折り返し船で東京に帰るお客さんを送った帰りだったのと本来チェックインは午後の3時だから、未来(みく)と大和は他のお客さん達と顔を合わせずに済んだ。
車窓から目に飛び込んでくる景色は、ここが東京でありながら、自分の知っているのとはまるで違う世界のように感じられた。
温暖な気候なのだろう、鬱蒼と茂る木々に普通に地植えされているアロエ。
そして、隣には俳優、吉原 大和(よしはら やまと)ではなく、今は恋人になった彼が居る。
「何か、ワクワクしてくるな。探検とかしたくなる感じ」
そう目を輝かせながら話す大和(やまと)は、少年に戻ったよう。
カメラの前に立つ彼も曲を作っている時の彼もいつだって真剣で、妥協を一切許さない常に全てを注いでいるのだという思いが伝わってくるが、今のように自然な表情を見ているとここに連れて来て良かったと未来は思つた。
頑張り過ぎていつか壊れてしまうのではないか、心のどこかにそんな気がしてならなかったから。
「こっそり、一人で出掛けたりしないでね?」
「どうかな」
「だめっ、何かあったら大変でしょ?」
彼は日本を代表するような俳優なんだから、いくら休暇だからといってハメを外して何かあったら大変だ。
未来は彼女というより、どうもマネージャー的な思考が先に出てしまうらしい。
それが、ちょっと不満の大和。
「ここへは、マネージャーと仕事をしに来たつもりはないんだけど」
「え?そういう意味じゃないの。ただ…」
何も言わずに真っ直ぐ前を向いて運転しているが、こんな会話を叔父さんに聞かれるのは微妙だけれど、ここまで来て隠すこともないだろう。
叔父さんの経営する民宿は、車で10分ほどのところにある。
海まで歩いて数分という、二人にしてみれば、なんとも贅沢な環境だろうか。
敷地内に入るとエンジンの音を聞いてか、叔母さんがわざわざ家から出て来て出迎えてくれた。
さっき、叔父は『こんな島で、舞踏会でも開くのかってくらいおしゃれしてたよ』と言っていたが、あながち大げさでもないのかも…。
「叔母さん、お久し振りです。お世話になります」
続いて大和が「はじめまして、よろしくお願いします」と挨拶すると、叔母は数秒の間見惚れていたが、慌てて「二人とも、こんなところまでようこそ。まぁまぁ、未来ちゃん、綺麗になっちゃって。大和君と並んでいると、女優さんかと思ったわ」と少々興奮気味だ。
未来をそこまで言うのは少々大げさにも思えるが、生、吉原 大和を見たのだから、それも仕方がないことなのかもしれない。
「叔母さんこそ、若々しくて」
「そりゃ、大和君が来るって聞いてから慌ててアロエパックとか、やったもの」
―――アロエパック?
効くのかしら、私も買って帰らなきゃっ。
「疲れたでしょ?さぁ、中に入ってお茶でも入れるから。それとも、私達はお邪魔かしら?」
「もうっ、叔母さんったら」
すっかりバレているが、こうして冗談で明るく返される方がこちらもずっとありがたい。
部屋に案内する途中、未来に「本物の方がずっと素敵ね」と嬉しそうに耳打ちする叔母は、ギャルそのもの。
いくつになってもいい男を前にすれば、女性はときめくものなんだろう。
実際、50前とは思えないほど、若くて美しいのだけど、チラっと叔父に目を向けると少々腑に落ちない様子ではあったが…。
古い民家を現代風にアレンジして改装した建物で、客室は2階に全部で5室だったが、この時期でもここは立地条件と叔母の手料理が人気を呼んで、予約でいっぱいだと聞いている。
今回、大和と未来が一般客と同じ客室に泊まるのは避けた方がと気を利かせてか、客室とは違う自分達の離れを提供してくれたのだ。
バス・トイレに小さなキッチンも付いていて、本来は親しい客が来た時のための部屋だったが、叔父日く、夫婦喧嘩した時には逃げ込む場なのだそうだ。
ちなみにもっぱらそこを使うのは、叔父らしいが…。
「離れは、そこを出てすぐのところよ。鍵はこれね」
未来は、叔母から離れの鍵を受け取る。
民宿の1階奥が叔父夫婦の生活空間となっているようで、そこから離れが繋がった作りになっていたが、宿泊客専用の食堂兼団らんの場とは一続きではあるものの、用がある時はインターホンでやり取りするようプライバシーは守られる。
「返って気を使わせたみたいで、すみません」
「何、言ってるのよ。息子なんて誰一人顔も見せないし、未来ちゃんが来てくれて叔母さん嬉しいのよ?」
「母さんは未来もだろうが、本音は大和君に会いたかったんだろう?」
「あら、あなたったら」
図星なのか、叔母はそれ以上弁解もせずに畳の上に腰を下ろすとテーブルに用意してあったお茶を入れ始めた。
他の4人も大きな座卓を囲んで腰を下ろしたが、椅子の生活に慣れてしまっていたせいか、畳に触れる感触がひどく懐かしくさえ感じられる。
慌しい都会での生活が嘘のよう、ごろんと横になったら子供の頃に戻りそうな気がした。
◇
叔父と叔母が何も聞かずに快く受け入れてくれたことに感謝しつつ、お昼までの間、疲れを取るために二人は部屋でゆっくりさせてもらうことにする。
本当に眺めのいい部屋で、この島が気に入ってしまった叔父夫婦の気持ちがわかるような気がした。
「叔父さんも叔母さんも、全然変わってなかったわ。前に会った時より、益々若返って元気になったみたい」
グーっと両手を上に挙げて大きく伸びをする未来を、開け放った窓から微かな潮の香りが全身を包み込む。
「いい人達だな。さすが、未来の親戚って感じ」
叔父さん叔母さん、景も、未来の周りにいる飾らない温かな人達が大和は大好きだった。
まるで、自分の家族のような。
…ご両親もそうなら、いいんだけど。
そんなふうに思いながら、縁側に胡坐を掻いて未来と同じ景色をじっと見つめている大和。その背に何十年後かの彼を思い浮かべて、二人がその時までずっと一緒にいられたらどんなにいいだろう…。
「ちょっと未来、こっちに来て」
顔だけ振り向いて、隣の空いている場所をポンポンッと叩く大和。
「なぁに?」とが答えた未来は、言われた通りにその場所に足を崩して座ると同時にいきなり彼の頭が膝の上に。
「ちょっとぉ」
「いやぁ、こういうの夢だったんだ。縁側で彼女の膝枕」
俳優として歌手として頂点を極めた男の夢が、彼女の膝枕とは…それも縁側で。
一体、誰が想像しただろう。
今まで思い描いていた彼とは全く違う。
華やかな世界の人だとばかり思っていたが、本当の彼は飾らない無邪気な少年の心を持った男性(ひと)。
前に未来が彼の体を気遣って薬膳料理を振舞ったことがあったが、不覚にも自らがうとうととしてしまい、その時に『私の特技って短時間で熟睡できることなの。これって、疲れ知らずなのよ?そうそう、お勧めの枕もあるんだけど、今度よかったらプレゼントするわね』と言ったままだったのを思い出し…。
それよりも、ずっとこの膝枕の方が彼にとっては効果がありそう。
―――調子に乗るに決まってるから、本人の前では絶対、言わないけどっ。
さっきまてはしゃいでいた子供がいつの間にか眠ってしまったかのように、小さな寝息が聞こえる。
そっと、その頬に指を滑らせるとなんてスベスベな肌なんだろう?
―――やだぁ、私よりずっときめが細かくてスベスベっ。
真っ直ぐに通った鼻筋、長い睫毛、そりゃぁ俳優なんだから整ってて当たり前と心の中で言い聞かせても肌に関しては女としてやっぱりショックぅ。
どうせなんて、手を抜いてきたバチ?
そうだ!!
叔母さんが言ってたアロエパックを早く手に入れなきゃ。
暫くの間、彼の寝顔を堪能していた未来だったが、いつの間にか自分もまた心地いい眠りに引き込まれていた。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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