出逢いは突然に
STORY 26


「お前んとこの斉賀社長なんだけど」

「あぁ、もう違うのか」と帝国アーバン・ディベロップメントを辞めてしまった青にこの話をするのを怜音(れお)は少々躊躇いつつも、どうしても聞いておきたいことがあった。
それは、斉賀社長がアメリカン・キッチンを買収したことと関係があったのだが、実は怜音(れお)の経営するトゥルー・ネットも危うく餌食になるところだったからだ。
それは公にはされず、先に仕掛けたヴェンティセッテの買収に失敗したことで救われたと言っていい。
ターゲットの対象にされていることは薄々、怜音(れお)の耳にも入っていたし、だいいち、何の関係もない企業を次から次へと買収する意図が掴めない。
ビジネスの拡大を視野に入れての戦略にしては、手当たり次第に買収しているようにしか思えなかったから。

「何で、ヴェンティセッテを狙ったんだ?」

…深澤も、気付いてたのか。
初めこそ驚いたものの、さすがだなと青は親友に感心と尊敬の念を抱く。
恐らく、最近話題になっているアメリカン・キッチン買収の件に絡んで、その前にヴェンティセッテ買収に動いていたことを知ったに違いない。
ただ、何で狙ったのかと聞かれると、それは斉賀社長から新しい事業を始めると言われたのがことの発端だったが、青もそれ以上のことは聞いていなかった。

「俺も、新しい事業を始めるとしか聞いていないんだ」
「そうか。もしかして、お前が会社を辞めたのはそれが関係してるのか?」
「さぁ」

「こらっ、はぐらかすなよ」と口を尖らせる怜音(れお)を他所に、追加したビールがテーブルの上に置かれると、青は勝手に怜音(れお)のジョッキにカチンとぶつけてゴクゴクと喉に流し込む。
ここで「そうだ」と言えば、きっと親友は葉月や元同僚達と同じように自分の力になってくれるだろう。
だからこそ、本当のことが言えなかったのかもしれない。

「実は、うちも狙われていたんだ」
「えっ、トゥルー・ネットもか?」

「あぁ」と頷く怜音(れお)、青がヴェンティセッテ買収失敗の責任を取って会社を辞めたすぐ後に斉賀社長はトゥルー・ネットまでも手を伸ばそうとしていたとは…。
葉月のヴェンティセッテは何とか守れたが、いや、実際彼女達が自らの力で守りぬいて事無きを得たわけだが、怜音(れお)もまた同じような目に遭っていたなんて。
大切な人達を前に青は指を咥えて見ていただけ、そして戦うことすらせずに逃げていた…あまりの無力さに情けなくて言葉も出ない。

「それでいいのか、橘」

怜音(れお)の真剣なまなざしは、あの頃とちっとも変わっていない。
正義感に溢れ、夢を追い掛けていたあの時と。

「いいわけないだろ」

…いいわけない。
一生懸命頑張ってる人達を、力で支配するようなことがあってはならない。
例えどんな理由があろうとも、絶対に。

「やっと、昔のお前に戻ったな」

ふっと怜音(れお)は笑みを漏らすと、ジョッキをあっという間に空にする。
青に対してどこか覇気のなさを感じていたが、今の言葉に怜音(れお)の知っている彼に戻ったと思った。
それは迷いなのか、わからなかったけれど、買収劇の裏で計り知れない何か深いものがあったのだろう。
…それも、じっくり聞くとするか。

「今夜は飲むか」
「もちろん、深澤のおごりで」

大きな声で笑う二人の目は、将来を語り合った若かりし頃のようにキラキラと輝いていた。



散々食べて飲んだ挙句、名言通りにしっかりおごらせた青はすっかり酔っ払ってしまい、怜音(れ
お)は仕方なく店の人に呼んでもらったタクシーの後部座席に押し込んだ。
こんなふうに飲むのは十数年振りだったなと思い返しながらも、怜音(れお)は懐かしさと今現在、
彼が置かれている立場を考え複雑な心境だった。
なぜ、会社を辞めなければならなかったのか、ヴェンティセッテを買収できなかった責任を取ってと
本人は言っていたけれど、本当にそれだけなのだろうか?
あまり多くを語ろうとしない理由は何なのか…。
そんな怜音くれお)の思いとは裏腹に自分の肩に凭れ掛かって気持ち良さそうに眠っている親友
の表情はとても穏やかだった。

数ケ月前に突然家を越したというメールをもらっていたので、その住所を頼りにタクシーを走らせるとこじんまりとしているが、凝った作りのしゃれたマンションの前に着いた。
取り敢えず、怜音(れお)の帰りの足がなくなるのは困るからと、運転手に言ってそこで待っていて
もらう。

「おいっ、橘。大丈夫かよ」
「深澤〜もう一軒行くぞお」なんて陽気な声を出す青に呆れつつも、怜音(れお)は彼の左腕を自分の右肩に掛けるとマンションのエントランスを抜けエレベーターで上層階へ。
随分立派なマンションだなと思いながらも部屋の前に着いたはいいが、鍵が…。

「ビールは飽きたから、ウーロンハイひと〜つ」
「ったく、ここは居酒屋じゃないんだっつうの。ほら、鍵出せって」

静まり返った廊下に青の声だけが響き渡る中、「あれ〜?」とか言いながら彼はポケットをまさぐっているものの、なかなかお目当ての代物は姿を現してはくれない。

「おかしいなぁ〜今朝はちゃあんとポケットに入れたのにぃ」
「あ?ないのかよ。もう一回、ゆっくり探してみろよ」

そんな時に目の前のドアがゆっくりと開く。

「青、どうしたの?大きな声で」と家の中から出て来たのはもちろん葉月だったが、一緒に住んでいることまで聞いていなかった怜音(れお)は目を見開いた。
…彼女がいるなら、わざわざ鍵など探す必要はなかったのに。
というか、この女性は…。

「葉月〜ただいま」
「ただいま、じゃないでしょ?こんなに酔って。遅くなるなら、電話くらいしてよ。心配したじゃない」

バイトを休んでアパートを探していたなんてことをこれっぽっちも知らない葉月は、いつまで経っても帰って来ない青の携帯に何度も電話を掛けたし、メールを送ったが、返事がないことに何かあっ
たのではと気が気じやなかったのだ。

「ご迷惑をお掛けして、すみません。道で橘にバッタリ会って、俺が誘ったんです。彼とは、中高と
同級生だった深澤と言います」
「深澤さん?あなたが・・・」

最近はあまり会っていないと言っていたが、青から怜音(れお)のことは聞いていたので、葉月も名
前を覚えていた。
―――だけど、この人が?
いやぁ、二人並んだら絵になるわぁ。
IT関連の会社を経営しているというだけあって、ビシッと決めたスーツ姿に思わず見惚れてしまう
葉月。
今夜は、青が酔っていてくれて良かった。
でなければ青ったら、ものすごく焼きもちを焼いたに違いないもの。

「お話は聞いてます。さぁ、こんなところでは何ですから中に入って下さい」
「いえ、俺はこれで。外にタクシーを待たせているんですよ」
「それなら私が車で送りますから、どうぞ」

そう葉月に言われて怜音(れお)は断ることができなかった、というのは口実で、せっかくの機会に
彼女に話を聞いておきたかったから。
タクシー運転手にチップをはずんで帰ってもらい、怜音(れお)はお言葉に甘えて家の中に入ると、そこが彼女の家だとすぐにわかった。

「お茶入れますね」
「すみません」

二人で青をベッドに寝かせ、葉月がキッチンでお茶を入れている間、怜音(れお)はリビングのソファーに腰を下ろして彼女をそっと見つめていた。
…そういうことか。

「橘が会社を辞めた話もさっき聞いたばかりだったので、それに女性と住んでいるとは…正直驚きました。それも、ヴェンティセッテ社長の中野 葉月さんだったなんて」

葉月はティーポットから、カップにお茶を注いでいた手を止めた。
てっきり、青は自分のことを怜音(れお)に話したものとばかり思っていたが、そうではなかったということ。

「深澤さんは、私のことを」
「えぇ。帝国アーバン・ディブロップメントのの斉賀社長がヴェンティセッテを買収しようとした件を耳にしまして、気になったものですから」
「え?」

―――深澤さんは、そんなことまで知ってるの?
青からは何も聞いていないと言っていたけれど…。
葉月はカップを載せたトレーをローテーブルの上に置くと、湯気の立つお茶を怜音(れお〉の前に差し出す。

「詳しく聞かせていただけませんか?橘が会社を辞めた理由を」

真剣な表情で見つめる怜昔(れお)の問いに、葉月はただ黙って領いた。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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