ふたりの夏物語U
-Only Love-
STORY 9
「すみません。遅くなって」
「いえ、こちらこそ。付き合わせてしまい、申し訳ありません」
「出ようとしたところで、急な電話が入ってしまって」と話す高梨と待ち合わせたはいいが、彼女はこの雪で家に帰れるのだろうか?
悠(はるか)に付き合って、彼女まで巻き込んでしまうわけにはいかないが…。
「本当に良かったんですか?俺に付き合って、あなたまで家に帰れなくなったりしたら」
「ご心配いただかなくても、大丈夫ですよ。私は地下鉄ですし、まぁ他の理由で止まったとしても、何とかなりますから」
「なら…いいんですけど」
「冷えてきましたから、行きましょうか」と彼女はコートの襟に付いていたファーを左手で押えながら、ちょうど流れていたタクシーに向かって反対の手を上げて止めた。
車窓から眺めるとすっかり日も沈んで街頭の灯りに照らされた街並みはだいぶ雪も降り積もってきてはいたが、まだまだ止む気配はない。
少し走ってすぐに目的の場所に着いたのか、タクシーから降りると細いビルの地下へと入って行く高梨の後に悠(はるか)も付いて入る。
そこは大きな提灯とロープの暖簾が下がった、何とも雰囲気のある店だ。
ガラガラっと曇りガラスの木戸を開けると、「いらっしゃいませっ」という威勢のいい声で迎えられた。
中央では魚を焼いているのか、煙が上がりいい香りが漂っていて、その周りを一枚板の分厚いカウンターテーブルが取り囲んでいる。
二人はちょうど空いていた席を確保できたが、こんな気候でも店が繁盛しているのは週末だからなのか、それとも騒ぐのは悠(はるか)のような都会人だけなのだろうか?
コートを脱いで壁のハンガーに掛けると並んで腰を下ろし、彼女は「何にしよっかな」とメニューを手に取った。
「どれにしますか?私も今夜は、ちょっとだけ飲んじゃおうかしら?小西さんは、好きなものをどうぞ」
高梨がずらりと日本酒の銘柄が書かれた手書きの和紙製のメニューを悠(はるか)に差し出した。
彼女は乾杯程度しかお酒は飲めないと言っていたが、今夜は悠(はるか)に合わせて飲むつもりらしい。
「じゃあ、俺はこれを」
悠(はるか)が選んだのは、せっかくだからと地元の吟醸酒を熱爛で。
「辛口が、好みですか?」
「えぇ、甘口はどうも。昔から辛口が好きなんですよ」
悠(はるか)は、いわゆる一時期流行ったようなフルーティーな味わいの日本酒は苦手だった。
飲みやすくて悪酔いするということもあったが、元々甘いものはあまり好まないのと食べ合わせを考えると辛口の方がしっくりくるような気がしたから。
料理は定番の“ほっけ”とか、“ししゃも”にイカやホタテなどを焼いてもらうことにしたが、これではいくらでも飲んでしまいそうで後が怖い。
「取り敢えず、乾杯しましょうか。本当ならもう、東京へ向かう機内の中でしたのに私が相手で申し訳ないんですが…」
「とんでもない。ご迷惑をお掛けしたのは、こちらの方ですから」
陶器のお猪口にそれぞれ、お酒を注ぎ合ってカチンとそれをぶつける。
カーッと喉を通り抜ける感覚がたまらず、つい二人はオジサンのように声を出していて、顔を見合わせて吹き出した。
お互い年代が近いせいか、悠(はるか)からしてみれば高梨は大事な顧客だけれど、どこか気兼ねなく話せる相手、そんな気がしていた。
それは決して、彩瑛は年齢が離れているから高梨とは違うとかそういうことではなく、彩瑛は悠(はるか)にとって特別な存在だということだ。
「彼女に連絡は、もうされたんですか?」
「えぇ。まだ仕事中だったんですけど、掛けてしまいました」
「さぞかし、残念だったのでは」
手酌で注ごうとしていた悠(はるか)を制するように高梨が徳利を手に取る。
「『気にしないで、次回の楽しみに取っておくから』と言ってましたよ」
「デキた彼女ですね。私だったら、散々攻めますよ?泳いでも帰って来いくらいに」
笑いながら、そんなふうに言う高梨だったが、それは本当なのか冗談なのか。
彼女の方こそ、彩瑛のような模範解答を返してきそうなものだが、もしそうなら意外かもしれない。
「そんなことは、言わないでしょう?高梨さんなら」
「小西さんは、私のことを知らないから。案外、我侭なんですよ。私」
「そういうふうには、全然見えませんよ。すごく大人で理解ある感じですけど」
「あら、私って随分優等生に見られているのね」と高梨は、焼き上がったばかりでジュージューいっているほっけに箸をつけた。
「小西さんも、どうぞ」と悠(はるか)もフーフーしながら食べるそれは、東京で出されるものとは全く別物のように思えるほど美味しい。
女性の管理職は、それほど社員数の多いわけではないクリスタル・スノーの中でも彼女一人だけ。
それもこの若さで部長という地位に就いているのには、それなりの気苦労もあるし、悠(はるか)の言うようにある意味優等生でなければ務まらないところもある。
実際は本人の言葉通りかなり我侭で、思うようにいかないと子供みたいに拗ねてしまうところもあるのだが、そんな一面を知っているのはごくわずかの人間のみだった。
「逆にそういうギャップが魅力なんでしょうね、高梨さんの」
「そうですか?」
結構、男性には引かれてしまったりして、なかなか思うように付き合えなかったりもする。
欠点なのか、長所なのか、自分でもよくわからない。
「そうですよ。誰にでも見せるわけじゃない。きっと、心を許した人にだけ見せるそんな姿が―――。いらっしゃるんじゃないですか?そういう男性が」
「えっ」
…この人は仕事がデキルだけじゃなくて、心の中まで見えちゃうの?
驚きのあまり、思わず高梨は悠(はるか)に視線を向けたが、彼は何食わぬ顔で、「お待ちっ」と出された焼きたてのししゃもにかぶりつく。
正しくは“いる”というより、“いた”という過去形に近い。
クリスタル・スノーの全国展開に全身全霊を傾けていた彼女にとって、今はそのことで気持ちを乱されたくなかった。
「すみません、余計なことを」
「いいんです。小西さんは、何でもお見通しなんですね」
「そういうわけでは…」
触れて欲しくないことだったのかもしれない。
でも、『今は仕事が恋人ですから』と言っていたが、何かあったのか…。
「ごめんなさい。気になさらないで下さいね」
「飲みましょう」と高梨はお酒のメニューを取ると、悠(はるか)の前に差し出す。
既にほんのりと頬を染めている彼女に何が…。
悠(はるか)はなぜか、引っ掛かって仕方がなかった。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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