LAST Valentine Day
STORY3


あぁ…疲れたなぁ―――。

時計を見れば21時を少し回ったところ、まだ点々と残っている人はいるけれど、その中に女性の姿は自分だけ。
デートだからとおしゃれして会社に来ることも、定時近くなると時計を気にしてソワソワするなんてこともない。
彼氏という存在がなくなって一体、どれくらいの日々を過ごしてきただろう?
これじゃあ、みんなに仕事に生きる女に思われてるのかも。
かもじゃなくて、そう思われてるわよね。
紫苑(しおん)はふっと溜め息を吐くと、再びパソコンの画面に向かい規則正しくキーを打つ音だけが響いていた。

「頑張ってるな」

「ほれ」とデスクの上に置かれた缶コーヒー。
隣の既に帰宅して主がいない席に隼人(はやと)はどっかと腰を下ろすと、深く椅子の背に凭れてもう一つ手にしていた缶コーヒーをバシャバシャっと勢いよく上下に数回振った後、プルタブを引く。

「ありがとう」

「どういたしまして」と微笑む隼人に「遠慮なくいただきます」と返して、紫苑(しおん)も同じように上下に数回缶を振ってプルタブを引く。
ちょっと休憩をしようかとも思っていたが、ついついあと少しもうちょっとと仕事を続けてしまい、なかなか区切りを付けられずにいたから彼の気遣いはとってもありがたい。
しかし、いつも彼が残っているのを知っていながらこういうところが女らしくないところ、反省しなければと思う。

「城野こそ、大変そうね」
「俺?まぁ、うちはいつもこんな感じだからな」

せっかく彼がこうしてコーヒーを持って来てくれたというのに、なぜか会話が途切れてしまう。
何か気の聞いた話でもできればいいのだが、残念ながら紫苑(しおん)にはそんな言葉は浮かんでこない。

「なぁ」
「ん?」
「朝倉って、付き合ってるやつとかいないのか?」
「は?―――ゲホっゲホっ」

隼人のあまりに唐突な質問に、紫苑(しおん)は飲んでいたコーヒーが気管に入って咽た。
…何よ、いきなりっ。

「大丈夫かよ」
「…っ大丈…夫…じゃ…ない…わ…よ。―――ゲホっゲホっ」

涙目になりながらも咳き込んでいる紫苑(しおん)の背中を隼人が摩ってくれたのだが、それが変に鼓動を早め、返って咳がひどくなるような気がした。

「城野が、変なこと聞くからっ」
「いや、どうなのかなって思ったからさ」
「あたしのことなんか、どうでもいいでしょ?そういう、城野はどうなのよ」

…そうよね?あたしのことより、城野はどうなの?
あんなチョコレートをあげた手前、それを聞くのはものすごく怖いんだけど…。
こんなところでこんな話になるとは思わなくて、もしもここで『すっげぇ、可愛い彼女がいるんだ』などとノロケられた日には、どうしていいかわからない。
明日から会社に来れないかもしれないわ。

目を合わせられなくて、紫苑(しおん)は持っていた缶コーヒーをクルクルと手の中で回していた。

「俺?どう思う?」
「別にどうって…」

…こっちが聞いてるんだから、疑問系で返すのやめてくれない?
早く答えを聞きたいのに焦らされて、心臓が止まりそう。

「俺さ、妹がいるんだ。3歳年下の」

彼に妹がいるということは紫苑(しおん)も聞いて知っていたが、それと自分に彼女がいるかいないかという質問の答えと何の関係があるのだろう?

「あいつが嫁に行くまで、当分彼女はいいんだ」
「えっ、城野って―――」

…うそ、城野ってシスコンだったの?!
あたしには兄がいないから、そういうのはわからないけど。
っていうか、弟だからもしかして…うわぁっ、考えただけでも嫌〜そんなことぉ。
あの弟が、あたしを?
あり得な〜い。

勝手に頭の中で想像を最大限に膨らませている紫苑(しおん)を隼人は呆れ顔で見つめながら、残りのコーヒーを一気に飲み干す。

「あのなぁ、誰がシスコンだっつうの」
「だってぇ」

「違うの?」と疑いの眼差しで見つめてくる紫苑(しおん)に隼人はガックリと肩を落とすしかない。
こんな言い方をすれば誰だってシスコンと思うかもしれないが、そこまで強い思い入れはないものの、多少は気になっているのは確か。

…今時、妹が嫁に行くまで彼女はいいんだなんて言うお兄さん、聞いたことないもの。
それとも、よっぽど可愛いのかしら?城野の妹って。
あっ、でもということは、彼には彼女がいないってことになるのよね。
シスコンは微妙だけど、ものすごくホッとしてる自分がいるのも確かだった。

「焦って作る必要もないってことだよ」
「いないんだ、彼女」
「安心したか?いなくて」
「はぁ?何であたしがっ」

慌てて言い返しても、もう遅い。
…やだっ、あたしったら今どんな顔してたかしら。
嬉しそうな顔とかしちゃった?

「朝倉はどうなんだよ。付き合ってる男、いるのか?」
「いるわけないでしょ。いたら、こんな時間まで毎日残業してないわよ」
「それも、そうだよな」
「ちょっとっ、そこ簡単に納得しないでくれる?いや、実は家で彼氏が待ってるんじゃないかとか言ってくれてもいいじゃない」

ムキになって言い返してくる紫苑(しおん)が可愛いというか、こういうところが彼女らしいのだと思う。
ふと、今日はさっさと帰ってしまっていたが、『あれだけのいい女だぞ?いない方が、おかしいだろ』と言っていた船箕(ふなみ)の言葉を思い出す。
―――そうなんだよな。
いつもこんな感じで接していたせいか、目の前にいる彼女がどれだけいい女なのかなんてことに気付いていなかった。
その彼女が、どういうつもりであのチョコレートを…。
今ここで、問い質せるものなら問い質したい。

「あたしね―――」

ポツリと言った彼女の言葉に一瞬、何を言われたのかわからなかった。
隼人の中で、音も時間も全てが止まる。

「朝倉」
「おしゃべりしてたら、帰れなくなっちゃう」

「仕事、仕事」と何事もなかったようにパソコンの画面に向かってキーを叩き始める彼女を隼人はただジッと見つめていることしかできなかった。


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