出逢いは突然に
STORY 22


ヴェンティセッテカフェでのバイトは青にとって、とても有意義なものだった。
コーヒーの入れ方を一通り習うとレジに出て注文を取る。
高校生の頃は勉強勉強の毎日でとてもバイトなどする時間はなかったし、大学に入っても就職に向けての資格の取得や自分の所属する学部以外の講義をこっそり聞いたりと、とにかくスキルアップに余念がなかった。
せいぜい、やったのは短期の家庭教師くらい。
接客業など自分にはとても向いているとは思えなかったし、一生やることはないと確信していたが、人生どこでどうなるかわからない。
しかし、やってみればこんなにおもしろい仕事はないのではないだろうか?
『やっぱり、現場でお客様と直に接してみないとわからないことも多いし』
葉月が言っていた言葉を思い出す。
どんなにいい製品だと自信を持っていたとしても、実際にそれを判断するのはお客様なのだから。
まぁ、さすがとしか言えないのは葉月の味覚と感性だろう。
青の前ではいつでも可愛い彼女なのに一体、どこでこんなすごい仕事をしているのか、今度オフィスをいっぺん覗かせてもらいたい。
そんなことを考えていると、男性のお客さんが店に一人入って来た。

「いらっしゃいませ―――大内さん」

驚きの青とは対照的に、大内はまるで青がここにいることを知っていたかのように落ち着き払った表情でそこに立っていた。
世間は狭いというが、まさかここで元勤めていた会社の人間と顔を合わせることになろうとは…。
見られて恥ずかしいとかそんな気持ちは全くないけれど、今の姿を見て彼はどう思うだろう…。

「お久し振りです、マネージャー。以前より、ずっと顔色もいいようでホッとしましたよ」
「大内さんも、お元気そうで」

「私は、元気だけが取り柄ですから」と笑う大内。
もう、マネージャーではないのにと青は思ったが、いくらそれを言っても大内にとってはいつまでも変わらない。
…それにしても顔色がいいというのは、前はよっぽど悪かったということか…。
彼女の一番大切なものを奪おうとしていたのだから、普通でいられた方がおかしいのかも。

「マネージャー。お忙しいところ申し訳ありませんが、少しお時間取れませんか?」

柱に掛けてある時計を見れば、青の休憩時間までにはまだ少し間がある。

「休憩まであと30分くらいあるんですけど、それでも構いませんか?」
「えぇ。その間、ゆっくりご自慢のコーヒーをいただかせてもらいますよ」

実を言うと、まだ葉月にさえもコーヒーを入れたことはなかったから、顔見知り相手ではなんだか緊張してしまう。
それでも手際良くカップを取ってコーヒーを注ぐ姿は、女性でなくても見惚れてしまうほど様になっていた。
店内に入っただけでもいい香りは漂っていたが、目の前に出された出来立てはそれ以上に格別だった。

「お待たせしました」

千円札を差し出す大内に、青はそれを受け取らずにカップの載ったトレーを代わりに前に出す。

「せっかく来ていただいたんです。いいですよ」
「いえ、そういうわけには」

「後ろにお客さんが並んでいますので」青がそう言うと大内は申し訳なさそうにトレーを受け取って、空いている席に腰を下ろす。
午後の比較的空いている時間帯ではあったが、どこで嗅ぎつけてきたのか、青を目当てに来る若い女性客は日に日に数を増していた。
『あんまり素敵な笑顔を振り撒かないでね』と言っていた葉月を思い出し、できるだけ普通を装ってはいたけれど、それが別の魅力を醸し出していたなんてことは本人も気付いていないだろう。

「大内さん、すみません」

店長が気を利かせてくれ、早めに休憩を取らせてもらうことにする。

「もう、いいんですか?」
「えぇ」

青は、大内の向かいの席に長い足を組んで座る。
ビシッと決めたスーツ姿しか見たことがなかった大内には、カフェでの青は年齢よりも幾分若く見えた。
そこには、仕事の重圧から解放されたということもあったかもしれない。

「お恥ずかしい話、私はこういうところへ来たのは初めてなんですよ。個人的にコーヒーには結構こだわりがあったりしたんですが、お世辞でなくここのは美味しいですね」

どこか流行(はやり)ものという感じが強かった大内には、こういうチェーン店的なコーヒーショップは初めから期待していない部分があった。
それがどうだろう、この値段でこれだけのものが飲めるのなら毎日でもここへ来たいと思ってしまう。
食わず嫌いを今は反省しなければ、そして社長がなぜ、このヴェンティセッテを欲しがったのか、わかる気がしていた。

「そうですか?ありがとうございます」

これは全部、葉月がゼロから築き上げたもの。
そのほんの一部でも担うことができたなら、青にとってそれ以上の喜びはないと言ってもいい。

「ところで、大内さんはこの辺に用事でも?」

ここは帝国アーバンディベロップメントからは一番遠い店舗のはず、大内を見た感じでは鞄も持っていないし、この店に立ち寄ったのは偶然ではないのだろうか。

「いえ。この辺にではなく、マネージャーに用があって来たんですよ」
「俺に?」

「はい」と頷く大内。
青がヴェンティセッテ・カフェでバイトをしていることを葉月から聞いたのか、それなら黙っていることもないような…。

「こちらの社長秘書をしている大野さんという方に聞いたんです」
「大野さんに?」
「どうしても私は、マネジャーが辞めなければならなかった理由を知りたかったんです。それで悪いとは思いましたが、調べさせていただきました」

二人が恋人同士であることはもちろん、ヴェンティセッテ買収に失敗したのは彼女に情報を漏らしたせいだと斉賀社長がその責任を押し付けたからだということも。

「大野さんも、私と同じように調べていたんですよ。マネージャーが辞めさせられた理由が納得できないと。それで、はっきりわかりました。全ては、斉賀社長の仕組んだことだということが」
「えっ、大野さんも…」

…大野さんまで、俺のことを。
自分が辞めることで済むならと思っていたが、周りの人達にそこまで気を使わせていたなんて。

「マネージャーは、うちがアメリカン・キッチンを買収したことをご存知ですよね」

ニュースで流れていたから青もそれを耳にはしていたが、それと今までのことと何か関係があるのだろうか?

「えぇ、大きく報じられていましたから」
「必ず、何か裏があると思うんです」
「大内さん。それは、よした方が」
「マネージャーは、悔しくないんですか?斉賀社長をこのままにしておいても」
「それは…」

葉月との仲を疑われたことについては決して許せるものではないが、仕事としてヴェンティセッテを買収できなかったのは、そこに少なからず私情が入ったからだという事実は否定できないのだ。
この件に関して、青の中ではもう終わったこと。
これ以上何か事を起こして、ただで済むような相手でないことを一番良く知っているのは青だから。

「一緒に戦ってくれませんか。このままでは、いつか帝国アーバンディベロップメントも崩壊してしまいます。仲間は集めてあります。後はマネージャーが『うん』とさえ言ってくれれば、全ては動き出すんです」

真剣な大内の訴えに青の心は大きく揺れ動いたが、口を固く結んだままだった。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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