「ねぇ、葉月。あの斉賀って人、どう思う?」
葉月のところへ朝のコーヒーを持って来た杏子だったが、昨晩のパーティーでの斉賀の言葉が引っ掛かるのだろう。
あの人の言ったことが全て本当なら、ヴェンティセッテにとってはプラスになってもマイナスになる話ではないが…。
「そうね。あれだけの大企業を率いているというのにあの若さでしょ?相当のやり手だとは思うし、なのに人当たりもいい。隙がないっていうのか、完璧過ぎるくらいね。あんな人と一度、仕事をしてみたいとは思うけど…」
「けど?」
恐らく、感じたことは葉月も同じ。
面識もないのに葉月のことを知っていたし、うちのようなまだ知名度も低い企業と独占契約なんて…。
あまりに都合が過ぎるように思うのは、気のせいではないだろう。
「今回に限っては、何かあるんじゃないかなって」
「やっぱり?あたしも、そう思う。いきなりパーティーに招待したと思ったら、会ったこともないのに葉月のことを知っていたり。独占契約なんて、うちのコーヒーが好きってだけでしないんじゃない?」
「それに青もこのことを知ってるはずなのに何も言わないのもおかしいし」
ましてや、パーティーでは知らないフリをして欲しいなんて…。
本来喜ぶべき話なのに、そうしようとしてやったようには到底思えない。
むしろ、その逆なのではないか?
「少なくとも、うちにとって喜ばしいことでないことは確かね」
葉月は黙って頷くと斉賀の今後の出方に注意を払いながら、待つことにする。
ただ、心配なのは青のこと。
葉月と斉賀の間で、板ばさみになっているのでは…。
それだけが、気掛かりだった。
+++
『橘マネージャー。社長が、お呼びです』
秘書の女性からの電話で青は社長室の前に立っていたが、なかなかドアをノックすることができない。
呼ばれた理由が、ヴェンティセッテ買収の件だとわかっているから。
言われた通り、株も少しずつ買い足していたが、これ以上のことは青にも…。
「失礼します。お呼びでしょうか」
立っていてもしょうがない、ドアを数回ノックして中へ入る。
斉賀は待ちくたびれた様子だったが、青が来たことで表情が変わる。
「あぁ、橘君。ヴェンティセッテの中野社長と、近いうちに会食のセッティングを頼むよ」
「え…はづ…中野社長とでしょうか?」
パーティーでのことは葉月からは何も聞いていなかった青には、なぜ斉賀がこのような会食のセッティングを依頼してきたのかわからない。
「Evolution Cityの祝賀会で私から、そう申し出たんだよ」
…そうだったのか。
ちらっと、葉月と斉賀が話をしているところを目撃していたが、その時にこんな話をしていたとは…。
しかし、何を話すつもりなのだろう。
まさか、買収を交渉で勧めようというのではないだろうし…。
「わかりました。先方に確認してみます。場所は、どの辺りがよろしいでしょう」
「そうだな。料亭とか、堅苦しい場所はなしだ。若い女性が好むような店にして欲しい。出店の独占契約の話なんでね」
「出店の独占契約…ですか?」
…そんな話は、聞いていない。
社長はヴェンティセッテが目的だと言っていたはず、独占契約となれば買収の件は白紙に戻したということなのか。
「その前に株の購入は、順調なんだろうな」
「はい。この前お話した通りに買い進めておりますが」
「ならいい。彼女には、うちと独占契約したいと言ってあるんだ。株購入を不審に思われないためにもな」
斉賀は初めから、独占契約などするつもりはなかった。
この話を持ち出して相互関係を密にする、株購入をカモフラージュすることと、相手を安心させることが目的だったのだ。
「そんな…騙すようなことを」
尊敬していた社長が、ここまで卑怯な人間だったことに青は苛立ちを覚えずにはいられない。
何もそこまでしなくても…。
とは言っても、今の青にはヴェンティセッテ買収を阻止する手立てもなく、言われた通りに株を購入し始めているのだから、何も言える立場ではないのかもしれないが…。
「君に言われたくはないが、とにかくさっき言ったことは頼むよ」
斉賀はそれ以上何も言わず、書類に目を通し始めてしまう。
仕方なく「わかりました」と言って部屋を後にした青だったが、どうにも頭が重かった。
◇
「はい、ヴェンティセッテでございます」
『帝国アーバン・ディベロップメントの橘と申しますが、いつもお世話になっております。中野社長をお願いできますでしょうか』
杏子が電話を取ると、なんと相手は葉月の彼氏である青。
今まで会社に掛けてきたことはなかったから驚いたが、どうやら斉賀が動き始めたのだなと杏子は直感した。
「橘さんですか?私、葉月の秘書の大野 杏子です。この間は、祝賀パーティーにご招待いただいて、ありがとうございました」
『こちらこそ、わざわざ来ていただいてありがとうございました。お相手も出来ず、すみませんでしたね。楽しんでいただけました?』
「はい。豪華でびっくりしました」
『いつもより盛大だったんですよ。大規模な開発でしたから』
「そうなんですか。ところで、今日の電話はもしかして、会食の件ですか?」
『近いうちにとうちの社長から言われてまして。そちらの予定を聞こうと思ったんですが』
「葉月なら部屋にいますから、代わりますね」
電話を転送されて、暫くすると葉月の明るい声が受話器の向こうから聞こえてくる。
「もしもし、青?」
『あぁ、なんか会社に掛けるのって変な感じだな』
「そう?だったら、携帯に掛けてくれれば良かったのに」
『これでも、仕事の話だからさ。そういうわけにもいかないと思って』
杏子から、例の会食の件だと聞いていたが、青に詳しい話を聞いてもいいのだろうか?
「会食の件でしょ?ねぇ、どうして教えてくれなかったの?うちと独占契約したいって話」
『俺も知らなかったんだ。後で社長に聞いて、びっくりしたんだよ』
「そうだったの?てっきり、青は知ってるんだと思ってた」
独占契約の話を社長がしたことは知らなかったというのは本当だが、その話が真実でないことはわかっている。
わかっているが…。
『葉月の予定に合わせるから、後で改めて連絡欲しいんだけど』
「わかったわ」
『じゃあ』
「ねぇ」
電話を切ろうとした青を葉月が止める。
『ん?』
「独占契約の話なんだけど、受けなかったとしても青に迷惑が掛かったりしない?」
『それは、大丈夫だよ。葉月が決めることだから』
今の段階では詳細を話すことはできないが、葉月自身でも何か気付いている。
斉賀の一方的な策略にどうか屈しないでくれ、心の中で切に願う青だった。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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