を開始したサッカー部の練習にも参加できるんだもの…。
先生は病院のある日は必ず一緒に付き添ってくれて、それからあたしの家まで送ってくれる。
「先生、もう病院には来なくてもいいそうです」
あたしは努めて明るい表情で言ったつもりだったけど、うまく言えただろうか?
「そっか」
そして、先生は短く答えただけ。
なんとなく気まずくて、お互い無言のままで家まで向かう。
先生も少しは寂しいって、思ってくれてるのかな?
そんなわけ…ないけどね。
家に着くとあたしは、真っ先にお母さんのところに行った。
「お母さん。さっき病院でもう来なくてもいいよって、お医者さんに言われたから。だから、先生と夕ご飯食べるのも今日が最後になっちゃうね」
「あら、そうなの?じゃあ、ご馳走作らないといけないわね」
そう言って、お母さんは慌てて今晩のメニューを変更することにした。
あたしも手伝うねって言うと『先生を1人にしたら寂しいでしょっ』て、少し意味深に笑う。
お母さんは、あたしの気持ち知ってるのかもしれないな。
「わかった。じゃあ、できたら言って」
あたしは先生の好きなコーヒーを入れて、お母さんが用意しておいてくれたケーキを持って先生のいるリビングに行く。
「先生、今日はご馳走ですよ。楽しみにしてて、くださいね」
「そんな気を使わなくても。なんか、申し訳ないなぁ」
先生は、いつも遠慮ばかりしてる。
でも、これも今日が最後か…。
いつも食事ができるまでの間は、学校での話とかたまに数学でわからないところを先生に教えてもらったりもする。
おかげで、すごく助かっちゃってたんだけどね。
お父さんも早く帰って来るって電話もあったし、バイトがなかったからと兄貴も早く帰って来た。
先生と最後の食事は、賑やかなものになってよかった。
お母さんも突然のわりに張り切って、すごいご馳走だったしね。
そして、先生が帰る時間。
あたしは、いつも先生の車の前まで送って行く。
「先生、長い間ありがとうございました」
あたしが頭を下げると先生は、照れたように頭の後ろに手を当てた。
「こちらこそ。食事までご馳走になって、なんだかかえって迷惑かけた感じだけど。でも、千春ちゃんよかったね。怪我が治って」
「はい。あの…先生」
「うん?」
「あたし、神田くんに言いました。好きだけど、それは恋じゃないって」
先生はあたしの言葉を聞いて、何も言わずにただ黙って頷いただけだった。
「先生」
「うん、なんだい?」
「あの…」
「千春ちゃん?」
言葉に詰まってそれから先が出てこないあたしを先生は、不安げな表情で見つめている。
――― 先生…あたし…言ってもいいの?
「それと…先生…あたし、ずっと怪我が治らなければいいって…思ってました。そしたら先生、あたしのことずっと送り迎えしてくれるのにって…。こんなこと先生にとっては迷惑だって、わかってるんですけど…でも…」
「千春ちゃん」
「先生、変なこと言ってごめんなさい。明日から、サッカー部に出られますね。頑張って下さい」
今が夜で、よかった。
だって、あたしすごい顔してるはずだから。
笑顔で先生を見送るはずだったのに…。
「先生、早く帰ってください。でないと、あたし家に入れません」
「あっ、ごめん」
それでも、なかなか車に乗ろうとしない先生にあたしは促すようにそう言った。
でも、先生はドアに手を掛けただけ。
「先生?」
「千春ちゃん」
名前を呼ばれたのとほぼ同時にあたしは先生に腕を取られて、すっぽりと先生の胸の中に納まっていた。
先生…。
どうして…先生はこんなこと…。
「ごめん、教師がこんなことして。でも、千春ちゃんは今僕と同じ気持ちなのかなって」
同じ気持ちって?
「僕も不謹慎だけど、千春ちゃんの怪我が治らなければいいって思ってた。そうすれば、ずっと一緒にいられるって」
「先生…それって」
「好きだよ、千春ちゃん」
「え?」
先生?今、なんて言ったの?
あたしは先生にしっかり抱きしめられていて、顔を見ることができない。
「ずっとずっと、好きだったよ。千春ちゃんのこと」
「嘘…」
「嘘じゃないよ。誠一君の家庭教師としてこの家に来て初めて千春ちゃんに会った時から、ずっとこの気持ちは変わらない」
そんなこと…初めて会った時って、あたしが12歳の時よ?
えええ、そんな前から?!
「千春ちゃんは、僕のこと―――」
先生は、そっとあたしから体を離すと射抜くような目であたしを見ている。
「あたしも、先生が好きです」
「本当に?」
「はい」
「あぁ…千春ちゃん」
もう一度先生は、あたしをぎゅぅって抱きしめた。
「千春ちゃん、なんで泣いてるの?」
あたしは、さっきまでずっと我慢していたのに嬉しさのあまり涙が頬を伝っていた。
「だっ…て、嬉し…い…から」
あたしの初恋は、絶対敵わない恋だって思ってたから。
それなのに…。
「千春ちゃん泣かないで、せっかくの可愛い顔が台無しだよ」
先生は、あたしの涙をキスするようにそっと唇で拭ってくれる。
それがなんだか、くすぐったくて…。
「先生、くすぐったい」
「だって、千春ちゃん可愛いから食べちゃいたいよ」
せっ、先生。
食べちゃいたいって…。
やっぱり、先生と一緒にいるとペースを乱されるわ。
「千春ちゃん、好きだよ」
先生は、あたしの頬を挟むように両手を添えて、そっとあたしの唇に自分の唇を合わせた。
何度も何度も啄ばむようなくちづけにあたしもどうしていいかわからなくて、ただ先生のワイシャツの袖をぎゅって掴んでいた。
「本当はもっとこうしていたいけど、あんまり千春ちゃんが戻ってこないとご両親が心配するね」
「先生」
先生は、もう一度触れるだけのキスを唇におとすと車に乗り込んだ。
そして、ドアを閉めた後にウィンドウを開けるとカバンから携帯を取り出す。
「千春ちゃんの携帯番号、教えてくれる?後で、電話するから」
なんだか恥ずかしかったけど、あたしが携帯の番号を教えるとそれを手際よく先生がメモリに登録する。
その指がしなやかで、また見惚れちゃったんだけどね。
「そんな顔されると、連れて帰りたくなっちゃうよ」
「なっ、なに言ってるんですかっ」
もうっ、先生ったら、どうしてそういうこと平気で言うのよ!
なのにまた、しれっと『可愛いな』って。
ほんとまいっちゃうわ。
そして『おやすみ』って、先生は自分のアパートに帰って行った。
あたしは、暫くボーっとその場に突っ立っていると心配した兄貴が家から出て来た。
「千春、なにボーっと突っ立ってるんだ?そんなに先生とのキスが、よかったのか?」
「うわぁっ、なに。見てたの?」
嘘でしょ?
やだっ、兄貴に見られてた?!
「図星か」
「だっ、騙したのね!」
「あの先生も、やっとかよ。まったく、何年待たせてんだかな」
兄貴の言った言葉は小さくてよく聞こえなかったけど、『あいつ、いい奴だから』って。
そう言えば、兄貴先生のことお兄さんみたいに慕ってたもんね。
でも、なんだか不思議な気分。
先生があたしのこと好きって言ってくれて、そしてキスして…。
思い出しただけでも、体の奥がカーッと熱くなった。
NEXT
BACK
INDEX
PERANENT ROOM
TOP
Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.