「失礼します」
「総務部の者ですが、書類をお持ちしました」とできるだけ俯きがちにかといって、失礼のないよう専務室に入る。
彼は運良く?ちょうど電話を掛けていたようで、しめしめと思いつつ、そのまま書類をデスクの上に置いて早々に立ち去ろうと思った美沙。
しかし、そんな彼女の胸の内を知ってか知らずか、山岸は受話器の話す部分を片手で押さえると前にあるソファーに腰掛けて待つように言う。
「ちょっと、そこに座って待っていてくれないかな」
―――え…。
書類はただ届けるようにとしか言われていないけど、何か他にも用事があるのだろうか?
仕方なく美沙は言われた通りにソファーの端に腰掛けると、ちらっと彼の方を盗み見る。
仕事中にあまり他人の電話している姿を意識して見たことはないが、なんというか素敵な人というのは全てにおいて、様になるということ。
そして静かな室内に流暢な英語が、これでも会話なら一通り話せる美沙にも彼の語学力の高さは並みじゃないというのが理解できた。
店で見るのとは違う、これが本当の姿なのだ。
私のような、しがないOLにそれも、内緒で夜の街で働いているような女を本気で好きになるとは、どうしても思えない。
しかし、その間も花粉症というのは厄介なもので、大きなくしゃみが出そうで堪えるのが大変だ。
「すまないね。待たせて」
「いえ、とんでもありません」と急いで立ち上がった美沙を山岸は、「まぁ、そう固くならないで。今、コーヒーでも持ってこさせるから座ってて」と再び受話器を持つと秘書室にコーヒーを2つ持って来るように電話を掛けた。
―――何で、コーヒー?
そうは思いつつ、ゆっくり腰を下ろす。
「花粉症は大丈夫?」
「はっ、はい。ピークは超えたようなんですが、まだまだマスクとメガネは手放せなくて」
「なるほど」
花粉症の話など、したからだろうか?
さっきからムズムズしていた鼻がうずきだし、かなりマズイ状態に…。
コンコン―――
「失礼します」とトレーを持って入って来た秘書の女性が、コーヒーカップをテーブルの上に置いていく。
それまで自分のデスクいた山岸が、いつの間にか移動して美沙の前に座っていた。
「冷めないうちにどうぞ」
「はぁ…」
「いただきます」とは言ったものの、ここでマスクを外すわけにもいかず…。
その前にくしゃみを連発してしまいそう。
何とか堪えて、自分の置かれた立場をもう一度考えてみる。
「あの」
「なんだい?」
「専務は、何か私にお話が」
「川原さんに聞いておきたいことがあっ―――」
はっくしょん!!
はっくしょぉん!!
はっくしょぉぉん!!
山岸の言葉を遮るようにくしゃみの3連発。
まさしく、あの日店で聞いた彼女の可愛いくしゃみに間違いない。
…なんで、気付かなかったかな。
特別なティッシュを持っていないことが残念に思えたが、すかさず自分のデスクの上にあった普通のティッシュの箱を彼女の前に差し出した。
「ごめんな。君のお気に入りのティッシュじゃなくて」
「えっ…あっ、ありがとうございます」
差し出されたティッシュに手を伸ばした瞬間、山岸に腕を引っ張られてマスクとメガネが彼の手によって呆気なく剥ぎ取られてしまった。
「せっ、専務っ…なにをっ」
「百合さん?観念しなさい。わかってるんだから。あぁ〜あ、それにしても、せっかくの綺麗な顔が台無しだ。鼻の頭が真っ赤だね」
―――ヤダっ、バレてるぅ。
どうしよう…。
「ごめんなさいっ、黙ってるつもりはなくて。あの店は…ママの華さんが私の叔母で…。まさか、うちの会社の専務が来るとは思っていなかったし。え、えっと、クビですかぁ?」
自分でも、何を言ってるのかわからない。
でも、この場は誠心誠意謝罪して、できるものなら会社は辞めずに…倶楽部 華を去るのは寂しいけれど…。
「まぁ、落ち着いて」
「ですが」
「鼻をかんでから、ゆっくり話した方がよさそうだ」
鼻をずるずるしている美沙は箱から慌ててティッシュを一枚抜き取ると、お言葉に甘えて。
あぁ〜んっ、でもでも、どうしよう…。
◇
「少しは落ち着いた?」
「はい…」
くしゃみもだいぶ治まって、コーヒーを一口ほっと一息吐かせてもらう。
「前に聞いたよね、百合さんの夢。うまくはぐらかされちゃったけど、あれ教えてくれないかな」
素敵な男性と素敵な恋がしたい―――。
これを言ったら、山岸さんはどう思うだろう。
「山岸専務のような素敵な男性と出会って、恋がしたかったからです」
「女子校にいたせいか、男性が苦手で会話すらできなかった自分をママさんのおかげでここまでこれて…」と話す彼女からは想像がつかないが、いつまでもガードが固いのはその名残なのだろう。
…それにしても、僕のような男と出会って恋がしたいとかなんとか、ポロっと告白めいたことを言われなかったか?
「じゃあ、夢が叶ったわけだ」
「え?」
「だって、そうだろう?お互い、想い合ってるんだから」
―――ヤダっ、私ったらこんな会社の中でっ、それも専務室でっ。
鼻のかみ過ぎで赤くなった鼻とは別に頬もほんのり染める美沙。
「でも…」
「でも、はなし。ホステスも辞めなくていいよ」
「えっ?」
―――ほんとにほんと?辞めなくてもいいの?
「ただし、お客は僕のみ。他の男を相手にしてはダメ」
「それなら、続けてもいいんですか?」
「あぁ、いいよ。会社での君とクラブでの君と、両方味わえるからね」
「結構、快感なんだ」と彼はヤケに嬉しそうだ。
てっきり、クビになるとばかり思っていたが、ひょんなことから彼の言葉じゃないけれど、夢は叶った?!
+++
「倶楽部 華へようこそ。本日、お相手をさせて頂きます、百合です。よろしくお願いします」
毎週、たった一人のお客様のために店に出る、私は夜の蝶。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
NEXT
BACK
INDEX
PERANENT ROOM
TOP
Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.