さすがに売れっ子俳優ともなれば住んでいるマンションも豪華、いつもドアの前までしか来ないし中もちらっとしか見たことがない。
玄関ホールだけで、未来(みく)の家のキッチンが納まってしまいそうなくらいだった。
今はそんなことに関心している場合じゃないけれど…。
「そんなとこで突っ立ってないで、早く入れば?」
「あのね、吉原(よしはら)君。私は、これ以上先に入ることはできないの」
「事務所の決まりかよ」
大和(やまと)の言うような規定は残念ながら、S企画には存在しない。
芸能界に於いて些細なスキャンダルでも命取りになることを誰もが頭の隅に置きながらこの仕事をしているという社員を信頼したい社長の意向ではあったが、逆にあったらより強く拒めるのに…。
「そういうわけじゃ」
「だったら、いいだろ?一応、仕事絡みなんだしさ」
仕事絡みなんだと言われれば、そう言えなくもないけれど、だからといってやっぱりこのまま入るのはどうなのか。
ただ、CDを聴かせてもらうだけとはいっても、いつどこで誰が監視しているかなんてわからない。
マネージャーとて男と女、何時間も家から出て来なかったらもしものことがあって疑われても否定できないのだ。
悲しいけれど、この業界に身を置く者にプライベートなんてあってないようなもの。
それより、未来の軽率な行動によって、せっかくの才能ももちろんのこと、彼の一生までもダメにしてしまうことの方が問題だ。
「なら、CDを貸してもらえないかしら。自宅でゆっくり聴かせてもらうわ。今日は、吉原君も疲れているでしょうし」
勢いで家の中に入ってしまったけれど、無理にここで聴く必要もないわけで、借りて帰る分には何の問題もないはず。
「未来は、歌だけ聴けばいいのか?俺がどんな思いで作ったかとか、そういうの聞きたくないのかよ」
「どんな思い―――」
自身で作詞作曲を手掛ける彼にとって、作品全てに深い思い入れがあるのだということ。
メディアには数多く登場するものの、プライベートな部分は一切明かさすことはなかった大和だから、そういった奥に隠された心情は誰にもわからない。
それを彼の口から聞くことができるなら…。
「歌はずっと好きで、高校に入ってすぐに友達とバンドを組んでたんだ。曲も、見よう見真似で作ってた」
「今聴くと、とてもじゃないけど恥ずかしくって」と話す大和は、俳優よりも初めはミュージシャン志望だったのだ。
高校2年の時、学校帰りに同級生達と寄り道していたところをスカウトされたが、それは彼の類まれな容姿にあった。
もちろん、演技力にも優れたものを持っていたこともあったし、最近になってようやく歌手活動に乗り出したのは、ある程度俳優業での評価が認められたのと彼が自らその封印を解いたから。
今でも俳優という肩書きは変わらないが、歌は永遠に大事にしていきたいものの一つに間違いはない。
「こんな話すんのは、未来だけだな」
恋人にさえも話さなかった自分のこと。
歌に込めた思い。
「吉原君…」
「もっと、未来と話がしたい。俺達って、そういうこともしちゃいけないのか」
ここで帰ったら、歌に対する彼の気持ちや思いを二度と聞くことはできないだろう。
マネージャーとして、未来個人としても、彼ともっと話をしなければいけないような気がした。
「わかったわ。そんなに長い時間ってわけにもいかないから、1時間だけ」
「あぁ、今日だけじゃないしな」
いつもというわけにもいかないけれど、こういう時間もきっと今の二人には大切なものだから。
「お邪魔します」と廊下を抜けてガラスのドアを開けると、そこはかなり広いリビングになっていた。
ファッションにもあれだけこだわりがある大和、インテリアにもそういうところはきっちり表れているよう。
世の乙女達が想像しているであろう俳優、吉原 大和のイメージがそのままそこにあったといってもいい。
独り占めしている未来は、なんと贅沢なのだろうか。
「適当にその辺に座って」
未来が黒いレザーのソファーに座ると、彼の物以外にずらっと並べられたCDラックから何枚かを取り出して選び始めた大和のその表情は真剣で、思わず見惚れてしまう。
その側には、かなり使い込まれた古いギター。
―――吉原君は、このギターで曲を作っているのかしら?
生歌なんて聴いた日には、卒倒ものだわ。
「これなんか、どう?」
「本当なら、1stアルバムから順に聴いてもらった方がいいかもしれないんだけど」と渡されたのは、2ndアルバム。
彼が今までにリリースしたのは、まだデビューして間もないこともあって3枚のアルバムと5枚のシングル。
アルバムには収録されていないシングルのカップリング曲も、実はCMソングに起用されたりとかなり完成度が高い。
いずれもチャート初登場1位という輝かしい功績だったが、特にこの2枚目のアルバムが彼の今を決定付けたといってもいい。
最新アルバムはその上をいくものといわれているが、まずは2ndアルバムを聴いてからの方がより受け入れやすいから。
選んでもらったそれを早速、CDプレイヤーにセットしてもらう。
音楽といえばパソコンかポータブルプレイヤーでしか聴かない未来が初めて目にするオーディオ機器は、とにかく音が素晴らしい。
歌詞カードを開いて目で追いながら大和の声に聞き惚れる未来の予想に反して、恋愛を歌ったものが多いのには驚きだったかもしれない。
―――さっき、歌っていたのもそうだったかも。
それは、時に別れだったり、付き合い始めたばかりのドキドキ感だったり、応援歌だったり。
そんな恋を今まで彼はしてきたのだろうか?
中でも未来が一番気に入ったのは、ラストから2番目に流れた片想いしている彼女が別の男性と結ばれて失恋してしまうバラード曲。
主人公の彼が恋だけでなく何もかもがダメなんじゃないかと自分を責める悲しく辛い曲のはずなのに聴いていると、なぜか吹っ切れるというか、また新しい恋に仕事に頑張ろうソングとして未来には感じられたのだ。
「この曲、すごく好き。辛いんだけど、頑張ろうって気持ちになってくるの」
「あぁ、これは俺の友達のことを歌ったものなんだ」
「厳密には、俺も関わってるんだけど」と話す大和の表情は、少し複雑だ。
この曲を選んだ彼女は、らしい気がするけど。
「お友達?」
「そう。片想いしていたのが友達で、その彼女とくっ付いた男が俺」
―――え…。
そういうことだったの。
なんか聞いたらいけなかったというか、これは聞かない方がよかったんじゃないかしら。
「俺がスカウトされるまでの一年ちょっとと短い間だったけど、バンドを組んでた時の仲間でさ。その頃を思い出して大人の自分達に置き換えて作った曲。それでも、そいつとは仲が壊れるとか、そういうことはなかったんだ。感謝してるかな、そいつには」
友達が片想いしていることを知っていながら、彼女と付き合うことになった大和。
彼の想いほど自分は彼女のことを想っていたのかどうか、後ろめたさもないわけじゃなかったけれど、だからといって自分の気持ちを押し殺してまで身を引くことをその友達が望まないとわかっていた。
今もいい関係が続いているのはありがたいし、唯一この歌詞の意味を知っているのはその友達だけだということ。
そこにはたった今、未来も加わったが。
「そんなことがあったの」
「未来にはなかったのか?そういうの」
「私?私は吉原君みたいにモテないから。それに失恋するほど、恋焦がれた相手もいなかったわ」
極々、平凡に過ごして来た未来には、とても大和のようには歌詞の題材にはならないだろう。
経験してきたからこそ、それを感じたままに作品にできる彼はやっぱりすごいと思う。
「俺だってそうさ。友達の気持ちは、俺にもわからない」
失恋した挙句、その彼女を友達に取られた気持ちなど、大和には知る由もない。
しかし、それが今ならわかるような気がするのは、本当に好きな人ができたからだろうか。
「だけど、今ならわかるかもしれない」
「え?」
そう言って、未来のことをジっと見つめる大和。
視線だけで虜になってしまうというのは、こういうことを言うのだろう。
「ちょっ…吉原く…っ…やっ…」
ソファーに押し倒されて、強くくちづけられた。
怖いとかそういうことではなかったけれど、彼の考えていることがわからない。
「未来、俺は―――」
「好きなんだ」という言葉が、未来の耳の奥底に響く。
―――うそ…。
吉原君が、私を好きだなんて…。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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