「カット!!」
「遥さん、ちょっとこっちへ」と監督の声が心なしか渋いように聞こえるのは気のせい?
―――あぁ、やっちゃった…。
最後のシーンでなんてことをやらかしたのか、本人は穴があったら入りたいほど、周りの視線が痛くて顔を上げることさえできない。
それより、早く大和君から離れなきゃっ。
慌てて彼から身を引くと、未来は一目散に監督の前へ行き、「すみませんっ。今度はちゃんとやりますからっ」と何度も何度も頭を下げる。
「いやいや、遥さん。そんなに謝らなくっていいから」
監督はいつだって優しい、それは未来がプロでないことを多少なりとも理解しているからで、恐らく責めるようなことはしないだろう。
しかし、引き受けた以上は、例え素人でもきちんとやるべきことはやらなければならないし、身勝手は許されない。
「みなさんには、ご迷惑をお掛けして」
「この手もあったか。いやぁ、こっちの方が不意打ちでインパクトも強いし、若い女性のハートをがっちり掴んだな」
「謎の男が吉原 大和だってところもまた、話題性があって。湊君もいい男だけど、彼の魔法は本物だったか」と最後の方は未来にだけ聞こえるように監督は言う。
二人のことを気付いているのか、いないのか…。
未来にしてみれば、半ば演技でないだけに見る人が見ればわかるのかもしれないが、だからこそ、これ以上のものは、そうそう撮ろうと思っても撮れるものじゃない。
真剣にモニターをチェックした後に監督が下した結論は。
「ヨシ!!これで行こう。みんな、お疲れさん。大和君も忙しいのに協力、ありがとう。いいのが撮れたよ。湊君には悪かったけど」
―――え…ちょと待ってっ。
終わりって…いいの?これで。
湊さん、呆気に取られちゃってるじゃない。
「あの、監督?」
「遥さんを撮っていると新鮮で、いつも新しい発見があるんだよ。また、是非一緒に仕事をしたいな」
「はぁ」
監督のひと言であっという間に機材を片付け、撤収を始めるスタッフ達。
いいというのだから、いいのだろうけど…。
「またもや、やられましたね。っていうか、僕が吉原さんと肩を並べようっていうのが、そもそも間違いなんですけど」
こういう展開になるとは思っていなかった湊は、ちょっと残念な結果に終わってしまったかもしれない。
しかし、今まではCMを作る側にいた人間だったのが当事者になってみると、見えてくるものもあることに気付く。
大和の存在感というか、一見彼とはわからないような姿を装っても生まれ持ったオーラのようなものが取り巻いているし、所詮素人は素人だと認識させられたが、そんな中にも未来のミステリアスな魅力に益々、惹かれてしまう。
監督が彼女を起用する理由、想定外のことでもプラスに受け入れる柔軟さ。
いいものを作るには、白か黒か割り切れないこともある。
「湊さん、残念だったな」
「もうっ、大和君ったらっ」
気持ちを隠さない大和が、湊にしてみれば羨ましくさえ思えた。
…あぁ、彼女欲しいな。
できることなら、自分にも恋の魔法をかけて欲しい。
+++
何の問題もなく?CM撮影も無事終了したが、完成したばかりのCMの入ったDVDを一人会議室で見ていた米澤は、聞いていたストーリーと違う出来栄えにニヤニヤと頬を緩ませていた。
これは監督が狙ったものではなく、恐らく未来のアドリブなんだろう。
…なんとまぁ、わかりやすい。
少々、湊がかわいそうにも思えたが、彼が背中を押したのが愛する人ではどんな素晴らしい男だって太刀打ちできるはずがない。
未来もやるなぁと感心しながらも、これはかなりの反響を呼ぶに違いないだろう。
3人が3人とも、素性を公表していないだけに憶測が飛び交うことは必至。
…化粧品会社他、関係者には念には念を押しておかなければ。
最近の週刊誌は話題が乏しいことと、景気悪化で部数の売り上げが低迷していることから、必要以上にマークが激しくなっていた。
こんな時に大和と未来の仲が知れるようなことになれば、どうなるか。
大和のことだから、包み隠さずファンの前で正直に全てを話し、それを逆手に彼女と挙式なんてことを考えるに違いない。
確かに年上の彼女を守る一途な男として世の女性の賞賛を浴びるかもしれないが、米澤の長年の経験からそれも一時のことだろう。
おしどり夫婦と言われ、テレビのバラエティなどに顔を出す大和など想像できないし、彼は永遠に女性の心を掴んで止まないミステリアスなスターであり続けなければならないのだ。
コンコン───
「失礼します。米澤さん、未来さんが出演したCMのポスターの件で共立エージェンシーの担当の方がいらしてますが」
「じゃあ、こっちに通してもらえる?」
「コーヒーもお願い」と米澤が頼むと「はい。わかりました」と事務の女性が答えた。
CM撮影だけでなく、駅や電車内の吊り広告として張り出されるポスターは、宣伝には必要不可欠。
今回は、都内をグルっと走る電車の車両を丸ごと『恋の魔法』キャンペーンに使うとスポンサーさんは意気込んでいるのだ。
実を言うと米澤自身が一番楽しみにしていることで、CMオンエアの前に予告ナシ、一日限定で走らせる予定。
最後まで、大和でさえも秘密にする予定ではあるが、これは反響次第だろう。
再び、ノックの後に「失礼します」とトレーに載せたコーヒーを持った先ほどの女性がドアを開け、後ろから担当者が入って来た。
湊の出演が急遽決まったことで代役となったが、彼もなかなかのもの。
旦那には悪いが、アイドルとは違う広告代理店に勤めるセンスのいい若い男性と交流できるこの仕事はやめられない。
◇
毎日、朝の情報番組の中でやっている芸能ニュースを欠かさず見ている未来。
───何これ…
テレビに映る自分の顔が度アップに描かれた電車を見て、空いた口が塞がらない。
中刷りやら、網棚の壁面にズラっと並んだ広告に加え、ドア上に設置されたモニターまでが『恋の魔法メイク』のキャッチフレーズだらけで埋め尽くされている。
CMでオンエアされることも、前回はこっぱずかしくて流れると思わず目を逸らしていたというのに通勤ラッシュのさなかにあんなものが街中をグルグルと走っていたとは…。
大和を迎えにマンションまで行ったはいいが、映画の撮影をすっかり忘れるところだった。
『中刷り広告が盗まれて、大変だったとか。あの女性は一体、誰なんでしょうか』
真剣な面持ちで話す、ベテラン男性キャスター。
「一体、誰なんだろうなぁ。俺も知りたいぞ」
暢気に液晶画面に向かって問い掛ける大和。
───な〜にが、俺も知りたいぞよ。
他人事なんだからっ。
ブチっとテレビのリモコンを消すと「急がないと遅れちゃう」未来は大和を急かすようにマンションから追い出すと車に乗せる。
普段、電車にはほとんどというより、全くと言っていいほど乗らない二人。
あの車両がホームに入って来た時の驚きと、中に一歩足を踏み入れた時の異様な風景。
「未来ばっかでさ、俺と湊さんの顔はあんだけかよ」
メインは未来。
20代から30代前半の若い女性をターゲットにした化粧品だけに、男性陣は脇役だ。
「あの、怪しい大和君の度アップもねぇ」
「台本無視して、そんな怪しい男の胸に飛び込んできたのは誰だったかな〜」
「なっ」未来は赤信号を見落として、危うくそのまま突っ込むところだった。
怪しかろうがなかろうが、未来にとっては愛しい彼氏。
痛いところをつかれたが、その通りだから仕方がない。
「えぇ、そうよ。私は演技でも好きじゃない人の胸には飛び込めないの」
絶対、女優には向いていないなと自分でも思う。
生憎、そのつもりもないけどっ。
「あのさぁ、そういうこと朝から言わないでくれる?」
信号が青に変わる寸前、大和は未来の甘い唇をペロっといただいた。
以前なら口に出さなかったような言葉も自然に出てくるようになった未来、本人は恐らく気付いていないかもしれないが、大和にとっては何よりも嬉しいし、二人の距離がどんどん近付いていると感じられる瞬間でもあった。
…俺だけのマネージャーだったはずなのにいつの間にか、どんどん綺麗になって。
「もうっ、大和君ったら」と頬を真っ赤にして抗議するあたりは、ちっとも変わっていないが…。
「ほら、ちゃんと前見ないと。また、キスするぞ」
そうでなくても、するけど。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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