ふたりの夏物語V
6


「これから、どこかに行くんですか?」

水平線に沈む夕日を肩に受けながら、澤山さんが運転する車が進む道は、明らかにホテルに向
かっているのとは違う。
「あぁ、この先に美味いシーフードの店があるんだ。勝手に決めたけど、海老とかカニとか、嫌いだったか?」

―――海老、カニ?!
そんなの、大好きに決まってるじゃない。

典型的な日本人が好むこの食材を千夏(ちか)が嫌いなんてありえない。
てっきり、ホテルに戻るとばかり思っていたから少々不意打ちではあったけど、美味しいと聞いて
食いつかないはずがないのだ。

「いえっ、大大大っスキ!!です。海老とカニ」

大スキと言われたのが海老とカニだったのは若干腑に落ちない澤山ではあったが、それでもこん
なに喜んでくれれば誘いがいがあるというものだ。
一人で食事をするのは慣れていても、誰かと一緒の方がやっぱり楽しいから。
それは今朝、朝食を共にして思ったことだった。
実際、澤山が女性に全然モテないわけではなく、こんなむさい男にも言い寄ってくることだって少
なくない。
どちらかと言えば、自身が女性を遠ざけていることの方が多いのに、なぜか彼女だけは別だった
かもしれない。

「好きなのは、海老とカニだけか」
「えっ、何か言いました?」
「いや、別に」

…何、言ってんだ俺は。

他に何を好きだと言って欲しかったのか、聞いたところで期待通りの答えが返ってくるとは限らな
いのに…。

+++

「今日は書かないよ」
「は?どうしたんですか、薄井さん急に」

次の日も薄井さんの滞在する真崎さんの別荘まで澤山さんに車で送ってもらったのだが、開口一
番唐突な彼の言葉に驚きを隠せない。

―――昨日まではあんなに順調だったのにいきなり書かないってどういうことよ。
もしかして、ストライキとか?

ここで書かないなんて言われても困るどころじゃ済まされない、死活問題だ。
それにしても、昨日の今日で彼に何があったというのだろうか?

「千夏(ちか)ちゃんが今日一日俺とデートしてくれたら、明日からはバリバリ書いて」

「そうだなぁ、3日以内に全部書き上げるよ。でも、ノーって言われたらどうしようかなぁ」と薄井さん
の半ば取引ともいえる提案に、さっきまでの困惑はすっかりどこかに消えて、どっと脱力感に襲われ呆れるしかない。

―――何がデートよ、調子のいいこと言ってぇ。
単にサボりたいだけじゃない。
たった一日で挫折するなんて、これじゃあ先が思いやられるわ。
だいたい、私とデートしたくらいで残りを3日で書き上げるって言うなら、先にさっさと書けばいいの
よ。

「私がノーって言ったら、どうなるんですか?」
「君がここに滞在している間には書き上がらないかも」

―――なんですって?今度は脅し?
本気なのか冗談なのか、彼がこういうことを言う人だとは思わなかったけど、ここは強気でいかな
いと付け上がるだけよ。

「それじゃあ、約束が違います。あなたは当テレビ局と契約を交わしているんですよ?とっくに期限
は過ぎてるのに。私の夏休みまで奪っておいて何ですか、その言い草は。いい大人なんですから、子供みたいな我侭言わないで下さい。デートくらい書き上げてからなら、いくらでもしてあげます」

「減るもんじゃないし」と言ってしまってから、ハっとしてももう遅い。
少し言い過ぎたかもしれないが、彼にはこれくらい言っておかないと効きそうにないだろうから。
しかし、効いたというより嬉しそうにいやニヤニヤしているのはなぜ?!

「今のも契約だね?」
「え?」

―――あ゛っ…。
ついムキになって捲くし立てるように言ってしまったが、『減るもんじゃないし』なんて、これじゃあ結
局彼の言いなりじゃないっ。
あぁ…。

「う〜ん、どこに行こうかな。いくらでもってことは、日本に帰ってからでもいいんだよね?」

「じゃあ、張り切って書かなきゃな」と、いきなり目を輝かせながらパソコンの前に向かう薄井さん。
彼はいい男だし、ちょっと軽いところを除けば…だからといって、いくらでもは余計だった。。。



「どうした?翔平のやつ、今日は思ったより書いてくれなかったのか」

マメな澤山さんは、というより実際は薄井さんのことが気になって、その日の夕方も千夏(ちか)のことを車で迎えに来てくれたのだが、どうも彼女はお疲れの様子。

「いいえ、昨日以上に頑張って書いてくれましたよ?あと3日で書き上げてくれるそうですし」
「そのわりにお疲れモードのようだけど」

澤山さんの言うようにどっと疲れが出たのか、千夏(ちか)はホテルに戻るなり、リビングのソファーに横たわるようにして体を沈めた。

「薄井さんに取引させられたんです」
「取引?」
「えぇ、私とデートしないと滞在中には書き上がらないって」

これを聞いて千夏(ちか)のお疲れモードの理由がわかったのだろう、「やれやれ、あいつの言い出しそうなことだな」と澤山さんは冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと2つのグラスに注いで、1つを千夏(ちか)がごろんと横になっていた側のサイドテーブルに置く。
綺麗な女性を前に何事もなく仕事をしていたこと自体、彼らしからぬ行動だと思っていたが、やっぱりついに本性が出たのだろう。
デートだけならまだいいが、今までその甘い罠にはまった蝶は数知れず。
黙って見て見ぬフリをしてきた澤山も、彼女がその一人になることだけはいくら親友でも許すことはできそうにない。

「私もついカッと。まんまと薄井さんの口車に乗って契約させられましたよ」

上半身だけ体を起こすと、グラスのミネラルウォーターを一気飲みする千夏(ちか)。
これでも、かなり脚本が出来上がったから文句も言えないのだが…。

「あいつの手だ」
「そういうことは、ちゃんと言っておいてくれないと」
「悪かったな。君に迷惑がかからないように後で俺からも言っとくから」
「あ〜っ、こういうときはパーッとやろう」

「何を?」と聞こうとした時には、千夏(ちか)は勢い良く立ち上がって自分の使っている寝室に行ってしまう。
そして、すぐに戻って来たかと思うと、彼女はソファーの上に胡坐をかいて座ると何やらピコピコという音と共に素早く手を動かし始める。

「こういう時はゲームをやるのが一番です。澤山さん、役に立ってますよ」
「あ?そりゃどうも」

『あ゛っ〜』とか意味不明の声を発しながらゲームをやっている女性の姿は、かなり微妙だと作った本人は初めて知った。
それも、第一印象とは全く別の意味でゲームとは無縁の彼女なら尚のこと。

「これ、どうしても攻略できないんです。澤山さん、作ったんですから教えて下さいよ」
「いや、俺は作っただけだから」
「そんな無責任なっ」
「無責任とか言われても、俺が知るか―――」

「はいはい、教えればいいんだろ。教えれば」と澤山さんは千夏(ちか)の隣に腰を下ろすと、あれこれと攻略法を教えてくれたのだが、そのせいか食事も忘れ、いつまでも部屋の明かりが消えることはなかった。


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