ヴェンティセッテ社の株式上場の申請も済み、後は審査・承認を待つばかり。
その間、ヒヤリングやら社長面談等の乗り越えなければならない山はいくつもあるが、ここは葉月や仲間の力でなんとかなるだろう。
そして、カフェ1号店も予想を遥かに上回る売り上げ、既に2号店、3号店の出店候補地も検討に入っているところ。
―――仕事も恋も、何もかもが順調すぎて逆に怖いくらい…。
こんなに幸せで、いいのかしら?
あまりにうまく行き過ぎているように思うのは、葉月だけだろうか…。
ふと、そんなことを考えていると店に新しい客が入って来た。
「いらっしゃいませ」
今から心配していても、始まらない。
波に乗っている時は、とことんその波に乗るのみ。
お客様に出来る限りのサービスをすることだけを考えて、葉月が明るく挨拶したのは…。
「よっ」
「青。あぁ、来てくれたの?」
相変わらず、ビシッと決めたスーツ姿の青だった。
オフィスビルがすぐ近くにあると言っていたので、早速店に来てくれたのだろう。
「もちろん。葉月のエプロン姿を見に来させてもらったよ」
「もうっ、青ったら」
―――また、そんなことを言って。
と思ったが、こうして忙しい合間を縫って店に来てくれる彼には感謝の気持ちで一杯だった。
素敵な上に優しくて、それこそうまくいき過ぎているようで、後が怖い。
「ご注文がお決まりでしたら、お伺いいたしますが」
「じゃあ、自慢のコーヒーをもらおうかな」
「はい。当店自慢のコーヒーをお一つですね」
しっかり営業スマイルを欠かさない葉月は、手際よくコーヒーを入れる。
その姿を見つめている青の表情は穏やかで、周りにいた女性客の視線を一気に集めていた。
しかし、彼の瞳に映るものはただ一人、葉月だけである。
「お待たせしました」
「いくらかな?」
「いいわよ。今日はせっかく来てくれたから、あたしの驕り」
「それじゃあ、遠慮なく」
青はありがたく、頂戴することにする。
葉月もちょうど休憩を取ろうと思っていたところだったから、自分の分のコーヒーも入れたトレーを持って外のテラス席に行く。
今日は天気がいいから、柔らかい外の風が気持ちいい。
「忙しかったんじゃないの?」
「下手に席にいると、どうでもいいことに巻き込まれるから」
難航すると思われたニューヨークでのビル買収交渉も青の力により調印にこぎつけ、役目は済んだはず。
そう思っているのは自分だけかもしれないが、席にいるだけでいらぬ仕事に巻き込まれ、落ち着いて自分の仕事に手を付けることができないのだ。
だったら、ここで葉月の顔を見ている方がいい。
「えっ。だからって、こんなところにいても大丈夫?」
「平気さ」
暢気な青に本当に大丈夫?と思ったが、本人が言うのだからそうだということにしておこう。
それにしても、テラス席に座っている二人はまるでモデルのようで、通り過ぎる人々の目を釘付けにしていた。
これだけでも、何人の客を呼び込むことができただろうか?
「冷めないうちに飲んでみて?青にも、うちのコーヒーの感想を聞きたいから」
「あぁ、そうだった」
さすがやり手の女社長、葉月をそう思わせるのはこんなところなのかもしれない。
言わなくてもさっきからいい香りが漂っていて、それだけでも美味しいだろうことはわかっていたが、きっちり批評しないと彼女の気が治まらないだろう。
「どう?」
葉月は食い入るようにして青を見るものだから、味云々よりそっちが気になって批評も何もあったものじゃない。
「香りもいいし、コクもあって。下手な専門店より、全然いいよ」
「ほんと?」
「あぁ。うちの秘書達も、ヴェンティセッテカフェのコーヒーは美味しいって話してたからな」
秘書の女性達が休み時間を終えて戻って来たところにちょうど青が出くわしたのだが、彼女達が話していたヴェンティセッテという言葉に反応して、それとなく聞いてみたのだ。
「そうなの?青のところの秘書さん達も、うちのコーヒーを気に入ってくれたのね」
「若い女性は、新しい物には敏感だからな」
「それだけで終わらないようにしなきゃいけないと思うと、これからが大変だわ」
新しい物や物珍しいものにはすぐに飛びつくが、熱しやすく冷めやすいではこの業界を生き抜いていくことは不可能に近い。
それを乗り越えていかなければならない葉月は、ものすごい重責を背負っていることになる。
「葉月なら、やれるさ」
「そんなふうに青に言ってもらえると、ちょっとは自信持てそう…かな」
「こらっ、ちょっとはってなんだよ。俺の言葉を信じてないな?」
青におでこを指でちょこんと突かれた。
―――だってぇ…。
信じてないわけじゃないけど…。
さっきの不安が、再び葉月の脳裏を過る。
「不安なの。何もかもが、うまくいき過ぎているような気がして」
「うまくいっているのは、葉月の努力だろ?不安に思うことなんてないさ」
「そうなんだけど…」
―――そうなんだけど、やっぱり不安なんだもん。
青とだって、いつまでもいい関係でいられるかどうかわからないし…。
「社長がそんなことで、どうする?言っただろ、葉月が思うようにやればいいって」
そっと、葉月の手の上に青は自分の手を重ねる。
温かくて、大きな手…。
そして、これは二度目に逢った時に青が葉月に言った言葉。
社長が迷っていたら、社員は誰も付いてこない。
もう、前に進むしかないのだから。
「青…」
「俺がいる。例え、葉月が社長を追われるようなことになっても、ずっと側にいるよ」
「なんか、それって素直に“うん”って言えないんだけど」
「そうか?」
「もうっ、青ったら」
とぼけたように言う青に葉月は、自分の手の上に重ねられた彼の手をもう一方の手で軽くつねる。
「痛てっ」と大げさに痛がる青だったが、さっき言った言葉は本当だろうか?
―――ずっと側にいるよ…。
「本当に側にいてくれる?」
「あぁ、嫌って言われてもな」
そう言って微笑む青に、葉月も同じように微笑み返したが…。
この後、葉月の不安が現実になろうとは…。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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