ふたりの夏物語V
4


─── 私は今、どこにいるんだっけ?

そんな錯覚を起こしてしまうほど、想像すらしていなかった事態。
貧乏くじ引いて仕事できたはずなのに、それもすごい面々とこんな優雅な時間(とき)を過ごしてて…。

「千夏(ちか)ちゃん、どうしたの?全然食べてないし、飲んでないし」
『千夏(ちか)ちゃん?!』

「ほらほら」と千夏(ちか)のグラスにワインを注ぐ薄井さん。
何と呼ばれようと構わないが、テレビ局では入社早々“片岡”と呼び捨てられてちっとも女扱いを受けなかった千夏(ちか)には、少々くすぐったい呼び方だった。

「いえ、何だかすごい人達ばかりなんで圧倒されてしまって」
「俺達、そんな大それたやつじゃないよ。それよりさ、大丈夫?大地と二人っきりで一つ屋根の下にいるなんてさぁ。何なら、あいつと俺が代わろうか?」

「その方が仕事も捗るし、こっちの二人にも迷惑を掛けずに済むから」と柚季(ゆき)さんと真崎さんをちらっと横目にとんでもないことを言い出す薄井さんだったが、誰が迷惑の張本人なの?と、ここにいる誰もが口には出さずともそう思ったことだろう。

「何、都合のいいこと言ってんだ、勝手に俺を追い出すな。お前と二人だけにする方がよっぽど危険だろ。だいたいなぁ、お前が逃亡なんかしないで真面目に仕事をしていれば、彼女だって夏休みを返上してまでこんなところまで追い掛けて来ないで済んだんだぞ?真崎君達だって」

─── 澤山さん、ナイスつっ込み!!
言ってやって、言ってやって。

「そうなんだけど、思うように書けなくて」

しゅんっとなってしまった薄井さん。
彼の脚本は、期待が高いだけにプレッシャーは並大抵のものではないはず。
逃げたい気持ちもわからないではないが、ここは何とか頑張ってもらうしかないのだ。

「だからって ─────」
「まぁまぁ、俺達のことは気にしないで、薄井さんもこれから頑張って書きますよ。今夜はみんな揃ったんですし、楽しくやりましょう」

真崎さんのフォローで納まったものの、こんな調子で果たして原稿は間に合うのだろうか…。

+++

次の日の朝、リビングを覗いてみたのだが、澤山さんの姿はない。
スィートというのは朝食を部屋まで運んでくれる。
気持ちのいい朝だったのでテラスに用意してもらったのだが、彼はまだ寝ているのだろうか?

コンコン ─────

「おはようございます、澤山さん。朝食の用意ができてますから。澤山さん?」

グゥオ〜〜〜
     グゥオ〜〜〜
          グゥオ〜〜〜

─── 部屋の外まで聞こえる。
朝食くらい一緒にって思ったのに、あの猛獣男ったらまだ寝てるわけ?
仕事で来たって言ってたけど、新しいゲームの製作なのか、私みたいに切羽詰まってるわけじゃないのかもしれないし。
昨晩は真崎さんの別荘ですっかり夕食をご馳走になって楽しいひと時を過ごさせてもらったけど、今日からは薄井さんにバリバリ原稿を書いてもらわなければ。
逃げられたりしたら大変っ、早く食べて側に張り付いてなきゃ。

「おはよう。早いんだな」
「あっ、澤山さん。おはようございます。ちっとも早くなんてないですよ?もう、8時過ぎてますし」

「コーヒー入れますね」とその声は、気のせいか少し弾んでいるようにも聞こえる。
相変わらずボサボサの髪で、いびきだってかくし、お世辞にも素敵とは言えない彼なのに、それは一人が寂しかったからなのか、はたまた好きなゲームクリエーターだからなのか、その辺のところは千夏(ちか)にもよくわからない。

「これから、あいつのところに行くのか?」
「えぇ、ずっと張り付いてないと。少しでも、書いてもらった原稿を向こうに送らないと間に合わないんです」
「そっか」

コーヒーを飲みながら、遠くを見つめる澤山さん。
友人でもなければ、もちろん恋人でもない、期間限定の同居人とでも言うべきなのか、元々おしゃべりな方ではないように思える彼とは何を話していいのか。

「そうだ!!あの、澤山さんって有名なゲームクリエーターですよね?」
「有名かどうか。知ってたのか、俺のこと」
「知ってますよ。名前を聞いて、もしかしてと昨日柚季(ゆき)ちゃんに確認しました。私、大ファンなんです。この仕事でも合間にと、持ってきてますし」

いつでもどこでも、千夏(ちか)は携帯ゲーム機を欠かさない。
彼の作ったゲームは、特に大好きだから。

「どんな人が作ってるんだろうって、ずっと思ってました」
「こんなやつで、残念だったな」
「そんなこともないですよ?もっと、オタクなのかなと思ってましたけど」

… オタク?どんなやつだ。
しかし、この子が俺のゲームファンだったとはな。
第一印象は真面目でゲームなんかより本を読んでいるタイプに見えたし、昨日は昨日で別人みたいに変身すると益々かけ離れて見えたが。

「こっちへは仕事で来たって言ってましたけど、新しいゲームの製作ですか?」
「まぁ、そんなところだな。海を見てると余計なことを忘れて集中できるから」
「澤山さん、ご結婚はされてないんですか?ごめんなさい、立ち入ったことを」

─── 私ったら、つい余計なことを。
だけど、ちょっと興味あるわよね。
人気ゲームクリエーターの私生活に。

「こんな男に付いてくる女性はいない」
「そうですか?お金持ちそうだし、モテそう。あぁ、でも、いびきは減点対象ですね」
「は?いびき?!」
「あれ?気付いてなかったんですか。飛行機の中から、さっきも部屋の外まで聞こえてましたよ。初めは、どこかに猛獣でもいるんだと思いましたもん」

… 嘘だろ、俺がいびき?
全然気付かなかったっていうか、そんなこと誰も言わなかったな。
その前にこの子にそれを知られたのか?
そっちの方がショックだろ。

「ショックだな…」
「誰にも言われたこと、ないんですか?」
「ない。黙ってただけかもしれないが」
「一度、病院で診てもらった方がいいかもしれませんね。いい耳鼻科、紹介しますよ」
「あぁ、その時は頼む」

─── ありゃりゃ、澤山さん落ち込んじゃった?
今はいないみたいだけど、付き合ってた彼女とか、お友達も言ってくれなかったのかな。

「そんなに気にしないで下さいね、私はいびきかいても澤山さんのファンですから。あっ、こんな時間。そろそろ、行きます。薄井さんに逃げられると困るので」

もう少しゆっくり朝食を味わいたいところだが、そうもいっていられない。

「帰る時は連絡してくれ、迎えに行くから」
「え?」
「レンタカーを借りに行くついでに迎えにいくよ」
「そんな、いいですよ。ご迷惑を掛けるわけにはいかないし」
「あいつが、何かするといけないからな」

─── あいつ?
あいつって、薄井さんのことかしら。
別に何もしないと思うんだけど…。
もしかして、心配とかしてくれたりするの?

「わかりました。じゃあ、行ってきます」

小さく手を振るとニッコリ笑う澤山さんが、何だかとても可愛く見えた。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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