出逢いは突然に
STORY 5


「珍しいわね、葉月がこんな時間に出勤なんて。はい、コーヒー」

葉月がオフィスに出社すると、杏子がすぐにコーヒーを入れて持って来てくれた。
もちろん、このコーヒーもイタリアから直輸入した豆と専用のマシーンを使って入れたもの。
ヴェンティセッテでは、社員は全てただでコーヒーを飲むことができる。
その代わり商品に対しての感想など、色々協力してもらうというモニターも兼ねているのだが。

「ありがとう。遅れて、ごめんね。何か、あった?」
「特には。ただ、OPENする1号店のアルバイトとパート教育も順調に進んでるという報告があったから、後でチェックして欲しいって」
「そう、わかったわ」

葉月は、杏子の持って来てくれたコーヒーを口に含む。
―――あぁ、美味しい。
自分の目で確かめたコーヒー豆には絶対の自信を持っているだけに、この瞬間が何よりも落ち着くわ。

「ねぇ。今日遅れた理由って、男の人?」
「え?」

―――杏子、目が怖い…。
勘の鋭い杏子は、なぜ葉月がこんな時間に出社したのか、すぐにわかったのだろう。

「もしかして、例の男性?」
「杏子には隠してもダメね。そうよ、彼に昨日会ったのバーで」
「そっかぁ、良かったじゃない。で、朝まで一緒だったってわけね?」

朝、目覚めるとすぐ目の前に青の顔があって…。
昨晩のことを思い出した葉月が慌ててシーツに潜り込んでも、彼は離してくれなかった。
その後、二人でシャワーを浴びて成田空港まで彼を見送ってから会社に出社したから、こんな時間になってしまったのだ。

「彼、今日からニューヨークに出張だったの。だから、空港まで見送りに行ってて」
「へぇ、ニューヨーク?その彼って、何をしてる人なの?」

「えっと…」と葉月は昨日、彼にもらった名刺をバックから取り出して杏子に渡す。

「帝国アーバン・ディベロップメントって、あのビルとかいっぱい所有してる大企業でしょ?それに取締役統括マネージャーって、すっごく偉い人なんじゃない」

名刺を見た杏子は、驚いた表情で葉月の顔を見ている。

「あたしも、それを見てびっくりしたんだけどね」
「なぁんだぁ、葉月ったらいい人見つけちゃって」

羨ましい反面、杏子は葉月が彼と上手くいって幸せになってくれればいいと願わずにはいられない。

「そうだ。彼も、1号店のOPENには声を掛けたんでしょ?」
「それがね。私も聞いてみたんだけど、ニューヨークに2週間行ってるらしくって、OPENには来てもらえないの」
「そっかぁ、残念。見たかったな」

青がどんな人なのか、見たくてしょうがない杏子。
葉月をここまで惚れさせてしまうような相手なら、見てみたいと思うのも当然かもしれない。

「そのうち、会えるわ。それより、先に1号店に顔を出して来ようかしら」
「わかりました。では、すぐに車の用意を致します」

杏子はすぐに秘書の顔に戻ると、部屋を出て行った。



ヴェンティセッテ・カフェ1号店はオフィス街の一等地のビル内にあるが、隣接して高級ショッピング街もあることで、この場所ならOLを中心としたおしゃれで流行に敏感な女性客を取り込める。
既にアメリカ系コーヒーショップも数社出店している場所だけに競争は激しいが、葉月にはそれに勝つだけの勝算はもちろんあった。

「社長、お待ちしておりました」

イタリアンモダンな店内に一歩足を踏み入れた葉月と杏子を出迎えたのは、店舗マネージャーの石川。
彼は26歳とまだ若いながらも、一流ホテルやレストランで接客を学んだプロ、経験が豊富なところを買って採用した優秀な人材だった。
とはいっても、ここは気軽に入れるカフェ、セルフサービスだから彼のような人を連れて来てまですることでもないのかもしれないが、初めが肝心だし、ほんの一瞬の接客にも葉月は手を抜きたくなかったから。
この1号店が成功すれば2号店、3号店と出店を拡大していく予定、彼にはその全ての店舗統括を任せるつもり。
なかなかの男前ではあったが、しっかり妻子持ち。

「こんにちは、石川君。アルバイトとパートの教育は順調に進んでいるって、聞いたんだけど」
「はい。後は慣れもあるとは思いますが、ほぼ完了ですね」
「そう。じゃあ、ちょっと私で試してもらってもいいかしら?」
「わかりました」

「ちょっと君」と、石川が近くにいた大学生のアルバイトだろうか?可愛らしい女性に声を掛けて説明する。
いきなりこの店を経営する社長の登場とあって緊張気味の彼女だが、この店が成功するかしないかは彼女達にかかっているといっても言い過ぎではないのだから頑張ってもらわないと。
ここでは一般的にチェーン展開しているコーヒーショップと同じやり方で、カウンターで注文して支払いを済ませた後に隣のカウンターで商品を受け取るというスタイル。
初めなので必要以上に商品の種類を置かず、定番のものを中心に季節限定等のスペシャルメニューを1〜2種類置く程度。

「大体、いいかしらね。この調子で、本番も頑張って」

この言葉にホッとしたのか、接客の時よりもアルバイトの彼女はいい笑顔を見せた。
普段でもこの笑顔が出るようになれば、大丈夫だろう。

「石川君も大変でしょうけど、開店まであと一息だから。頑張ってね」
「はい。社長のご期待に副えるようように頑張ります」

石川は葉月の熱心さに心を打たれて、この会社に転職してきた者の一人。
彼だけでなくそういうふうに葉月を慕う人間は、数多いのである。

「そうそう、今度は私にも教えてもらえる?自らカウンターに立ってみないと、わからないことも多いし」
「えっ、社長がですか?」

その場にいたアルバイトとパートまでもが、一様に驚きの表情をしている。
本当はこんな忙しい時に迷惑だとは思うけれど、OPEN前の一通り準備が整った今だからこそこういう時間が持てるのだと葉月は思っていた。
これがOPENしてしまったら、返って邪魔になるだけ。

「そうよ。社長が何もできないんじゃ、恥ずかしいでしょ。みなさんよろしくね」

スーツのジャケットを脱いで、この店の制服とも言うべき黒いカフェエプロンを身に着ける。
そんな彼女を『葉月らしいわ』…とまるで他人事のように見ていた杏子だったが、まさか自分もやらされる羽目になろうとは…。

「ほら、杏子ったら何、突っ立ってるの?早く」
「へ?」
「へ、じゃないでしょ?早くこれ着けて」

エプロンを渡されて、仕方なくそれを身に付ける杏子。
何で、こんな人に付いてきちゃったのかしら…と思いながらも、彼女だからこそ付いてきた。
他に理由なんてない。

「はいはい。着ければ、いいんでしょ?」

…こんなのやるのって、高校時代のバイト以来じゃない。
そう言えば、葉月と一緒に近所のファミレスでやったのよねぇ。
あの頃は楽しかったわ、同じバイトをしていたカッコいい男の子なんかチェックしたりして…。

すっかり高校生に戻った葉月と杏子は、仕事を忘れて熱中したのだった。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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