出逢いは突然に
STORY 7


気を利かせた杏子と石川が、葉月を一足先に帰してくれた。
きっと明日は何か言われるに違いないが、今は青に逢えたことの方が嬉しくて…。
タクシーの中で葉月の手をしっかりと握る青、お祝いにもらった花束からいい匂いが香る。

「長いフライトだったんでしょ?疲れてるのにわざわざ来てくれて、ありがとう」
「葉月に逢えると思ったら、疲れなんか全然」

「まぁ、機内は退屈だったけど」と話す青は表情からではそれは少しも感じられないが、きっと実際は疲れているに違いない。
なのに『葉月に逢えると思ったら』、なんてこっちが恥ずかしくなるようなことを普通に言うのは短い期間でもニューヨークに行っていたからだろうか?

「もう青ったら、運転手さんもいるっていうのにぃ…」と葉月が耳元で囁くように言うと、青はクスクスと笑っている。

「初日はどうだったんだ?お客さんは、たくさん来た?」
「それがね、すごいのよ?予想の5割増し」
「5割?」

…それは、すごいな。
客商売のことは青にはよくわからないが、OPEN当日となればその日の気候などにも左右さるだろうし、たくさん来ると想定するにしても5割増しとはすごいだろう。

「そうなの。やっぱり、あたしと杏子。あっ、杏子ってあたしの秘書で、さっきお店にいた女性。高校の時からの親友なんだけど、二人が店に出たからかなって」
「葉月も、店に出たのか?」
「そうよ。ちゃんとエプロンして、事前に接客のプロに伝授してもらってね」

社長自らが店に出て、客の相手をしたことに青は葉月らしいと思いつつ、せっかくなら自分も接客してもらうんだったとちょっぴり残念だったりして。

「なんだ、残念だったなぁ。せっかく、葉月が店に出たんだったらコーヒーを入れてもらうんだった」
「コーヒーなら、いつでも入れてあげるわよ?」
「俺は、エプロン姿の葉月が良かったんだけどな」

―――エプロン姿って、青ったら何か勘違いしてない?
葉月の考え過ぎなのか…。

「軌道に乗るまで暫くはお店には出るつもりだから。仕事が忙しいでしょうけど、時間があったら寄って?」
「あの店、俺が勤めてる会社のビルがすぐ近くなんだ。空いた時に寄らせてもらうよ」

当分、お店に出ると聞いて嬉しそうな青だったが、彼の勤め先のビルがすぐ近くだったとは。
となると、葉月も仕事を終えてからだけでなく、彼に逢うことができる。
社長としての業務もこなさなければならないから店にばかり出ているわけにもいかないが、これはなんとか都合をつけてでも店に出る割合を多くしなければ。

二人の乗ったタクシーは、既に青の住むマンションの側まで来ていた。

「今更だけど、葉月を連れて来て良かったのか?」
「ほんとに今更ね」

もう目の前に青の住むマンションが見えているというのに、ここまで来ておいて連れて来ても良かったのかと聞かれても、もう遅いと思うが…。

「いや、葉月が店に出ていたなんて知らないからさ。ずっと、立ちっぱなしだったんだろう?」
「まぁね。もうっ、足がパンパンだもの」

とにかく無我夢中の1日だったけど、接客なんて高校生の時にやったファミレスのバイト以来だったから、気が付けば足がパンパンになっていた。

「じゃあ、今夜は二人でゆっくりバスタイムといこうか」
「えっ…」

ふと、青の家にあったガラス張りのバスルームを思い出す。
この前はそんな時間もなかったから、ゆっくり味わうことはできなかったけど…。

「もうっ、青ったらっ!えっち」

運転手にも丸聞こえの大きな声で叫ぶと、葉月は青の背中を思いっきり叩く。
「痛ってぇなぁ」と大げさに言う青とのやり取りを聞いていたタクシーの運転手は、ミラー越しに笑いを堪えていた。

+++

「あれ?今朝はまた、お早い出勤だこと」

いつものように出社した葉月に対して、杏子のこの言い方はどうなのか?
だいたい、その前におはようの挨拶くらいないわけ?

「杏子ったら、失礼ね。この前は、たまたまでしょ?」
「そうなの?彼がわざわざニューヨークから葉月のために戻って来てくれたんじゃない。無理しなくても良かったのに」

できることなら青とゆっくりしていたかったけど、彼だって大事な仕事で出張に行っていたわけだし、私用で遅刻するわけにもいかないだろう。

「いいのよ。それより、コーヒーを入れてくれない?」
「はいはい」

ブツブツ言いながら杏子が部屋を出て行くと、葉月は昨晩のことを思い出す。
彼の家のガラス張りのバスルームにあるジャグジー付きのバスタブは思いの外快適で、すっかり疲れを取ることができた。
―――あたしも、あんなの欲しい。
なんて思っている場合じゃなくて、やっぱり彼と二人で入る嵌めになって…。

何で、こんなに彼を好きになったのだろう?
よく考えてみれば、彼とはまだ3回しか逢っていないのに…。
椅子に座ったままクルッと後ろに回転させて窓の外に目を向けるが、葉月にはその答えを明確に出すことはできなかった。

暫くして、ドアをノックする音と共に扉が開き、杏子がコーヒーを持って部屋に入って来た。

「お待たせしました。社長」
「ありがとう。やっぱり、コーヒーの香りを嗅ぐと落ち着くわ」

カップを口に付けると、葉月はフーッと息を吐いた。

「ねぇ。彼、素敵ね。あんな花束を持って来ても、全然嫌味じゃなくて」
「そうかな?」
「バーで偶然出逢うなんて、運命の赤い糸で結ばれてたのかも」

―――運命の赤い糸…。
そうなのだろうか?
葉月は、カップ中をジッと見つめていた。

「ところで、株式上場の件なんだけど」
「え?あっ、あぁ。どんな感じ?」
「多分、大丈夫だと思うわ。うちの業績は右肩上がりだし、イタリアのメーカーからコーヒー豆を独占販売できていることがかなり効いてる。あと、カフェ事業もこのまま行けば、拡大できるでしょうから」

カフェのOPENと共に葉月が推し進めてきたのは、株式の上場。
一般的に知られる大企業向けのものではなく、近年急速に知れ渡ってきたヴェンティセッテのような新興企業を対象にしたもの。
もちろんお客様と品質が大事だが、会社を興したからにはより大きくしたいという、可愛らしい外見からは想像もできないような葉月のしたたかな野望。

「そう。ここまできたら、一気に推し進めたいところね。杏子も大変だと思うけど、協力お願いね」
「もちろん。あたしは、葉月に付いてきたんだもの。やるって決めたら、どこまでも共にするつもり」

杏子の力がなければここまで来ることはできなかったし、これからも彼女なしではやっていけないだろう。
秘書という立場では申し訳ないくらいの役割を果たしてくれる彼女に、葉月は心の中で感謝の気持ちを込めるのだった。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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