ふたりの夏物語V
7


「もしもし、俺。澤山だけど」

すっかりゲーム疲れしてソファーで眠りこけている千夏(ちか)を起こさないよう、澤山は翔平に電話を掛けた。
その寝顔は幼い少女のようにあどけなくて、普段の彼女とはまた別の一面を見たような気がした。

『おぉ、大地。どうした?』
「お前さぁ、彼女と取引しただろ」
『取引?』

取引と言われて一瞬、何のことかわからない翔平だったが、その後に『あぁ〜』と思い出したように声を上げた。

…何が、『あぁ〜』だ。
仕事に私情を挟みやがって。
心の中でそう思ったが、ここは冷静に対処することに勤める。

「デートしてくれたら、3日で書き上げるとかなんとか。だいたい、お前が期限内に仕事しないから、彼女は自分の夏休みまで削ってこんなところまで来る羽目になったっていうのに。少しは反省するとかないのか、いい大人が。彼女のことだ、書いてもらうためなら、お前の悪巧みにも嫌と言えないだろう。そういうところに付け込むなんて、男としてだな―――おいっ、聞いてるのかよ」
『ちゃんと聞いてるさ。千夏(ちか)ちゃんは、俺のために夏休みがなくなった上にデートしなきゃ書かないなんて取引して、それは男として最低だ。だろ?』
「よくわかってるじゃないか。で、お前は俺にこれだけ言われてどうなんだ」
『いやぁ、大地がこんなふうに女性のことで熱くなるなんて、珍しいなぁと』
「あのなぁ」

「それだけかよ」と呆れて、澤山もこれ以上言葉が出ない。
…ちっとも、聞いてないじゃないか。

澤山は空いているソファーに深く腰掛けて天井を見上げたが、薄井の言う通り自分でもどうしてこんなに熱くなっているのか正直よくわからない。
彼女に聞いた時は、翔平のやりそうなことだと思ったし、今までその手のことに対して特に口を挟んだりはしなかった。
翔平本人も相手を傷つけるような真似だけはしないことを澤山はわかっていたからだったが、どうして今回に限ってこんなふうに言ったのだろう。

『いいだろ?デートくらい。大地は1つ屋根の下で、いつだって千夏(ちか)ちゃんとヨロシクできるんだし』
「ヨロシクって、俺がいつ!!お前と違って、不純な考えはこれっぽっちも持ってないんだよ」
『マジで?』
「は?当たり前だろ」

彼女の部屋が予約できていなかったのは、少なからず自分のせいでもあるわけだし、それでもこんな男と同じコテージで過ごしても嫌な顔1つしない。
…ヨロシクなんて、できるはずがないだろう。

『いや、だって。あんなにいい女なのに?こう、男の本能みたいのが、ムラムラっときたりしないのかよ』

…ムラムラってなぁ。
こんな会話は、絶対女性には聞かれたくない。
澤山はチラっと眠っている千夏(ちか)に視線を向けるも、スヤスヤと寝息を立てていて、当分目覚めそうにはないことにホッとする。

「しないって言ったら嘘になるかもしれないが、だからといってこの状況をいいことにお前みたいな悪事を働くわけにいかないだろう。それに彼女にとって、俺はカッコいい男じゃない」

いびきをかく男なんて、幻滅だろ。
…ただでさえ、猛獣とか言われてんのに。

『大地は、自分が思ってるほど悪い男じゃない。少なくとも俺はそうだし、千夏(ちか)ちゃんも、そういうところはわかってるさ』
「お前が俺を誉めるなんて、薄気味悪いな。何か起きなきゃいいけど」
『たまにはな』

何でこんな話になったのか、そもそも翔平がとんでもない取引を彼女としたからで、それをやめさせるために電話を掛けたはずなのに。

「俺も、お前はいい男だと思うよ。だけど、もっといい男になりたかったら、女性を困らせるようなことはするな」
『わかったよ。彼女に言っておいてくれ。3日で原稿を書き上げるのは本当だって。だから、その日まで来なくていいってね』

『二人の夏を満喫して。じゃあな、おやすみ』と締めくくって、彼は電話を切った。

「何が二人でだ。カッコ付けやがって」

ポツリとつぶやくと澤山は翔平らしいなとふっと微笑むと、暫くの間、彼女の寝顔を独り占めしていた。

+++

「ん?あれ?」

―――そう言えば、昨日はゲームしてそのままソファーで寝ちゃったはず…。
なのにどうして、ベッドで寝ているのだろう?

時計は8時の針をさそうとしていたが、千夏(ちか)はゆっくり起き上がって取り敢えずシャワーを浴びてからリビングに行くと既に朝食の準備は整っていて、先に起きていた澤山はここへ来てからずっと閉じたままになっていたプールサイドのパラソルを開いていた。

「おはようございます。澤山さん、プールで泳ぐんですか?」
「あぁ、おはよう。俺は、君が泳ぐんじゃないかと思って」
「えっ、私が?」

なぜ、彼がそんなことを言ったのか、ここへ来た目的を知っているはずで千夏(ちか)には優雅にプールで泳ぐ時間も余裕もないというのに。

「3日で原稿は書き上げるから、その日まで来なくていいと翔平が君に伝えて欲しいって」
「え?薄井さんが」

「夏を満喫して」と、だから澤山さんがパラソルを開いていたのだと千夏(ちか)はやっと理解することができた。
しかし、どうして急にそんなことになったのだろう。

―――もしかして、『後で俺からも言っとくから』って、澤山さんが話してくれたのかな。
だとしたら、嬉しいけど…。

「澤山さんが、薄井さんに話してくれたんですか?」
「君が気にすることじゃない。さぁ、今日もいい天気だし、朝食にするか」

そう言って手を洗っている澤山さんを見ながら、千夏(ちか)が、コーヒーポットからカップに注ぐ。
本当に3日で書き上げてくれるのか、そこは薄井さんを信じるしかないわけだけど、彼は少々軽いところもあるが、自分の言ったことに対してはきちんと守るタイプだと思うから。

―――だけど、『君が泳ぐんじゃないかと思って』って…。
妙に嬉しそうだった澤山さんが、どうも気になるのよねぇ。
水着なんて必要ないってここに来るまでそう思ってたけど、この前ショッピングモールに服を買いに行った時にちらっと覗いて実はゲットしちゃった。
だって、せっかく海外リゾートまで来たんだし、なんたってプライベートプール&ビーチ付なんだもん。
誰にも見られずに独り占めできるのよ?
この時点で、既に独り占めではなくなっているけど…。

「いきなりお休みをもらっても、何をしていいかわからないですね」
「何でもいいんじゃないのか?俺で良かったら、付き合うし」
「え?」
「あっ、いや。まぁ、良かったらの話だ。俺なんかと一緒じゃ、つまらないと思うけどな」

澤山は、言ってしまってからハッとしたりして。
…これって、隙をついているだけで、翔平とそう変わらないんじゃないのか?
デートに誘っているようなもんじゃないか。

「そんなことはないんですけど、お仕事はいいんですか?」

―――澤山さんが?
けど、仕事なんじゃ。

「仕事?俺の場合は特に期限があるわけじゃないし、道楽みたいなもんだから」
「でしたら、是非お願いします」

「あ〜ん、どこに行こうかな」とあまりにも千夏(ちか)があっさりOKしてくれたことに戸惑う澤山だったが、彼女の笑顔、そこにいてくれることがものすごく自然で。

…悔しいけれど、翔平に感謝しなければ。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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