「こんな時間まで付き合わせちゃって、ごめんね。明日も朝早いのに」
「そんなことないさ。未来(みく)の手料理はマジで美味かったし、星☆☆☆☆☆あげてもいいくらい。今夜は久し振りに楽しい、最高のディナーだったよ」
「ありがとう」とバックミラー越しに大和(やまと)にこんなふうに言われると、未来は何だか照れくさい。
最近疲れ気味の彼に少しでも体にいいものをと考えたのが薬膳中華だったが、にわか仕込みではっきり言って自信なんてなかった。
どこかお店に連れて行こうとも思ったけれど、どこにいても俳優 吉原 大和(よしはら やまと)でいなければならないんじゃないか。
景や麗ちゃんにまで協力してもらい返って迷惑を掛けてしまったが、彼が本当にそう思ってくれているのなら良かった。
「おまけにいいもんまで見せてもらったしな」
「???」
―――いいものって、何かしら?
見せた覚えはないんだけど…。
そんな首を傾げる未来の後ろから顔を覗かせた大和は、囁くように言う。
「ね・が・お」
「ね・が…って…げっ、見てたの…」
「あったり前じゃん。あんな滅多に見られないものさぁ」なんて、しれっと言ってくれる大和だったが、後片付けを男性陣でやってくれていた間のほんの一瞬、未来は不覚にもソファーで眠りこけてしまったのだ。
―――あんなところを見られていたなんて…あぁ…。
寝顔って見られるの、ものすごく恥ずかしいのよねぇ。
「未来だって、疲れてたのにな」
これは麗ちゃんから聞いた話だが、この数日間は米澤さんの知り合いだという薬膳中華専門店の料理人に頼んで教えてもらっていたこと。
大和を家まで送った後、その足で店の閉店時間に合わせて行っていたなんて…。
だから、あの寝顔を見た時は嬉しさよりも、申し訳なさの方でいっぱいになった。
「あのね、私の特技って短時間で熟睡できることなの。これって、疲れ知らずなのよ?そうそう、お勧めの枕もあるんだけど、今度よかったらプレゼントするわね」
特技というか寝つきと寝起きがいいのは生まれつき、仕事柄特に睡眠には気を使っているし、ベッドや枕にもこだわっている。
これさえあれば、疲れなんてなんのその。
「そう言えば、俺がキスしても全然起きなかったもんな」
「えぇぇっ…キっ、キス!?」
「うわぁっ、未来。ちゃんと前見ろ!!」
危うく信号を見落とすところ、慌てて急ブレーキを踏んだが…それは大和君が変なことを言うから…。
眠っていたのはほんの一瞬だとばかり思っていたけど、寝顔まで見られたというのにキスまでされていたとは…。
「ごめんなさい…」
「嘘だよ、冗談冗談」
「へ?」
「チャンスだったんだけどさ、あの二人もいたからなぁ」
「ちっくしょー残念だったなぁ」と心底残念そうな表情を見せる大和。
―――やだ、嘘って…。
びっくりするじゃないのぉ。
「大和君っ」
「未来だって、グルメ番組の取材なんて言ったじゃん。お相子だろ?」
―――確かに…そう言われると返す言葉もないけど…キスなんて。
どうにも、腑に落ちない未来。
「なんなら、ちゃんとしたやつ一回しとく?」
「ちゃんとしたやつって…いっ、いい…遠慮しとくわ」
「遠慮すんなよ」
「するわよっ」
なんて、未来の言葉が今の大和に届くはずもなく…。
次の信号で止まった瞬間、前に身を乗り出してきた彼が未来の顎に手を掛けると透かさずくちづける。
―――あぁ…どうして、こうなっちゃうのかしら。
「あっ、未来ったら顔真っ赤。可愛い」
「かっ、かっかわ…」
「ほら、信号変わったぞ」
―――うぅっ…私ったら、遊ばれてるし…っていうか、大和君のキャラ違うでしょ。
ニコニコと微笑む大和の顔がバックミラーに映ったが、未来は見て見ぬフリをする。
だって、また顔が赤くなりそうだったんだもの。
+++
「大和君、おはよう」
「おはようございます。あの…」
次の日の朝、約束の時間に大和のマンションに迎えに来たのは未来ではなく米澤だった。
…どうして米澤さんが、未来に何かあったのか?
「未来ちゃん、ちょっと都合で。申し訳ないんだけど、今日は私が大和君の担当をするから」
「都合…ですか」
「もうっ、そんなにあからさまに残念って顔しないで。未来ちゃんでなきゃダメなのは、わかるんだけど」
「そういうつもりじゃ」
二人の関係がいい感じだということは米澤にもわかっているが、未来が迎えに来ないというだけで彼の落胆振りは相当なもののようだ。
理由を話したら、もっと…。
どうにか今日だけは、このまま仕事をしてもらわないと。
「私で申し訳ないんだけど、我慢してくれる?」
米澤に付いて大和はマンションを出たが、なぜか彼女の態度にすっきりしなかった。
「景さん、おはようございます。昨日は、どうもありがとうございました」
「おはよう、大和君。いや、俺は場所を提供したただけだし」
スタジオで顔を合わせた3人だったが、「おはようございます。今日は、よろしくお願いします」と米澤がマネージャーとして現れても景は特に反応もせず、「米澤さん、おはようございます。こちらこそ、よろしくお願いします」と、会話からしてむしろそれを事前に知っていたかのよう。
「大和君、早速だけど」
「あっ、はい」
景の用意した衣装に着替えるために一緒に控え室へ向かう。
これからメンズ向けファッション誌の撮影があるのだが、今回はK’s-1の特集ページが組まれ、最近ではこういったモデルとしての仕事も増えていた。
「これ、昨日見せてもらったやつですか?」
「同じシリーズなんだけど、これは別。ちょっと、大和君の反応を先に見たくてね」
そこに並べられていたのは昨日、景の家に行った時に見せてもらった最新作のデニム素材と同シリーズで“等身大の自分”というテーマは変わらないが、ここにあるのは大和のためにデザインした特別バージョン。
サイズももちろん、彼のためだけの一点物だ。
「これ、めちゃめちゃ気に入ってたんで嬉しいです」
「後で、着心地の感想も聞かせて欲しいんだけど」
「はい。えっと景さん、未来は今日都合でって米澤さんが言ってましたけど、何でか知ってますか?」
「えっ、都合?」
…米澤さんも、大和君に疑われないような理由を適当に言っておいてくれればいいのに。
動揺したのが、気付かれなければいいが。
「さぁ、俺は特に聞いてないけど」
「そうですか。なんか景さんは、未来が来ないの知ってるみたいだったんで」
誤魔化しても、どうせ後で知られる。
疑ったままでは、きっとカメラにもその気持ちが写ってしまうかもしれない。
「実は、未来が昨日事故って」
「え?事故、事故って、景さんっ」
…事故って何だよ。
そんな大事なこと隠してたのかっ。
「落ち着いて、たいしたことは無いんだ。まぁ、ちょっとバンパーがへこんだ程度で怪我もなかったし。ただ」
事故と聞いて落ち着けという方が無理かもしれないが、興奮気味の大和を宥めるように景は言う。
「ただ、どうしたんですか」
「疲れが出てたんだろうな、一日ゆっくり休んだ方がいいと医者に言われて入院してるんだ」
大和を送った帰り、未来は自宅マンション地階の駐車場に車を入れようとしてフロント部分を柱にぶつけたまま気を失っていたところを同じマンションの住人が見つけて救急車を呼んでくれたのだ。
幸い、どこも怪我などはしていなかったのだが、極度の疲労が原因ということで大事を取って入院している。
一日ゆっくり休めば回復するとの医者の話だったし、米澤は景に連絡しただけで大和には言わないことに、もちろん未来本人の強い要望でその方がいいからと。
「どこの病院ですか」
「心配しなくても、麗ちゃんが付いてる。午後には家に帰れるから」
「大丈夫だとはわかってるんです。でも、彼女の元気な顔を見てからでないと、俺…」
…仕事が一番だってわかってる、わかってるけど。
未来の顔を見ないとダメなんだよ。
「わかった。米澤さんには俺から言っておくから、ただし1時間以内で帰って来るんだぞ。病院もここから近いし、そのくらいなら何とか」
「景さん、ありがとうございますっ」
景は未来の入院している病院と病室を教えると、誰にも見つからないように大和を外に連れ出した。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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