ふたりの夏物語V
3


夕食の時間まではまだあったから、千夏(ちか)は少し休憩させてもらうことにする。
ホテルに自分の泊まる部屋がないと聞いた時には一瞬どうしようかと思ったが、偶然飛行機で隣の席になった男性が部屋を譲ってくれて、おまけに難航すると覚悟を決めていた脚本家の薄井 翔平(うすい しょうへい)さんとは高校の同級生だったなんて。
偶然にしては出来過ぎみたいでも現実にそうなのだから、神様に感謝しなければならないだろう。

─── 一人だったらこんなふうにゆっくりバスタイムどころじゃなかっただろうし、居候の身としては彼の好意でジャグジー付きのバスルームも貸してもらえたのは嬉しいけど…。

『覗いたりはしないから』と言われたものの、よく考えてみれば、非常事態とはいえ見ず知らずの男性と同じ部屋に泊まること自体、普通じゃない。

それより、薄井さんにやる気を起こさせる方法ね。
服もスーツしか持ってきてないから、急いで調達しなきゃ。
千夏(ちか)は優雅な時間を早々に切り上げると、近くにあるショッピングセンターに出掛けることにした。



コンコン ─────

「俺だけど、そろそろ行くか」
「はい。今、行きます」

元気のいい返事と共に開いたドアの向こう側にいた女性に目が釘付けになる。

… は?何なんだ、この変身っぷりは。
特別美人でもなく、地味だったはずの彼女はどこへ行ったんだ。

「澤山さん、どうかしました?」
「あ、いや。随分、変わるものだなと思って」

目の前の彼女は、リゾートにピッタリのフラワープリントが一際華やかな印象を与えるマキシ丈のキャミソールワンピースを身に纏っていたが、大胆なカットの胸元につい目がいってしまう。
スーツ姿からは想像できないくらいスタイルがいいということと、アップにした髪に艶やかな唇が、危うく心まで奪われてしまいそうになる。

… おいおい、俺はこんな子と同じコテージに泊まるのか?話が違うだろ。

「薄井さんは色仕掛けに弱いって聞いたので、さっき急いで買いに行ったんですけど。ダメですか?」
「よく似合ってる」

「俺の方が、色仕掛けにやられそうだ」と澤山さんは、それ以上目を合わせることなく先に部屋を出て行ってしまう。
彼は相変わらずボサボサの髪だったが、千夏(ちか)と申し合わせたかのように同じカラーのシャツを着ていて、この部屋から一緒に出るとまるで新婚さんみたい。

「待って下さいよぉ」

彼の腕に自分の腕を絡ませて寄り添う千夏(ちか)。
自分でも、どうしてこんな大胆な行動に出たのかなんて、それはリゾートに来ているということもあったかもしれないし、予想外の変身にもあっただろう。
職場で一切女の色気を出さなかったのは、そういう目で見られるのが嫌だったから。
なのに自らここまでして、関係ない澤山さんにまで…。

「おいっ」
「私は、澤山さんを誘惑したい」
「はぁ?」

「な〜んてね」とオチゃらけたように言う彼女の言葉を危うく本気にするところだった。

… 30過ぎたオジサンをからかうなよ。
心臓に悪いから。

「誘惑する相手を間違ってるだろ。俺なんかより、薄井の方がいい男だ」
「そうですか?澤山さんだってボサボサの髪型とか直せば、背も高いし、もう少しカッコ良く見えると思うんですけど」
「いいんだよ、俺はこれで」

… 年甲斐もなく、何を振り回されてるんだ俺は。

ホテルの玄関前に横付けされたタクシーに乗って、10分ほどで着いたのは高台にある白壁が印象的なコロニアル・スタイルの別荘。
何でもこの持ち主の真崎 尚哉(まさき なおや)さんは、売れっ子のコピーライターらしい。
スィートに自腹で泊まれてしまう澤山さんといい、素敵な別荘を持っている真崎さんといい、世の中にはお金持ちはたくさんいるんだなと思うと、あまりに千夏(ちか)とは住む世界が違い過ぎる。

「二人とも、いらっしゃい」

「さぁ、どうぞ」と出迎えてくれたのは、真崎さんと彼女の柚季(ゆき)さん。

─── まぁ。何て、お似合いのカップルなの?
だけど、水入らずの二人の中に私は、お邪魔じゃないのかしら…。
さっき、タクシーの中で澤山さんから真崎さんは彼女連れだと聞かされていたが、こんなに若くて素敵な人だったなんて。

「こんばんは。はじめまして、片岡 千夏(かたおか ちか)と申します。私までお招きいただき、ご迷惑では…」
「とんでもない。まさか、こんな綺麗な女性だとは思わなかったな」

真崎さんのこの言葉には、何の他意もなかったと思う。
しかし、周りの空気が瞬間的に変わったのは気のせいじゃないはず…。

「やぁ、どうしたんだ?早く中に ───── えっ、もしかして君が片岡さん?」

─── この人が、薄井さん?
澤山さんが、『俺なんかより、薄井の方がいい男だ』と言っていたけど、確かにその通り。
背は澤山さんほど高くはないが、世間一般でいうところのイケメンという部類に入ると言っていい。
はぁ、いるところにはいるものなのね。
私の周りには、いないけどっ。

「薄井さんですか、はじめまして。BSTテレビの片岡と申します。おくつろぎ中、こんなところまで押し掛けて申し訳ありませんが、見つけたからにはお仕事しっかりしてただきますよ?」
「君のように美しい女性なら大歓迎。何なら、四六時中見張っててくれても」

いい男というのは、口も上手いのか。
というより、こんな私でも、まんまと澤山さんの言っていた“色仕掛け”に引っ掛かったということだろう。
玄関先では何だからと5人はリビングを抜けて、オープンテラスに用意された席へ。

─── 何て、ロマンティックなの?これが仕事でなかったら、どんなにいいかしらねぇ。

「私も、お手伝いします」
「いいえ、片岡さんはお客様ですから、どうぞゆっくりしていて下さい。薄井さんも、お待ちかねですし」
「招かざる客ですけどね」

どうにも男性の中に一人ぽつんと置いていかれるのに居心地の悪さを感じて、私は柚季(ゆき)さんと一緒にキッチンへ入る。
彼女は料理が上手なようで、美味しそうな匂いが千夏(ちか)のお腹を刺激する。

「お仕事で来られたなんて、大変ですね」
「本当は夏休みだったんですけど、貧乏くじを引いたというか。でも、今は来て良かったなって思います」

せっかくの夏休みをと思ったが、今となってみればこれはこれで楽しいことかもしれない。

「澤山さんとは、お知り合いなんですか?」
「いいえ、全然」
「全然?」
「そう言えば、彼はゲームクリエーターの澤山 大地さんですよね?」

肝心なことを聞いていなかった。
彼が千夏(ちか)の大好きなゲームクリエーターの澤山 大地なら、尚更この仕事は楽しいものになるのだから。

「えぇ、でも全く知らないって」

─── やっぱり、ゲームクリエーターの澤山さんだったのね。
後で写真も一緒に撮って、そうだ!!サインもらっておかなきゃ。

「たまたま、行きの飛行機が隣同士で、会ったのは十数時間前?泊まるホテルも一緒だったんですけど、手違いで私の部屋が取れてなくて。だから、彼の部屋に居候させてもらってるんです。えっと、勘違いしないで下さいね。コテージスィートなのでベッドルームが3つあるし、そうしたら薄井さんと高校の同級生だと聞いて」
「そうだったの?あの澤山さんが」

… 女っタラシの尚哉さんと違って、女性とは無縁の澤山さんが。
それも、こんなに綺麗な女性(ひと)と同じホテルの部屋に。
薄井さんなんて、あからさまに目を輝かせていたから、これはおもしろいなことになったりして。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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