出逢いは突然に
STORY 25


「お部屋をお探しですか?」

青の他に客はなく、担当者も若い女性が今は一人だけ。
声を掛けた彼女の年の頃は、葉月よりも少し若いくらいだろうか?
制服姿からでもスタイルの良さを感じさせるし、なかなかの美貌の持ち主、少々営業用の高い声が気にならないでもなかったが、この際そんなことはどうでもいい。

「場所はどこでも構いません。できるだけ、安い部屋はないですか?」
「安いお部屋ですか?ご予算はどれくらいで」
「できれば5万、いや4万以下で」
「4〜5万円以下ですか?少々お待ち下さい。只今、調べてみますので」

4万円以下の安い部屋と聞くと怪訝そうに青を見て、彼女はパソコンの画面の前に座ってキーボードを叩きだした。
ここはいわゆる不動産屋というところで、なぜ青がこんなところに来ているかというと近いうちに葉月のマンションを出るつもりだったから。
実はまだ彼女にこのことを話していなかったのだが、それは事後報告にしたかったため。
もちろん今日バイトを休むことも、彼女には話していない。
なぜなら、マンションを出ることを話せば恐らく、いや確実に葉月は青を引き止めるに決まっている。
自分の元上司であり尊敬していた斉賀社長と戦うことを決めた今、これ以上彼女に甘えているわけにはいかなかったし、安い部屋に住めばバイトだけでもなんとか生きていける目処もついたからこその判断だった。

「お客様、よろしければこちらへどうぞ」

椅子を手で示されて、青はカウンター越しに彼女の前のスチール製の椅子に腰掛けた。
分厚いファイルをペラペラとめくって広げた中から目に飛び込んできたのは、7万2千円の文字。

「4〜5万円以下となりますと、なかなか難しいんですよ。こちらの部屋は7万2千円になってしまうんですけど、敷金2ケ月で礼金はありませんし、更新料もいただかないようになっていますので、どうでしょうか。部屋も8畳強のフローリングで広いクローゼットもエアコンも付いていますし、いい物件だと思いますよ?」

そりゃあ、いい物件だろう。
しかし、青にしてみれば8畳のフローリングも広いクローゼットもエアコンもいらない。
雨風さえしのげれば、この際どんなところでも構わないのだ。

「7万2千円ですか」

どこでもいいとは言ってもこんな都心の不動産に足を運んだこと自体、4万円以下の安い部屋を要求する方が無理というものだろう。
礼金はないといっても、できれば毎月の出費を抑えたい青にしてみればこれでは即答するわけにはいかなかった。
それなりに貯金はあるが、これからのために取っておきたかったし。

「駅からも徒歩18分とまぁ歩けない距離でもないですし、コンビニなども側にあってこれはお安いと思いますが」
「他にもっと安い部屋はないですか?」
「申し訳ありませんが、こちらでは扱っていないんですよ」
「そうですか、わかりました。検討してまた来ます」

青は席を立つと不動産屋を後にした。
他に数件、不動産屋をあたってみたものの、どこもそう差はなく、もっと郊外へ足を延ばさなければ無理かもしれなかった。

…はぁ、なかなか先は厳しいか。
大都会の歩道の真ん中で夕暮れ時の空を見上げる青。
学生の時は親の世話になり、就職先もそれなりのところだったから、今のような生活をするのは始めてだったのだと改めて気付かされた。
こんなことじゃあ、葉月に追いつくどころかどんどん離されていってしまう。

「橘?」
「…深澤(ふかざわ)か?」
「やっぱりそうか。いやぁ、懐かしいな」

青の側に近付いて来て肩を叩きながら懐かしい表情を見せる男の名は、深澤 怜音(ふかざわ れお)。
中学高校と6年間ずっと同じクラスで学生時代を共にした親友というよりも悪友と言った方がしっくりくるかもしれない。
お互い別々の大学に進んでからも仲は変わらず、将来を語り合いながら飲み明かす日々を過ごしながらも就職してからというもの仕事も忙しかったし、年賀状をやり取りする程度の関係になってしまってはいたが、それでもいつも心の隅に置いていた大切な友。
こんなところで偶然に会うとは、何かあるのかもしれないと二人通じるものを感じていた。

「元気そうじゃないか」
「橘こそ。でも、どうしたんだ?空なんか見上げて」

それにとても仕事とは思えないラフな姿。
一瞬、休暇でも取ったのかと思った怜音(れお)だったが、どうやら青の様子からしてそうではないことを察知する。

「ん?まぁ、色々あってさ」
「何だよ。色々って」

怜音(れお)は大学卒業後に大手銀行に入行したが、すぐに退職すると自分で会社を興して今ではネットビジネスに参入しているのだと年賀状に書いてあった。
葉月といい、怜音(れお)といい、周りはやり手揃いだなと思う反面、自分はどうして企業の歯車で満足してしまったのか…。
ビシッと決めた怜音(れお)に自分との距離を感じ、何もかもが後悔に繋がってしまうような気がして自身が嫌になってくる。

「お前こそ、俺と話なんかしている暇なんかないだろ」
「仕事より、親友が大事なんだよ」

「いい時間だし、ちょっと一杯いくか」と、怜音(れお)は青の背中を押していく。
彼はいつもそうだった。
青のことを誰よりも心配してくれて、ここぞという時に手を差し伸べてくれる。
いい友にいい仲間、そして素敵な彼女に恵まれた自分は、本当は世界一幸せなのかもしれない。

黙って背中を押された先は、社長の彼が入るには到底似合わない焼き鳥屋。
奥の小さなテーブル席に向かい合って座ったが、男クサさというかを感じてたまにはこういうのも悪くないなと思った。

「生大2つにねぎまと―――」

すぐにお絞りを持ってきた30代と思われるエプロン姿の女性に向かって、怜音(れお)は勝手に注文してしまう。
気心知れた二人には、いちいち言葉は要らなかったということだろう。

「しかし、そのスーツ姿でこの店は似合わないな」
「お前は似合うって、言いたいのかよ」

少し前の青だったら絶対似合わなかったはずの店がすっかり馴染んでいるように見えるのは、本人だって不思議なこと。

「どうかな。そう見えるか?」

おちゃらけたように言う青に怜音(れお)が「どうしたんだ、橘―――」と言い掛けたところで、さっき注文を取りにきた女性が「お待ちどう様、生大2つ」と言いながら、生大を2つと一緒にお通しと思われる山のように入った漬物の皿を大きな音を立てて手荒にテーブルの上に置いていく。

「取り敢えず、乾杯しようぜ」

「そうだな」と怜音(れお)も、ビールのジョッキを手にするとガツンと青のジョッキに合わせた。
…久し振りのビールは、美味いなぁ。
会社を辞めて以来こんなふうに飲むことすらしていなかったなと、青は如何に健全な生活を送っていたのか。

「俺、辞めたんだ」
「えっ、辞めたって…まさか、帝国アーバン・ディベロップメントをか?」

黙って頷きながら、ビールをグイッと飲み干す青。

…辞めたって、橘は取締役にまで上り詰めたと聞いていたが。
転職でもなさそうだし、何か事業を始めたという話も聞いていない。道理で道端で空なんか眺めているとは思ったが、どうしてそんなことに…。
もしかして、一連の買収騒動に何か橘が絡んで…。

「橘、お前に聞きたいことがあったんだ」

怜音(れお)はビールのジョッキを一気に空にすると、「生大2つ追加」と大声で叫んだ。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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