Actor
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「未来(みく)…えっ、本当に未来なのか?」

大和(やまと)が驚くのも無理はない。
それよりも一番驚いているのは、当の未来の方だろう。
景のデザインした服を試着した時も驚いたが、『後はヘアスタイルとか、メイクでもっと変わるさ』と言った彼の言葉は正しかった。
恐らく、ここにいる誰もがあの冴えない地味なマネージャーの未来だとは想像すらしないに違いない。

「そんなに見ないで、余計に緊張するから」
「いや、だってさ。未来は元々、スタイルはいいと思ってたけど…」
「けど…何?」
「すっげぇ、綺麗だから」

「それに似合ってる、その服も」と純粋に思っていることを口にした大和だったが、どんなに言葉で褒めたところで目の前の彼女を賞賛し切れない。
これほどまでに変わるとは…。

「あんまり褒めないでよ、吉原(よしはら)君らしくない」
「俺は今まで、お世辞とか言ったことなんてないぞ?未来が一番、そういうとこわかってるだろ」
「そうだけど…」

―――そうなんだけど…。
自分のことは、あんまり褒めて欲しくない。
特に吉原君には…。

「よぉ、お二人さん。俺のデザインした服もピッタリで、まさにお似合いのカップルだな。未来も俺の言った通りだったし」
「未来さん、とっても綺麗ですぅ」

やっぱりという納得の表情の景に、目を潤ませながら未来のことを見つめている麗ちゃん。
今日は、大和のスタイリストも兼ねている景とそのアシスタントとして麗ちゃんがお店を休んで来てくれたけど、知っている人に見られる恥ずかしさも相俟(あいま)って緊張もピークに達していた。

「お願いだから、私のことは放っておいてちょうだい」

―――吉原君は、よく平気でいられるわね。
俳優なんだし慣れているからかもしれないが、堂々としている彼がさすがだと思うし、マネージャーとして傍から見ているだけの自分と違って、いつもこういう場に身を置いていた彼の心臓は並大抵ものじゃない。
あぁ、どうしよう…。
脈がどんどん上がっていくのがはっきりとわかるくらいで、両手の震えも止まらない。

「では、始めたいと思います。みなさん、よろしくお願いしま〜す」

スタッフの掛け声にMAXに達した未来は、息をするのも忘れてしまうほど。
苦しくて苦しくて、たまらない…。

「すみません。10分、いや5分だけ待ってもらえますか」

突然、大和の申し出に監督をはじめスタッフ一同がどうしたのかと顔を見合わせたが、真剣な眼差しで「お願いします」という彼に誰も反対はしない。

「では、5分後にスタンバイお願いしま〜す」

すぐに大和は、未来の手を取るとバスの中へ。
彼女の住むマンションの前まで彼が迎えに行き、車に乗せるというシーンが最初だったが、今回の撮影は全て野外、、移動のために用意されたバスしか二人きりになれる場所はなかった。

「大丈夫か?未来」

静かにシートに座らされて、「俺が付いてるから」という優しい声の後、包み込むように抱きしめられた。
小刻みに震える体がいつもの彼女らしくない、まるで親からはぐれた子犬のようで弱々しく小さく見えた。

「吉原君」
「ちゃんと息してるか?あのままだったら、大変なことになってたぞ」

「ゆっくりでいいから、深呼吸してみろよ」と背中を上下する彼の手が、少しずつ未来の心を落ち着かせていく。
―――吉原君は、私のことを気遣って…。
だけど、こんなんじゃとても撮影なんて無理。

「ありがとう。でも、私には―――」

その先を言いかけた時、大和が未来の左手を握り締め、そそのまま自分の左胸にあてた。

「ほら、俺だって同じなんだよ」

「そんなふうに見えてなかったと思うけど」と話す大和の鼓動は、未来の想像よりずっとずっとはるかに速い。
慣れているとばかり思っていたし、落ち着いて見えていた彼も、撮影となればやはり緊張もする。
彼女を相手役に希望したのは大和だから、本人が嫌がることを無理矢理にとは言い難い部分もあった。
それでも、他の女性(ひと)でなど考えることすらできなかったのは、大和の中に未来に対する特別な想いが芽生えていたからかもしれない。

「吉原君も?」
「その顔は、全く信じてないだろ」

「ごめん」と申し訳なさそうにく頷く未来を、大和は「何年、マネージャーやってんだよ」と軽く鼻の頭を指で小突く。
これは彼らを売ることばかりに目を向けてきた罰なのではないかと、未来は思った。
やりたいことばかり、好きなことばかりやれるほどこの業界は楽じゃないし、甘くなんてない。
本人の意思とは無関係に事が進んでいっても嫌とは言えない、食うか食われるかの世界だと知っていながら自分は一体…。
本当なら、泣き言なんて通用しない、誰も助けてなんかくれない。
こんなふうに…。

「俺が、あんなことを言わなかったら」
「そんなことないわ。何事も経験よね。これで、みんなの気持ちが少しだけわかったような気がする」

さっきまでの青ざめた彼女とは別人のような笑顔を大和に向ける。
ただでさえ、見惚れてしまうほど綺麗なのに…。
…何なんだよ、この気持ちは。
未来に会ってからというもの、自分が自分でないような、心をもて余してしまうほど。
こんなの、俺であって俺じゃない。
でも、抑えられないんだ…もう…。

「…ぁっ…」と未来が声にならない声を上げた時、大和の唇が額に触れた。
唇にしたいのは山山だったけど、せっかくメイクしているのに崩すわけにもいかないし、多分一度味わったら止めることの方が難しいだろうから。
それにお楽しみは、後に取っておかないと。

「おまじない」
「おなじない?」
「そう、ドキドキが収まる」
「えぇ、これって返って増したような気がするんだけど」

目の前に見慣れたとはいっても、あの売れっ子俳優の大和がいて、その彼にキスされて…。
いくらおまじないだと言われたって、落ち着いてなんかいられない。

「気のせいだよ。それより、もう5分経っちゃったよな。早く戻らないと撮影に響くから」

―――そうだった。
ここまできたら、肝を据えて頑張らなきゃ。
未来は心の中で、そっと呟いた。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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