出逢いは突然に
STORY 2


午後2時、杏子との遅いランチ。
会議が長引いて、すっかりこんな時間になってしまっていた。
こんなことは日常茶飯事だけど、つくづく経営者は楽じゃないなと思う。
そこへ無理に誘ってしまったことを後悔しつつ、彼女なしではこの会社が成り立たないことを葉月は心の中で感謝する。

「で、どんな男なの?」

仕事のことで頭が一杯だった葉月は、杏子のこのひと言で我に返る。

「杏子、デザートは?あたしはね、えっと―――」
「誤魔化さないで」

杏子が怖い顔をして、こっちを見ている。
どうやっても聞き出さないと、気が済まないらしい。

「何を?」
「もうっ、隠してないで言いなさいって。でなきゃ、秘書なんて辞めちゃうから」
「えっ、それは困る。今、杏子に辞められたら、あたしはどうなるのよ。それに会社だって」
「知らないわよ、そんなこと」

冷たくあしらうように言う杏子は、慌てる葉月に笑いを堪えるのが必死。
葉月の力になりたい、ただそれだけの思いでこの会社を手伝うことにしたのだから、そんな簡単に辞めたりするつもりななかった。
でも、こういう反応が返ってくるのをわかっていて、つい意地悪を言ってしまうのだ。

「杏子ぉ…」
「だったら、あたしの質問に答えなさい」

観念したように葉月は昨晩のことを話し始めたが、杏子が想像するほどたいしたことでもないわけで…。

「昨日は飲みたくなって、行きつけのバーに行ったの」

飲みたくなった理由を杏子に言うと心配するから、ここでは触れないことにする。
まぁ、若い女が会社のトップになるということは、それだけ敵が多いということ。

「それで?」

食い入るように見つめる杏子。
この手の話が大好きな彼女には、先が聞きたくてたまらない。

「ちょっと乱暴な飲み方してて、そんな時にあたしの前にグラスを置かれてね」
「グラス?」
「うん。『あちらの方からです』って、バーテンさんに言われた方を見た瞬間に男性が隣に座ってて」
「うわぁっ、それってナンパ?」

葉月も初めはそう思ったくらいだから、話を聞いただけの杏子も同じように思うのは当然だろう。

「あたしも、そう思ったのよ。だけど、彼が頼んでくれたのはノンアルコールカクテルで、単に飲み過ぎだって心配しててくれたみたい」
「そんなこと言って、葉月をたぶらかそうっていうんじゃ」

酔った女性に声を掛けて誘うというやり方に、杏子はまさか―――。
不安が過る。

「大丈夫、それだけだったし」
「えっ、それだけって…」
「酔いを醒まして、家に帰ったから。彼のおかげで、悪酔いせずに済んだわ」

てっきり、その後があるとばかり思っていた杏子は少々拍子抜け。
変なことにならなくて良かったとは思うが、たったそれだけで葉月の心を捕まえてしまうなんて…。
余程、その男性はいい男だったということなのか?

「そう。でも、いい男だったんだぁ」
「そうね。いい男だった」

こんなふうに素直に言えるとは、自分でも不思議なくらい。
容姿もそうだけど、大人な彼はとても素敵に見えたから。

「その人の名前とか連絡先とか、聞かなかったわけ?」
「青って、名前だけね」
「また、そのバーに行ったら逢えるかも」
「だと、いいんだけど」

もう一度、彼に逢いたい。
逢ったからといってどうなるわけでもないが、もう一度だけ顔を見たい。

+++

あの日から、毎晩同じ時間になるとバーを訪れる青。
たまたま、入ったこの店で彼女に出逢い…。
自分でも不思議だったが、足が勝手に向いてしまうのだ。

『葉月』

恥ずかしい話、ここに来れば彼女にまた逢えるかも、いやもう一度逢いたいというそれだけで通い続けている。
こんなことを友人が知ったら、何を言われるか…。

「彼女、現れませんね。週に一度か二度は必ず、来られていたんですが」

あれからちょうど一週間になるが、彼女は一度もこの店に現れていない。
この店一番のイケメンバーテンダーも、これだけ毎日通えば青が彼女目当てにここへ来ていることをわかっているのだろう。

「色々、忙しいんだろう」

口ではそう言ってみるも、今この時間も男と逢っているのかもしれないし…。
そうでないことを祈りつつ、待っていたのだが…

「今夜は、そろそろ退散するよ。明日から暫く、海外出張でね」

青は、グラスに残っていたウィスキーを一気に飲み干した。
いつもならもう少し飲んでいる時間だったが、明日からは仕事でニューヨークに行かなければならない。
2週間の予定だったから、当分ここへは来られない。
彼女の顔を見て行きたかったが、それも叶わなかった。

名残惜しいと思いつつ、青が席を立とうとしたその時―――

「あっ、待って下さい」

そう言って、席を立とうとした青をバーテンが止めた。
急いで振り返ると、そこにはずっと逢いたかった彼女が…。

「葉月」
「青」

絡み合う視線…。
まるで、金縛りにあったように二人は見つめ合ったまま、動くことができない。

どれくらい、そうしていたのだろう…。

―――良かった、また逢えた。
葉月が思ったのもつかの間、青の様子からして、もしかして帰るところ?

「えっ、もしかして青…帰るところだった?」
「そうしようと思ったが、もう少し飲んで行くよ。せっかく、葉月に逢えたんだからな」

その言葉にホッとした葉月は、彼の隣の席に腰を下ろす。
また逢えた喜びが、二人の表情を明るく変える。

「ところで、何にする?」
「えっと」
「マティーニは、ダメだぞ」

アルコール度数の強いマティーニは、前回散々飲んで彼に止められたもの。
今夜はそこまで飲むつもりはないのにと葉月は思ったが、彼の言うことを素直に聞くことにする。

「わかってる。じゃあ、キールにする。これなら、いいでしょ?」

青は微笑むと、「彼女にはキール、俺は同じ物を」とバーテンに頼む。

「ずっと忙しくて、やっと来れたの。でも、逢えて良かった」

この言葉に彼女も自分に逢いたいと思ってくれていたのだと…。
それだけで、青は言いようのない嬉しさに包まれる。

「俺も逢いたかった。一週間、通い詰めた甲斐があるな」
「え?」

――― 一週間?
嘘…あたしに逢うために、青は一週間もここに通ったの?

「あっ、いや…」

言ってしまってから、慌てても遅い。
青は慌てて繕ったが、その様子があまりにおかしかったのか葉月はクスクスと笑い出す。

「青、顔真っ赤」
「あぁ、もう見るな」

プィッと背を向けてしまった青を『可愛い』と思う葉月だった。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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