出逢いは突然に
STORY 20


「えっ、橘さん。会社を辞めたの?」

朝一番にコーヒーを入れて今日の予定を告げに来た杏子は、葉月からことの経緯を聞かされて驚きを隠せない。
連絡が取れないと言っていたが、まさかこんなことになっていたとは…。
理由がなんとなく杏子にもわかっただけに心境は複雑だ。

「自ら辞めるように斉賀社長に言われたそうよ。責任を全部、青に擦り付けて許せない」

青にとっては不本意極まりない処分だったろうし、ヴェンティセッテ買収を言い渡された時の心情を思うと本当に辛い。
自慢のコーヒーを口にしながら、葉月は落ち着くと言っていた青の言葉を思い出す。
―――だからこそ、なんとか彼の力になりたい…。
そんな思いで自分の家に来るように言ったけど、それが重荷になったりしないだろうか…。

「はぁ?あの社長、橘さんにそんなことをしたわけ?だったら、あたしだって許せないわよ」

段々、興奮してきた杏子だったが、これは斉賀社長に限ってのことではなく、みんなそうなんじゃないか。
誰だって自分が可愛いし、守りたいと思うのは必ずしも否定できるものでもない。
ただ、トップたるもの、信頼関係なくしてその存在価値が果たしてあるのだろうか?
人材は何物にも代え難い財産のはず、その大切なものを切り捨てて自分だけが何食わぬ顔で居座ろうなど、言語道断。
やっぱり、許してはならないのだ。

「彼も、そう思ってるはずなんだけど。なんだか、すっかり元気をなくしちゃって」
「そういう時こそ、葉月が支えになってあげなきゃ」
「うん…」

わかっていても、実際何をしてあげればいいのかわからない。
他人が口出しするより、今はそっとしてあげる方が青のためなのかもしれない。
最後に決めるのは、彼なんだから…。

「こら。葉月がそんなことじゃ、橘さんもっと元気なくしちゃうわよ?無理に何かしてあげようとか、気を使ったりすることなんてないの。いつも通りの葉月を彼は望んでいるだろうし、待ってるはずよ」

―――そうね。ウジウジ考えたってあたしが青の代わりになってあげることはできないんだし、今まで通り接することが彼にとって一番いいことなんだわ。

+++

膳は急げ?!青は葉月の言葉に甘えて、彼女の家に同居というか居候させてもらうことになった。
蓄えはある程度あったが、一人も二人も同じだからと葉月は受け取ってくれようとしない。
余計なことを考えずに休んで欲しいという心遣いが、今の青にはありがたかった。

「ごめんね。社長なんてやってるわりに家が狭くって」

葉月の家もマンションだったが、青の住んでいたところに比べればずっと質素だと言っていい。
会社の経営のことが気になって、あまり贅沢にできなかったという方が正しいだろうか?
軌道に乗った今なら城を構えてもいいと思う、でも女性が一人で家を手に入れるのはどうなのか…。
どこかで最後は男性に頼りたいという気持ちがあったのかなと、葉月は思う。

「いや、一人なら十分なのに俺が来たばっかりに狭く感じるんじゃないかな」
「ううん。でも、いつも青と一緒にいられるんだって思ったら嬉しい」

随分処分してきたはずなのに、それでも山積みされたダンボールの中から荷物を出している青の背中に葉月は体を預ける。
彼には悪いけど、こうなったことで一緒にいる時間が増えるのは正直嬉しい。

「葉月」

青は葉月の手を取って、その存在を確かめるように握り締める。
仕事を失っても、そんなものよりもっともっと大切な人はすぐ側にいるのだということを噛み締めるように。

「あのさ、お願いがあるんだけど」
「お願い?」

振り返って真顔で言う青のお願いとは、一体何だろう?

「俺をヴェンティセッテカフェで、バイトとして雇って欲しいんだ」
「青を?バイト?!」

―――青が、バイトって…。
突然、カフェでバイトとはどういうことなの?
どうしてバイトをしたいのか、その理由は葉月にはわからない。
でも、青が店に出たら女性客がたくさん来そうかも、なんて思ったりして。

「ダメかな、こんなオジサンじゃ」
「ううん、そんなことないけど。でも、どうして?」
「葉月を見ていて思ったんだ。トップが、胡坐をかいていてはいけないって。俺にとっての初めの一歩には、相応しい仕事だと思うから」

自分がこれからどうなっていくのか、どうしたいのか。
まだ、何も形になって浮かんではこないけれど、一つだけやっておかなければいけないと思ったのが、ヴェンティセッテで働くこと。
葉月がどうやって、ここまでやってきたのかをこの目で見ておきたかった。

「青がそう思うなら、喜んで。シフトとかあると思うから、空いているところに入れてもらうっていうのでいい?」
「あぁ、どこでも構わないよ」

そういう青に葉月は顎に指をあてて、考え込むポーズを取る。
若い女性客が多い店舗に青を入れたら間違いなく売り上げは上がるはず、経営者としてはありがたいことではあったが、彼女として考えるとちょっと複雑だ。

「だけど、あんまり素敵な笑顔を振り撒かないでね」
「ん?葉月、それって」

…それって、ちょっとは俺が気になるってこと?
接客の仕事となれば、それなりに笑顔は必要になってくる。
無愛想というわけにもいかないし…。

「だって、嫌なんだもの。あたし以外の女の人に青の素敵な笑顔を見られるなんて」

―――その笑顔は、あたしだけに向けて欲しい。
我侭だってわかってるんだけど、嫌なの。

「っ…やぁっ…」

いきなり葉月はその場に押し倒されて、もうほんのちょっとでくっ付きそうな距離に青の顔がある。
ものすごくドキドキして、心臓が飛び出してしまいそう。

「そういう可愛いこと、言わないでくれる?」
「えっ、だってぇ…」

言葉を唇で塞がれ、息もできないほど熱く激しい想いが体中を流れた。
少しずつでも動き出そうとしている彼を応援したい。

頑張って。

そう心の中で囁くと、甘い時間の中へと堕ちていった。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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