大和(やまと)の飛び乗ったタクシーが着いた先は、スタジオ近くにあった大学病院。
『景さん、すみません』
今頃ちょっとした騒ぎになっているかもしれない、そう心の中で謝罪しながらも、今の大和には未来(みく)のことしか考えられなかった。
倒れても『これが、私の仕事だから』と彼女は言うに決まっているが、だからといって自分の体の心配をしなくてどうする。
車の事故といっても物損だけで済んだことが幸いであったが、これがもし…。
いつの間にか、彼女が無くてはならない存在になっていた。
いや、それは初めて会った時から、感じていたことなのかもしれない。
だから、片時も離れてなんていられないんだ。
面会時間は午後からだったが、大和はこっそり入院棟のエントランスホールを抜けるとエレベーターで10階まで上がる。
深くキャップを被って家から出てきたそのままの格好だったし、病室も予め聞いていたので吉原 大和(よしはら やまと)とは周りの人にも気付かれないだろう。
しかし、不審者と勘違いされて厄介なことになっては困るから、ナースステーションの前を気付かれないように通り抜ける。
病室を確かめ、大和は開いていた入口から覗き込むようにして中を見回してみると奥にある窓際のベッドに上半身を起こし、いつも持ち歩いているスケジュールの書かれた手帳を見つめる未来の姿があった。
4つあるベッドのうち向かいは空きで他の患者さんは診察にでも行っているのだろうか、運良くいたのは未来だけだった。
「よぅ、寝てなきゃダメだろ」
「やっ、大和君。どうして…」
スケジュールを見ながら、今頃はファッション誌の撮影中のはずと未来が景のデザインしたK’s-1の新作を纏った大和のことを想像していた矢先、本人が間の前に現れて目をまん丸にして驚きを隠せない。
―――何で、大和君がここに…。
「どうしても、未来の顔が見たくてさ」
「見たくてって…それで、わざわざここに?撮影はどうしたの?」
「1時間だけ、抜け出して来た」
「抜け出して来たって」と溜め息を吐きながらも、未来だって顔が見たかったなどと言われて嬉しくないわけではないが、仕事を抜け出すというのはどうなのか。
―――あれほど、内緒にしていてって米澤さんにも景ちゃんにも言っておいたのに…。
「お医者さんは疲労が溜まっていたんだろうって、一日休めば良くなるって言っていたし。私の顔を見て元気だってわかったんだから、もういいでしょ。早くスタジオに戻りなさい」
「そんな固いことを言うなって」
「せっかく来たのに」と、大和はベッドの端に腰掛けると未来の細い体を抱きしめる。
彼女のいつもの口調に安心したが、顔色はまだ十分には戻っていないようだった。
「ちょっと、大和君」
「ったく、心配掛けんなよな」
表情は見えないけれど、頭の上から降ってきた声はいつになく低くて、未来は彼の手に自分の手を重ね、ただ「ごめんね」と謝るしかなかった。
「でも、たいしたことなくて良かった。景さんにはそう聞いてたんだけど、この目で見るまで信じられなくてさ」
「うん、今度からは気を付けなきゃ。もし、大和君を乗せててあんなことになったら大変だもの」
自分一人だったからいいものの、大和も同乗していてもしものことがあったら、それこそ取り返しのつかないことになる。
『頑張り過ぎるところがあるから』
米澤に言われたことを思い出して、過信してはいけないと反省しなければ。
「さぁ、ほんとにもう行って。みんなに迷惑掛けると申し訳ないわ。それに私も午後には退院できるし、その時には麗ちゃんにも来てもらうことになってるから大丈夫」
「あぁ、わかった。今日一日は、安静にしてるんだぞ」
「はい、言う通りにします」
未来の素直な返答に二人は顔を見合わせながら、クスクスと笑い合う。
「面会時間前なのに黙って入って来たから、見つかる前に行くわ」
「ありがとう、来てくれて嬉しかった」
不意打ちの言葉に思わず大和は未来のおでこに軽くくちづけると、「じゃあ」とスタジオに戻って行った。
ちょっと、こんなところで誰かに見られたりしたらと思いながらも、私のために大事な仕事を抜け出して会いに来てくれたなんて…。
―――え?待って、今黙って入って来たって…もうっ、大和君ったらっ。
何をやらかすか、わからないんだから。
これじゃあ、オチオチ休んでもいられないわね。
◇
「大和君には困ったものね。まさか、スタジオを抜け出して病院に行くなんて」
ファッション誌の撮影が1時間遅れたことに米澤は苛立ちを隠せない。
それを景に向かって言ったところで彼を責めるつもりはないが、大事にならならないまでも多くの人達が少なからず影響を受けることになったのは事実、大和にはもう少し立場というものを考えて行動を慎んでもらわないと。
「すみません。俺個人の判断で勝手なことをしてしまって」
「いえ、景さんだけが悪いわけじゃないんですけど」
カメラの前に立つ大和はいつもと変わらぬ姿だったが、米澤にだって気持ちがわからないでもない。
変に隠さず事実を彼に伝えて納得させる方法もあったわけだし、それをしなかった責任が米澤にもある。
「あの二人、一体どこまで進んでるのかしら」
俳優とマネージャーという関係を超え、特に大和の方が未来を一人の女性として見ていることを米澤は知っている。
彼女も彼の想いはわかっているはずだし、『二人が恋に堕ちても、別れろとは言わないつもりよ?』と言った手前、反対はしないつもりだ。
とはいっても、手放しに喜べるかというとそこは会社という組織の一員としては複雑なのである。
この時代、隠さず公にすることでよりイメージアップに繋がる可能性だってあるし、その逆になる場合ももちろん否定てきない。
どっちに転ぶかなんて、誰にもわからない。
ただ、絶頂期の大和に恋の話題はまだ早過ぎる、そして相手が未来だということも。
「俺もその辺のところはよくはわかりませんが、お互いがいい関係だとは思っています。今、二人を離せば、未来はともかく大和君は多分ダメになるでしょうね」
「そこなのよねぇ、私が今朝、迎えに行った時の大和君の顔ったらなかったわ。もう、ショックぅって感じ。これでも、まだまだイケテルって自信あったのよ?」
彼の瞳の向こう側には、恐らく未来しか映っていない。
彼女がマネージャーになったことで、大和が以前よりずっといい仕事をするようになったことは明確。
ここは、黙って目を瞑るしかないのだろう。
「米澤さんは、全然イケテますよ。大人の女性の色気を感じます」
「あら、景さんったら、嬉しいこと言ってくれるのね。私なんて、高校生の息子がいるオバサンよ?」
おチャラけたように言う米澤、若い人達と一緒に仕事をしていると自分まで若い気になるものなのかなと思うし、恋も仕事も一生懸命だったあの頃を思い出して、もう一度戻れたらなんて。
「今回のことは大目にみますけど、今後は勝手は許しませんよ。こんなことがないよう厳しくいきますからね。大和君にも、きつ〜く言っておかないと」
口では厳しい言い方をしている米澤だったが、顔は笑っている。
「はい。以後、気を付けます」
「できれば、私にも相談してね。責任は全て私が取るから」
「米澤さん、ちょっといいですか」と雑誌編集者に呼ばれた米澤は行ってしまったが。
今までずっと一人でやってきた景には、あんなふうに頼れる存在に出会ったのは初めてだったかもしれない。
…カッコいいな、米澤さんって。
つい見惚れてしまう景だった。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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