「なんか、このコーヒーを飲むと落ち着くよ」
「そう?そんなふうに言ってもらえると嬉しいかも」
穏やかに微笑む葉月と丸いテーブルを囲むように青はテラス席に座り、どこへともなく流れて行く人や車を眺めていた。
ヴェンティセッテのコーヒーを飲むのは久し振りだったが、どこか懐かしい味がする。
彼女が入れてくれたというのも、多少はあったかも。
こんなにも穏やかな時間を過ごすのはいつ以来なのか?それすらも思い出せないくらい自分は走り続けてきたのだと改めて気付かされる。
「まだ、店に出てたんだ」
「たまにね。やっぱり、現場でお客様と直に接してみないとわからないことも多いし。まぁ、気分転換っていうのもあるかしら。最近、色々あったから」
青には話していいものなのか迷ってこのまま来てしまったけど、これから二人はどうなっていくのだろう…。
会社や社員を守るため、それでも彼とはこの先もずっと一緒にいられると思ってたし信じてたから。
「俺さ、会社を辞めたんだ。正確にはクビになったが、正しいんだけど」
「え?辞めたって、どうして…」
あまりにあっさりという彼の辞めたという言葉に葉月は驚きを隠せない。
―――買収と何か関係があるのかしら?
彼の仕事の話はほとんど聞いたことがなかったし、理由はわからない。
でも・・・。
「ヴェンティセッテにも、迷惑を掛けて申し訳ないと思ってる。俺がこんなことを言うのはなんだけど、内心ホッとしてるんだ。買収されなくて良かったと」
もう一口コーヒーを口に含むと、青は小さく息を吐いた。
何もできなかった自分、この手で愛する人とその大事な会社すら守ることができなかったなんて…。
恋人として隣にいる資格も、今の自分には本当はないのかもしれない…
「青は…」
「あたしやヴェンティセッテのために何も言わなかったのよね?」と言い掛けて、葉月は言葉に詰まってしまう。
言ってしまえば彼を追い込んでしまいそうな、そんな気がしてならなくて…。
「何?葉月」
「ううん、何でもない」
そんな葉月の気持ちが、青には痛いほどわかる。
わかっていながら、どうして彼女に心配ばかり掛けてしまうのか。
今更、カッコつけても始まらないのに…。
「あのバーで偶然、葉月に出逢って恋をした。あんな一瞬で人を好きになるなんて、思いもしなかったよ」
「それは、あたしも同じ。前に杏子が言ってたの、『運命の赤い糸で結ばれてたのかも』って」
真っ直ぐ先を見ていた青の視界の片隅に葉月の視線を感じ、ゆっくりと顔を彼女の方へ向ける。
両手を組んで顎を乗せている姿は、いつになくとても愛らしい。
「運命の赤い糸か」
その言葉は当たっていると青も思う。
まるでその後、起きる出来事を予感していたかのように引き寄せられた二人。
あの時、出逢わなければ今頃はどうしていたのだろう。
「青は信じる?運命の赤い糸って」
「どうかな。そう言う葉月は?」
「あたし?あたしは信じるっていうか、信じたいかな」
―――青と出逢えたこと、運命の赤い糸で結ばれていたんだって信じたい。
「ヴェンティセッテが上場したすぐ後なんだ。社長に呼ばれて買収の話を聞かされたのは。初めは何でって思ったし、どうして葉月のヴェンティセッテなんだって。でも、社長はこうと決めたら聞かない人だし、俺の力ではどうにもならなかった」
パーティーに招待された時、知らないことにして欲しいと言ったのも頷けるし、斉賀社長が独占契約の話を持ち出しても彼はそれを聞いていなかったことも。
「そうだったの」
「俺が悪いんだ。社長の言いなりになって、株を大量に買い占めてさ。もしも、ヴェンティセッテが買収防衛策を取らなかったら」
その時のことを思い出してなのか、複雑な表情の青に…。
―――きっと、彼は苦しんでいたはず。
会社と葉月との間(はざま)で…。
「青は悪くない。本気で買収しようとすれば、いくらでもできたはず。それに青の立場では、あたしに言うわけにもいかないし」
「結果はそうだ。でも…」
「こういうことが絶対ないとは、言い切れないんだもの。いい経験をさせてもらったと思ってる。会社を経営するっていうことが、どんなに大変だってことかもよくわかったから」
たまたま、自分が恋人だったばっかりに彼に辛い思いをさせてしまった。
そして、最終的には仕事までも失って…。
「罰が当たったんだな」
「青…」
「俺には何もない。マンションも売りに出しているし、もう葉月の側にいられるような男じゃないんだ」
―――えっ、青…まさか…。
言ったわよね?ずっと側にいるって…。
「青、あたしに言ったじゃない。『例え、葉月が社長を追われるようなことになっても、ずっと側にいる』って」
「あれは葉月の話であって、俺は―――」
「同じよ。あたしだって、例え青が職を失ってもずっとずっと側にいる」
「葉月」
…こんな、何もない男の側にいるっていうのか?
葉月なら俺なんかよりもっと相応しい男がいるはずだし、これからいくらでも現れるはずだ。
無理に俺を選ぶことなんてないんだよ。
「嫌。青がいなくなるなんて。あたしのこと、嫌いになったの?」
今にも涙が零れ落ちそうな瞳に青は思わず彼女の肩を抱き寄せた。
…嫌いになんて、なるはずがない。
でも、今の自分には何もしてあげることはできないし、返って彼女の邪魔になるだけなのではないか。
「嫌いになんてなるはずない。俺の気持ちは、いつまでも変わらない」
「だったら、あたしを不安にさせるようなこと言わないで」
「ごめん」
葉月を幸せにするどころか、青には不幸にしているように思えてならなかった。
「青、マンションを出るなら家に来ない?」
「えっ、それは…」
「あなたは、あの帝国アーバンディベロップメントの取締役だった人なのよ?こんなことで終わるような人じゃない。今は、次のステップまでの充電期間なの。ゆっくり休んで斉賀社長を見返してやらなきゃ」
いつの間にこんなに弱い男になったのか。
葉月の言う通りなのにそれも考えられなかったくらい、この状況を受け入れられなかったのだろうか。
斉賀社長を恨むつもりはないが、このままでは終われない。
一人の男として。
青は葉月の目をしっかりと見つめ、大きく頷いた。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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