何だろう、この張り詰めた空気は―――。
だけど、未来(みく)はこの雰囲気が決して嫌なものではなく、むしろ緊張感に包まれて心地よくさえ感じられたのは、彼の真剣な眼差しと情熱的な歌声にあったのかもしれない。
『未来を抱きしめて』
このタイトルを聞いて、何かを感じ取ったのは恐らく米澤くらいだっただろう。
ここにいる誰もが、そのままの意味で捉えただろうから。
「この曲、間違いなく大和(やまと)君の代表作になるわね」
いつもなら米澤が大和のレコーディングに立ち会うことはないのだが、今回に限ってはどうしても見ておきたくなったのだ。
しかし、彼は以前からレコーディングの際、スタジオ内に入れる人間は極わずかなスタッフだけと頑なに決めていた。
だから、事務所の偉い人でも本来であれば中には入れないはずだったのだが、米澤と未来の二人にだけ許可がおりていたのは大和の達ての希望だったのだ。
「そうですね。あのメロディにこんな素敵な詞が付けられる吉原君はすごいですね」
もちろん大和でなければこんなに素敵な詞を付けることはできなかったと思うし、それは未来という存在があってこそだということをまだ目の前にいる彼女は気付いていない。
「それに何ていうか、すごい気迫みたいなものを感じます」
未来がSCOOPを担当していた時はいつもレコーディングには立ち会っていたが、若い女の子が5人も集まればそれはそれは賑やかで。
彼女達は自身で作詞作曲を手掛けるわけではないけれど、だからといってただ与えられたものをこなしているわけではなく、彼女達なりに個性を出しながらもいいものを作るために一生懸命努力をしてきたと思う。
それでも、彼に関していえば圧倒的な大きさに未来の概念を覆すほどのこれがプロなんだというものを見せ付けられた気がした。
「そうね。でも、私にはそれ以上に愛を感じるのは気のせい?」
「愛…ですか?」
意味がわからないという顔で問う未来だったが、米澤はそんな彼女は放っておいて、ガラスの向こう側にいる大和に視線を向けた。
レコーディングが無事に終ると別人のように和んだ表情を見せる大和だったが、このギャップも彼の魅力の一つなのかもしれないと未来は思う。
彼の声に合わせて音に加工を施せば完成、とはいってもシングルリリースのためのCDジャケットとプロモーションビデオの撮影もあるから、そうのんびりもしていられない。
「吉原(よしはら)君、お疲れ様」
ブースから出てきた大和に未来が声を掛けると真っ先に「どうだった?」と感想を求めてくるあたり、彼と共に作品を作り上げてきた仲間達から見るとかなり意外に受け止めたのは事実。
それもそのはず、全てに於いて絶対の自信を持っていた大和が人に感想を求めることなど、これまで一度だってなかったからだ。
「すごく良かったわよ。声も出ていたし、でも」
「でも?」
大和の表情が一瞬曇ったのがわかったが、曲も彼の声も素直にいいと思えたし、これは決してケチをつけようとかそういうわけではない。
確かに何度も繰り返し納得がいくまで歌い直して、完璧に作られたサウンドに乗せて聴くこの曲は文句なしにいいのだが、自然体のままギター一本の弾き語りで聴いた未来にとっては、そっちの方がより一層声に深みが増して吉原 大和、本来の味が出ているように思えてならなかった。
「ギター一本で歌う吉原君もいいかなって思ったの。ほら、私は先にそっちを聞いたから。ごめんね、余計なことを言って」
―――あぁ、私ったらでしゃばって余計なことを言っちゃったわ…。
素人が口を挟むべきではなかったと、腕を組んで考え込んでしまった大和に弁解したところで今更遅い。
「それ、おもしろいかも」
「へ?」
「すみませ〜ん、もう一度やってもいいですか」と未来に理由も言わず、再びブース内に入ってしまった大和。
椅子に腰掛け、その手には彼の部屋にあった愛用のギターが。
レコーディングの時は必ずスタジオまで持って来て、ギターで音を確かめながら歌うのが彼のスタイルだったが、まさかこれでレコーディングをやり直そうとしているのでは…。
「えっ、ちょっ、あの…」
「時間が」という未来の声が届くはずもなく、大和はギターを奏で始めたが、静かに歌う彼の声に誰もが聞き惚れたのは言うまでもなかった。
+++
『未来ちゃん、大変っ!! 大和君の相手の女性は誰ってスポンサーさんとうちの事務所に電話が殺到して』
という電話が米澤から未来の元に入ったのは、CMがオンエアされてすぐのことだった。
大方の予想はしていたものの、ここまで反響が大きかったのは見たこともない女性が大和とキスしていたからに違いない。
覚悟はできていたが、蓋を開けてみればどうやらそうではないらしい。
『どこで、どう動くかわからないわね』とは、米澤の感想。
大和の相手だからということではなく、未来自身を知りたいという憧れの方が大多数を占めていたのはやはり自然体の彼女だったからだろう。
自然体と言えばもう一つ、最終的にCMでは大和のギターでの弾き語りバージョンを使ったのだが、これがヤケに評判が良くて、CDに入れる予定がなかったのを急遽カップリングとして入れるという話が出ているところ。
彼のことが話題になるのは万々歳だったけれど、マネージャーの未来にそれが及ぶのは考えもの。
正体を一切公にしないというのが本人の意向である以上、それは約束通りしっかりと守られたが、あるテレビ番組の芸能コーナーでは短い特集まで組まれるほど注目度は高かった。
なのにも関わらず、これを利用しない手はないとCDジャケットの写真とプロモーションビデオにまでまたもや未来が出る羽目に。
「もう、お願いだから私のことはそっとしておいて欲しいのに」
今からプロモーションビデオの撮影に出掛けなければならず、大和を迎えに来た途端、愚痴が未来の口から溢れ出した。
「何だよ。未来は、俺と一緒は嫌なのか?」
実を言うと、この配役については大和の意向がかなり強く反映されていたのだ。
注目を浴びている今なら、大っぴらに未来を起用することができるし、何より彼女の変身した姿がもう一度見られる。
それとは裏腹に未来にしてみれば、変わることで自分だということが知られてしまうのが怖かった。
「そうじゃないけど…。何度も言うけど、私はマネージャーなのよ?他に適役の人ならたくさんいるでしょうに」
こんなことを言うと『彼を売るためなら何だってやるの』と言った米澤にまた小言を言われそうだが、一度目は引き受けても二度目はどうなのか。
それに、このままズルズルといって何か厄介なことにはならないだろうか。
「まぁ、そう言うなって。今度は台詞もないし、キスもしないから」
「そういう問題じゃないでしょ」
呆れ顔の未来がアクセルを踏む横で、大和は嬉しそうに微笑んでいる。
いつの間に彼は、隣のシートに座るようになったのだろう。
段々、この距離が縮まっていくことが嬉しくもあり、その反面不安が募るのはどうしてなのか。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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