杏子とスケジュール調整をして、葉月は再び青に電話を掛けた。
斉賀との会食は一週間後と決まったが、気が乗らないのはなぜなのか…。
「社長、休憩でもどうですか?」
ちょうどタイミングよくコーヒーを持って来てくれた杏子に「ありがとう。飲みたいなぁって、思ってたところなの」。
そう言って葉月は椅子から立ち上がると、全身をギューっと伸ばしてソファーに腰掛ける。
相変わらず忙しいことに変わりはなかったけれど、恋愛に仕事に今が一番充実している時のように思えてそれがとても心地いい。
「あのね、葉月。ちょっと、気になることがあるんだけど」
「気になること?」
ヴェンティセッテオリジナルのマグカップを2つ、杏子はテーブルの上に置く。
カフェをOPENしてから、カップのほかにもオリジナルグッズを作って店に並べてみたのだが、これがなかなかの評判だった。
特にこのマグカップは、入荷してもすぐに売切れてしまう人気商品。
それより、気になることとは何だろう?
「斉賀社長を含めて、帝国アーバン・ディベロップメントのことをそれとなく調べてみたのよ。まぁ、別にこれといって何かが出てきたわけじゃないんだけどね」
「なら、どこが気になるわけ?」
せっかく入れてくれたコーヒーが冷めてしまうと、葉月はカップを口元まで持ってきて香りを嗅ぐ。
―――あぁ、いい香り。
でも、なんか杏子の言い方が引っ掛かるわねぇ。
「帝国アーバン・ディベロップメントが、うちの株を買ってるの」
「株を?」
大きく頷くと杏子はコーヒーを口にする。
葉月のお眼鏡に叶ったコーヒー豆は、お世辞抜きで本当に美味しいと思う。
これは、イタリアまで出向いた葉月が自分の足で探し、舌で確かめた品で、輸入にこぎつけるまで長い時間を要した誰にも真似できないもの。
「大量買いってところまではいってないから、今の段階ではどうこう言えるものではないとは思う。でも、独占契約の話といい、何か気になるのよね」
「帝国アーバン・ディベロップメントが、うちの株を…」
―――青は、知っているのかしら?
独占契約の件も知らなかったくらいだから、このことも社長の独断でやっていることなのかもしれないし…。
「まさか、乗っ取りじゃないわよね?」
「いくらなんでも、それはないでしょ」
―――杏子ったら、乗っ取りなんて大げさな。
株なんてどこでも持っている話だし、このヴェンティセッテに限ってそんなことはあるはずない。
「わからないわよ?橘さんだって知らないフリしてるけど、本当は葉月に近付いて―――」
つい、言ってしまった杏子は慌てて自分の口を両手で押さえたが、もう遅い。
こんなことは言いたくはないが、今まで何の関係もなかった帝国アーバン・ディベロップメントのパーティーに突然招待されたり、独占契約の件といい、何か話が上手過ぎるような気がするのは杏子だけではないはず。
まして、葉月の彼氏も同じ会社の取締役となれば、偶然の一致とも思えなくなってくる。
「青は、そんな人じゃないわよ。いくら杏子でも言っていいことと、悪いことがあるわ」
―――青に限ってそんなこと、あるわけない。
あたしのことを本気で好きでいてくれてる青が、会社が目的なんてこと…。
絶対にあり得ない。
「あたしも、そう思いたい。だけど、こんな偶然が重なるなんて、おかしくない?」
「それは…」
はっきり断言できないで言葉に詰まってしまうのは、ほんの少しでも疑う気持ちが葉月の中にあったから。
青に出逢ったことと、この件とは別のことだと思いたいし、そう信じてる。
でも…。
「うちみたいのが乗っ取られるとは思わないけど、もしものことを考えて気を付けるにこしたことはないんじゃない?」
青とのことは葉月自身の問題だが、会社まで巻き込むようなことになれば、それこそ大変なことになる。
みんなを、そしてヴェンティセッテを守るためにも、これからの動向に注意していかなければ…。
最も信頼している杏子の言葉を素直に受け入れた葉月は、彼女にコンサルタントを交えてその対策を進めるように指示した。
+++
『橘さんだって知らないフリしてるけど、本当は葉月に近付いて―――』
杏子の言った言葉が、葉月の頭から離れない。
青はあたしよりヴェンティセッテが目当てで、近付いてきたのだろうか?
―――そんなこと、ないわよ。
だって、あたしがあのバーで青と出逢った時にはヴェンティセッテのことは一言も話していなかったし、次に逢う約束だってしていなかった。
なのに、彼はあたしに逢うために一週間あのバーに通い詰めたのは、純粋に想ってくれたからじゃないの?
だったら、パーティーに招待された時に『詳しいことを今は言えないんだ。ただ、俺のことは知らないフリをして欲しい』などと、葉月に言う必要があったのだろうか?
もし、ヴェンティセッテが目的なら、知らないフリをする必要なんてない。
むしろ、その反対では。
独占契約の件も知らなかったのに斉賀社長が青を会食に交えたことだって…。
彼は嘘をつくのがとても下手だということを、葉月も初めて逢った時からわかってる。
今は言えないと言った彼を待つしか…。
「葉月?」
「えっ。あぁ、ごめんね。すぐ食事の支度をするから」
青の前でこんなことを考えてはいけないと思っても、やはり気になって彼にいらぬ心配をさせてしまう。
何かが、葉月の知らないところで動き出そうとしているのかもしれないが、いや、もう動き出しているのかもしれないけれど、彼のことだけは何があっても信じよう。
「どうしたんだ?何かあった?」
「ううん、何でもない。ちょっと、疲れてるのかな」
「だったら、今夜は俺が作るよ。葉月は、休んでて」
純粋に葉月が疲れていると思った青は、立ち上がると「ほらほら、こっち」と言いながら、自分と入れ替わるようにしてソファーに葉月を連れて行く。
「ねぇ、青」
葉月は、背後から両腕を回して抱きしめるとそっと体を預ける。
青の背中は大きくて、温かい。
「ん?」
「あたしのこと、好き?」
「どうしたんだよ」
振り向こうとする青を制止して、そのままで答えを待つ。
なぜか、今は顔を見ながら言われるのが恥ずかしい…。
「ねぇ、好き?」
「あぁ、好きだよ」
「ほんと?」
「ほんとにほんと」
葉月の手の上に青は自分の手を重ねると、ぎゅっと握り締める。
少しゴツゴツしてるけど、彼の想いが全身を伝わってくるよう。
「あたしも、好き」
この時の葉月の不安を感じ取った青は、今度こそ向かい合うと何も言わずにただ抱きしめた。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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