「薄井さんは、どんな感じ?」
「今のところは順調だけど。ごめんね、私まで押し掛けて。彼と二人っきりでの夏休みなのに」
「ううん。彼も半分仕事だし、千夏(ちか)ちゃんとお友達になれて嬉しいから」とアイスティーを持って来てくれた柚季(ゆき)ちゃんにお礼を言ってありがたくそれを頂戴する。
色仕掛けが功を奏したのか、思ったより早いペースで薄井さんが原稿を進めてくれているので、千夏(ちか)はたった今パソコンから書き上がったものを送信したところだが、恋人とのバカンスをリゾートで過ごそうとしていたはずの別荘に入り浸るのは何だか気が引けた。
年齢も近いことからすっかり意気投合したけれど、どちらかと言えば千夏(ちか)の方が彼女と知り合えたことが嬉しかったかもしれない。
これが仕事でなかったら、目一杯羽目を外してこの瞬間を楽しむことだろう。
「私の方こそ、柚季(ゆき)ちゃんと友達になれて嬉しい。だって、職場は男の人ばっかりだし、なのに誰一人として女扱いしてくれないんだもん」
「えぇ?千夏(ちか)ちゃん、そんなに美人さんなのに?」
薄井さんがすっかり虜だというのに職場で女性扱いされていないというのはどうなのか?
実のところ、自分の彼氏である尚哉も女っタラシだっただけに初めの発言にも少々心配しなくもなかったが、さすがに改心したようでホッとしてはいたが。
「今は緊急事態でかなり頑張ってるけど、会社では髪振り乱して化粧もほとんどしてないから。現に飛行機の中ではそうだったし、それを知ってる澤山さんを見ればわかるでしょ」
「そっか。でも、澤山さんもまんざらでもなさそう」
「どうかな。私もうっかり結婚してるのか聞いちゃって、『こんな男に付いてくる女性はいない』なんて言ってたけど、ああいう人って意外にモテる気がする。何ていうか、母性本能をくすぐるタイプ?」
彼は決して一目惚れをするような素敵な男性(ひと)ではないが、知らず知らずのうちに惹きつけられてしまうような、年下の千夏(ちか)でさえも母性本能をくすぐられるようなそんな感じ。
「千夏(ちか)ちゃんも母性本能をくずぐられちゃった?」
「えっ、誰が母性本能をくすぐったって?」
「俺も混ぜてくれよ」と薄井さんが二人の会話をどこまで聞いていたのか、間に割って入ってきた。
暢気にリビングのソファーに腰掛けてくつろいでいるが、それよりも原稿を書いてもらわないとっ。
「薄井さん、休憩するには早いですよ。まだまだ、予定より大幅に遅れているんですからね」
「千夏(ちか)ちゃんの顔が見えないと書けないんだよ」
───
もうっ、口ばっかり。
さっき見張ってたら、ずっと人の顔見て話し掛けてばっかりだったじゃない。
だから、ここで待機してたのにぃ。
「はいはい。こんな顔でよければいくらでも見て構いませんが、その代わりちゃんと書いて下さいね。でないと日本に帰れません。薄井さんも、私と心中する覚悟を決めていただかないと」
「そういう言い方、快感になっちゃうな」
───
何が快感…。
周りに男の人ばかりいるといっても、こういう薄井さんのようなタイプは扱いがよくわからない。
女を武器に可愛く迫ればいいのか、それとも突き放す方がいいのか。
どっちにしても、そんな器用なことがこの私になんぞできるはずがないが…。
「お願いします。冗談じゃ、済まないんですから」
「わかってる。千夏(ちか)ちゃんに迷惑は掛けないよ。でも、いっそ二人でここに住むっていうのは
─────」
「薄井さんっ!!」
「はい…」
「書きますよ、書きますとも」と急いで立ち上がる薄井さん。
そんな二人のやり取りを見ていた柚季(ゆき)ちゃんと、ちょうど飲み物を取りに来て会話を耳にした尚哉がクスクスと笑っていたが、千夏(ちか)にしてみれば笑い事ではない。
ここで本気を出してもらわなければ、いくら人気の脚本家でも信用を失うだろうし、テレビ局は多大な損害を受けることになり、賠償問題なんてことになるかもしれない。
「いやぁ、片岡さんは強いな。見ていて気持ちがいいよ」
「ほんと。千夏(ちか)ちゃん、すごい」
そそくさと部屋に戻る薄井さんを目で追いながら、柚季(ゆき)ちゃんと尚哉は感心したように言うが、これも仕事で培った技なのか。
こんなだから、男性が逃げてしまうのかも…。
「こちらも必死なんで。ここまで来たからには、何としてでも書いてもらわなきゃ」
「今のが効いたと思うよ」
「だといいんですけど」
千夏(ちか)はその後、二人の邪魔をしてはいけないと薄井さんの部屋で要望通り見張っていたのだが、ひと言が効いたのか、彼がおチャらけた冗談を言うことは一度もなかった。
◇
夕方になって、レンタカーを借りたついでに尚哉の別荘に立ち寄った澤山。
“迎えに行く”なんて、自分らしからぬ言動に苦笑した。
…
俺と会わなくても、彼女は一人で翔平のところへ行ったはず。
そこで何かあったとしても大人なんだし、自分が口を挟む問題じゃない。
なのに彼女のことが心配だった。
親友を悪く言うつもりはないが、あの容姿と甘い言葉に惑わされた女性は少なくないことを知っている。
「澤山さん」
玄関のブザーの音にドアを開けると澤山の姿に一瞬首を傾げる柚季(ゆき)。
「あの、彼女は」
「あっ、千夏(ちか)ちゃんのお迎えですか?」
「レンタカーを借りたついでにね」
千夏(ちか)から何も聞いていなかった柚季(ゆき)は、ついでと言いつつ澤山が迎えに来たことに驚きと共にもしかしてという想像が頭を過る。
「まだ、薄井さんのこと見張ってますけど、取り敢えず中へどうぞ」
「いや、俺は車の中で」
「そう言わずにどうぞ。お茶でも入れますから」
「じゃあ、お言葉に甘えて」と澤山は家の中に入るが、翔平のことを見張っているという言葉が引っ掛かる。
…
ずっとあの二人は、密室で一緒だったのか?
彼女、免疫なさそうだし。
「千夏(ちか)ちゃんの”喝”で薄井さん、随分書けてるみたいですよ?」
「”喝”?」
「そう。『私と心中する覚悟を決めていただかないと』ってね」
「いやぁ、片岡さんはカッコ良かったよ」と通されたリビングにいた尚哉が言葉を繋げる。
迎えに来たことで薄々察したのだろう二人は聞かなくても教えてくれたが、彼女らしいというか何というか。
あいつも自業自得なんだ。
その場にいなかったことが残念。
「あっ、澤山さん」
「迎えに来てくれたんですね。わざわざすみません」と現れた千夏(ちか)につい、顔が緩んでしまう。
「もういいのか?」
「はい。薄井さんも頑張ってくれて、1日で全体の1/3は消化できましたよ。この分だと、何とか間に合いそうです」
「俺もやる気を出せばって、何だよ。お目付け役、登場か」
後ろから不満げな翔平の登場だったが、千夏(ちか)の嬉しそうな表情を見てしまうと複雑な心境だ。
どう見ても自分の方がいい男だと、自意識過剰と言われても否定しないが、どうやら彼女の視線はそう簡単には向いてはくれそうにない。
「澤山さんは、レンタカーを借りるついでに来てくれたんですよね?」
「あっ、あぁ。終わったなら帰るか」
「はい」
千夏(ちか)が先に言ってくれて、翔平にしてみればおもしろくないが、澤山はいちいち説明せずに済んでありがたい。
「せっかくだから夕食を一緒にどうですか?昨日みたいには豪華じゃないですけど」
柚季(ゆき)ちゃんの誘いは嬉しいが、昨晩もご馳走になったばかりでそう毎日は甘えていられない。
ただでさえ、今日のランチはいただいてしまったのに…。
「ううん。私は帰って適当に食べるから」
「お構いなく。なぁ、翔平」
「ギクっ…」
肩を叩かれた薄井さんは、居候の身に加えて3食おまけにおやつまでお世話になっている。
…
クソっ、大地のやつ。
俺をコケにしやがって、覚えてろよ。
恋のバトルのゴングが鳴り響く、そんな音を耳にしたのは、恐らくここに居た千夏(ちか)以外、全員だったに違いない。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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