今日は、待ちに待ったヴェンティセッテ・カフェ1号店OPEN当日。
そんな門出に相応しい、晴れやかな朝だった。
興奮してほとんど眠れなかった葉月は、オープニングセレモニーが10時なのにも関わらず、7時前に店に来ていた。
いつかは自分の店を持ちたいという漠然とした夢を描いていたが、それがいよいよ現実の物になる。
まだ、この時間は通り過ぎる人もまばらで店の前は閑散としているが、もう少ししたら取引先からの祝いとしてたくさんの花が飾られることになっている。
しかし、アルバイトやパートの人達は2時間前に入るように言ってあったから、誰の姿もないはずだったが…。
「石川君?」
「あっ、社長。おはようございます」
元気に挨拶してきたのは、店舗マネージャーの石川。
「それにしても石川君、随分と早いのね」
「はい。OPENとなったら、いても経ってもいられなくて」
客商売には全く無縁の葉月は、ほとんどを石川に任せっきりにしていたから、いくら彼でもその重圧は相当なものだったに違いない。
申し訳ないと思いつつも、彼に頼るしかなかったのだ。
「私も。全然、眠れなかったわ」
「そうですか。今、コーヒー入れますね」と石川は、お互い同じ思いだったのだと共感しながら手際良く機械を操作する。
その姿をうっとりと見つめながら、葉月はカウンター席に腰掛けた。
「いよいよですね」
「ええ。石川君やみんなの協力がなかったら、こんなに早く店をOPENさせることなんてできなかったと思う。感謝してもしきれないわ、本当にありがとう」
「そんなことないです。社長がいたからこそ、じゃないですか。それにまだ、スタートラインに立ったばかりで何も始まっていませんよ?結果を出してから、その言葉はいただくことにします」
葉月の目の前に出されたカップからは、コーヒーのいい香りが漂っていた。
これだけは、誰にも負けない。
絶対の自信を持って、出せるもの。
「そうね。でも、これがあれば大丈夫。誰にも負けないわ」
大学の卒業旅行で友達と一緒に行ったイタリア旅行。
その時飲んだコーヒーの味がどうしても忘れられなくて、ごく普通のOLだった葉月は一大決心して起業した。
初めは全てが手探り状態、売り込もうにも女だからという理由で話を聞いてもらえないこともあった。
それでも頑張ってこられたのは、美味しいコーヒーを飲んでもらいたいそれだけだったと思う。
そしてもう一つ、無理矢理引っ張ってきた杏子の支えがなかったら、とっくに挫折していただろう。
「はい。社長とコーヒーがあれば、絶対大丈夫です」
社長は余計だと葉月は思ったが、さっき石川が言ったように勝負はこれからなのだ。
「こんな、悠長にしている場合じゃないわね。そろそろみんなも来る頃だし、OPEN前の最後の調整をしないと」
葉月は身の引き締まる思いで、席を立った。
◇
「予想以上のお客さんね」
「ほんと、びっくり。きっと、杏子の宣伝のおかげね」
関係者を招いてのオープニングセレモニーを行った後、一般のお客さんを迎え入れたが、予想以上の数にスタッフ一同嬉しい悲鳴。
これも、杏子が以前勤めていた出版社にカフェの宣伝をしてくれるように頼んでくれたから。
葉月自身も若い女性社長ということで、何度か取材に応じたこともある。
今回のカフェOPENについても、かなり前から注目されていたから当然のことなのかもしれない。
「あたしは、何もしてないわよ。まぁ、若い美人社長がOPENさせたカフェだもの、それだけ注目度が高いってこと」
「そんなことで注目されてもね。商品を評価してもらわないと」
確かにいい商品を作り出すことが一番大事ではあるが、容姿だって戦略のうち。
使えるものは使わないと、と杏子は思うけれど、当の本人には全くその意識がない。
ちやほやされるのが大嫌いな葉月には、自ら進んで雑誌に載ったりするようなことはできないのである。
「いいじゃないの。社員だって、美人社長の下で働けるのは嬉しいんだから。もちろん、あたしもその一人だけど」
杏子はこんな言い方をするが、実際は葉月だけでなく美人社長に美人秘書という二人が話題になっていたのだ。
「何、言ってるのよ。それより、杏子も手伝って」
「え?まさか、あたしにさせる気?」
「当たり前でしょ。せっかく練習したんだもの、披露しなきゃ」
披露って…という杏子の言葉など全く無視して、葉月はいつの間にかカフェエプロンを身に着けて店内で接客している。
ある意味、雑誌に載るより実物に会う方が嬉しいというもの。
お昼に掛かる時間だったから、立ち寄った若いOLやショッピングに来ていた主婦達が葉月を羨望の眼差しで見ている。
「ほら、杏子。何、ボーっとしているの?こっち、片付けて」
「はいはい」
仕方なく杏子もカフェエプロンを身に着けて、店の手伝いをする。
こんなことをするのは高校生以来のことだったが、そこはさすが石川だなと思う。
彼の指導があったおかげで、慌てることなく対応できる。
アルバイトやパートのスタッフも初日ながらテキパキと仕事をこなしているところを見れば、それは確かなものだったのだろう。
彼を引っ張ってきた葉月の目に狂いはなかったということにもなる。
新しい物好きの我々にとって、ヴェンティセッテ・カフェは斬新で魅力的ではあったが、反面飽きやすいというのも事実。
いかにして、固定客を取り込むかが今後の課題になるだろう。
OPEN初日は大盛況のうちに終わり、達成感と心地いい疲労感が葉月を包む。
そんな時、ふと思うのは青のこと。
―――青、今頃は何をしているかしら?
多分、ニューヨークは朝のはず。
昨日の晩は電話で激励してくれたが、やっぱりここに来て欲しかった。
「社長、今日の売り上げは当初の予想より50%増しでした」
「そんなに?すごいわね」
少し興奮気味に石川が売り上げの計算結果を葉月に報告する。
あれだけの人が来たのだから、予想を上回るとは思ったが、50%増しとは想像以上。
「僕は、社長と大野さんが店に出てくれたからだと思います」
「やっぱり?」
石川君ったら大げさねと思った葉月とは違って、杏子は妙に嬉しそう。
若い男性にお世辞でもこういうふうに言われると、嬉しいものなのだろう。
そんな和んだ雰囲気の中、入口の扉が開き誰かが店に入って来たのを見た葉月が、「あの、もう今日の営業は終了―――」と言い掛けたが、その人物を見て止まってしまう。
―――青…。
うそ…どうして、青が?
ニューヨークにいるはずの青が、大きな花束を持ってそこにいる。
「青、どうして。ニューヨークにいるはずじゃなかったの?」
「どうしても、おめでとうが言いたくて。仕事も早く切り上げることができたから。間に合って良かった」
青は改めて「おめでとう」と言うと、持っていた花束を葉月に渡す。
思ってもみなかったサプライズに葉月は「ありがとう」、そう言って花束を受け取ると青の首に腕を回して抱きつく。
「嬉しいっ、ありがとう。青」
「俺も葉月にこんなことをしてもらえると、ものすごく嬉しいんだけど」
周りで見ていた杏子と石川は、目のやりどころに困ってしまう…。
「えっ、あ…」
慌てて青から体を離した葉月だったが、彼はわざと彼女の腰に腕を回して抱き寄せる。
「ちょっ、青ったら」
…二人でやってなさいよ。
とは、杏子の心の声だったが、初めて見た青は想像より遥かにいい男。
それに、おめでとうを言うためにニューヨークから戻って来るとは…。
クぅー羨ましいっ!
いちゃついている二人を尻目に店の後片付けに精を出す杏子だった。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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