出逢いは突然に
STORY 9


「社長、とうとう我社の株式上場が承認されました。後日、上場予定日等が公表されるそうです」
「えっ、ほんと?」

待ちに待った吉報に、葉月は思わずデスクに乗り出すようにして立ち上がると、杏子はニッコリ微笑んで大きくVサインをして見せる。
社長面談では、葉月自身が会社を興す時よりも神経を使ったし、緊張もした。
その甲斐あっての上場承認の報告は、喜びも一入だ。
しかし、これで安心してしまうわけにもいかない、これからも前進あるのみ。

「カフェの2号店と3号店の出店地もほぼ決まったし、葉月丸は順風満帆ね」
「やっぱり、うまく行き過ぎる気がする。何か、ありそうなのよねぇ」

この間、青にも話したことだが、葉月にはどうしても何もかもがうまく行き過ぎているように思えてならなかった。
それがなんなのかは、自分にもわからなかったけれど…。

「そんなことないわよ?これは、葉月が頑張ってきた結果だもの。自分を信じて、迷いは禁物。みんながいるんだから、絶対大丈夫」
「そうね。社長のあたしが弱気じゃ、社員が安心して付いてこられないわよね」

親友の杏子にそう言われると、そんな気になるから不思議だった。

「そうよ?あたしはこの会社に骨を埋める覚悟で来たんだから、もしものことがあっても行くところなんてないのよ?わかってる?」

もう、この会社は葉月だけのものではないということ。
だからこそ、不安に思ってしまうのだが、悪いことばかり考えていると運気も悪い方へ流れてしまうかもしれない。
『ずっと側にいるよ』という青の言葉を信じて、頑張るしかない。

「わかってる」

葉月はそう答えると、窓の外の遠い未来を見つめていた。

+++

「ごめん、遅くなって」

「会議が長引いて」と、葉月の隣の席に腰を下ろす青は、バーテンダーにいつものウィスキーを注文する。。
二人がこのバーで逢うのは久し振りだったが、出逢いの場所だけに一番落ち着けるところなのかもしれない。

「ううん。あたしも今、来たところだし」

葉月の前に置かれたグラスは、パッションフルーツの甘く、華やかな香りのパッシモ・レディ。
今夜の葉月のように大人っぽいLADYへと変身させる。
しかし、アルコール度数が強いのが青には少々引っ掛かる。

「葉月、どうしたんだ。何かあった?」
「どうして?」
「いや、また強いの飲んでるからさ」

青の前に出されたウィスキーのグラスと、葉月のパッシモ・レディのカクテルグラスをカチンと合わせる。

「ちょっと、いいことがあったから」
「いいこと?」
「うん。うちの会社、上場したの」
「上場って、株式の?」
「そう。といっても、青のところみたいに大企業が上場するのとはだいぶ違うけど」

グラスに口を付ける葉月は、いつになく艶っぽくて目が釘付けになる。
…それにしても、この美しい女性はどこまでやり手なんだ。
青がいくらこの年齢で大企業の取締役に就いていても、自ら起業し、カフェをOPENさせたり、次には株式上場までやり遂げられるほどのバイタリティーは持ち合わせていない。
不安も漏らす場面もあったのに一体、このか細い体のどこにそんな力を秘めていたのだろうか…。

「それは、すごいな。じゃあ、今夜はお祝いしないと」

青は、バーテンダーを呼ぶとシャンパンを注文する。

「青ったら、シャンパンなんていいのに」

「気にしないで」と言いつつ彼が選んだのは、ボトルにエミール・ガレが描いたアネモネで知られるペリエ ジュエ ベル エポックの最高峰、ブラン・ド・ブラン。

「いいの?」
「構わないさ。葉月のこれからに乾杯しないと」

二人は、極上の夜を味わったのでした。

+++

『橘マネージャー。社長が、お呼びです』
「社長が?」

秘書の女性からの電話だったが、今は社長に呼ばれるようなことはしていないはず…。
…一体、何の話だろう?
青は席を立ち、社長室に向かった。
廊下の一番奥にある部屋の大きなドアを数回ノックすると低い声が聞こえ、青は少し緊張した面持ちで中へ入る。

「おぉ、橘君。ニューヨークのビル買収は、よくやった。半ば諦めていたところだったから、いやさすがだな」
「いえ。これは私というより、運が良かったんだと思います」
「そんなことはないだろう。君だから、契約できたんだと思うよ」

「まぁ、立ってないで掛けたらどうだ」と社長に促され、青は大きなレザーのソファーに腰掛ける。
現社長は、恐らく歴代社長としては一番若いであろう、つい最近50になったばかり。
白髪もなく薄くもない、もちろんメタボリックなんて言葉は彼には到底無縁。
次々に老朽化したビルを買収しては新しく蘇らせるという方法で、頂点に上り詰めた男である。
その社長が青を呼びつけた理由は、単にこの前のニューヨークでのビル買収を誉めるためではないはず。

「社長、お誉めに預かって光栄ですが、今はその件で私を呼んだわけではないでしょう?一体、何ですか?」
「あはは、橘君には全てお見通しってわけか」

青に先を読まれていたことに、社長は満足そう。

「なら、話は早い。実は、当社も新しい事業を始めようと思ってね」
「新しい、事業ですか?」
「そうなんだ。ところで、君はコーヒーは好きかな?」
「コーヒーですか?」

コーヒーと言われてすぐに思い浮かぶのは、葉月のこと。
彼女と出逢ってからというもの、以前にもまして青はコーヒーを飲むようになったし、同業のカフェも気になるようになった。
意外に多くて驚いたりもして。

「この近くにOPENした、ヴェンティセッテというカフェのことは?」
「はい。秘書の間でも話題に上っているようですし、私も一度行きましたが値段も手頃のわりに味はかなり本格的でしたね」
「そうか」

…何で、社長が…。
さっき、言っていた新しい事業と何か関係があるのだろうか?

「コーヒーと新しい事業とは、何か関係があるのでしょうか?」
「ヴェンティセッテが株式に上場したのは、君も知ってるだろう?」
「えぇ、それが…まさか―――」

…まさか、ヴェンティセッテを。

「買収して欲しいんだ。君なら簡単だろう?あそこは、まだまだ小さな企業だし、なんと言っても社長は20代の女性だからな」
「それは…ヴェンティセッテでなくても」

…なぜ、よりによって葉月のヴェンティセッテなんだ…。

「私も経営者の端くれだからね。先のない企業など、買収しようとは思わないんだよ」

社長の目はいつもの穏やかなものではなく、それは戦いを挑む騎士の目だった。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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