LA GRANDE DAME
Story10


伊万里の異動が発令されてから、慌しく引き継ぎ作業が行われた。
連日のように送別会という名の飲み会が開かれて、週末の金曜日だというのに礼は独り寂しく自分のマンションで過ごす羽目になった。
―――伊万里の人気もわからないでもないが、俺の身にもなってくれよな…。
彼女の人気は想像以上のものがあったらしく、違うグループからも誘いがかかっているのだと本人は言っていた。
事業部長ともなれば、役員と同じ個室に席が移ることになる。
今までのような若い社員達との交流の場は極端に減るであろうことを皆はわかっていたから、名残惜しむように伊万里との短い時間を過ごしていた。
時計を見れば23時を少し回ったところ、2次会3次会と足を運べばもうここへは来れないだろう。
―――はぁ…。
礼は、もう何度吐いたかかわらない溜息を吐くとこれまた何度繰り返したかわからないが、グラスにウィスキーを注いで一気に飲み干した。



一方、伊万里は時計を確認するとせっかく自分のために開いてくれたみんなに悪いと思いつつもその場を後にしてタクシーに乗り込んだ。
―――礼、もう寝ちゃったかしら?
午後に社内で会って今夜の送別会のことを話した時の彼は、なんだかものすごく元気がなくて…それは自分が家に行けないかもしれないと言ったことが原因だったのだけれど…。
『いいよ、俺のことは気にしなくて』と口では言っていても、本当は違うことを伊万里はわかっている。
こんなにも自分のことを求めてくれる礼の気持ちが嬉しくないはずはないが、同じだけのものを彼に与えられているのだろうか…。
想いが通じるとその喜びと同じか、それ以上の不安も一緒に受け入れなければならないのだと伊万里は改めて感じずにはいられなかった。

暫くして礼の住むウォーターフロントに聳え立つ高層マンションの前で車が止まり、伊万里は吸い込まれるようにして彼の居るであろう部屋へと向かって行った。
大きなドアの前で一呼吸すると伊万里は、玄関のブザーを鳴らす。
―――アレ…居ないの?
今夜は来れないかもと言っていたので、もしかしたら友達と飲みにでも行ってしまったのかもしれない。
応答のないドアを少しの間見つめていた伊万里は、バックの中からこの部屋の合鍵を取り出した。
これは、礼に気持ちを告げられてすぐに渡された物。
なんとなく使いそびれていて、というよりも素直じゃない伊万里には、彼を待つ可愛い彼女というのがどうにも性に合わなかったのだ。
まだ一度も使っていなかったが、今はどうしても会いたかったから躊躇うことなくそれをそっと鍵穴に差し込んだ。
ドアを開けると意外にも廊下の灯りは点いていて、玄関先には礼の靴も置いてある。
―――帰ってるの?
長い廊下を歩いてリビングのドアを開けるとやはりそこも電気は点いたまま。

「礼?」

名前を呼んでみるも返事もなく、姿も見ることはできない。
―――お風呂かしら?
もう一度廊下に出てバスルームに行ってみたが、そこは電気が消えて真っ暗だった。
再びリビングに戻り、大きなソファーを覗き込むようにして見るとソファーの肘掛に寄りかかるようにして眠っている礼の姿があった。
テーブルの上には、かなり飲み干したであろうウィスキーの瓶がある。
―――礼ったら、こんなに飲んじゃって。
それに転寝なんて、風邪でもひいたらどうするのよ…。
社長なんだから、もっと体を大事にしてよね。
そう心の中で呟きながら、伊万里は寝室に行くと毛布を取って来て、彼に掛ける。
お酒は普段から飲む方ではあったが、二人でいる時は食事に合わせて嗜む程度、こんなふうに一人で飲んでいる姿は一度だって見たことがなかった。
自惚れてるって思うかもしれないが、きっと寂しさを紛らわすために飲んだに違いない。
―――礼…。
額にかかる少し延びた前髪を指で払うとそのまま頬に触れる。
整った顔立ちにはっきりした二重で意外に可愛らしい目も瞑っていると妙に色っぽいな、などと思ってしまう。
そして、形のいい唇に親指を何度か滑らすと自然に伊万里の唇がそこに触れていた。

「伊万里」
「ごめんね、眠ってたのに起こしちゃった」
「とっくに起きてたよ」

伊万里が起こしてしまったのだと思ったが、実は玄関のドアが開いた時点で既に礼は目を覚ましていた。
眠ったままだったら伊万里はどんな行動に出るだろうか?そんな子供じみた考えだったけれど、こんなふうにされると思っていなかったから、不意打ちだったが礼はものすごく嬉しかった。
逆に伊万里の方は、眠っていると思っていたからの今の行動であり一気に恥ずかしさが込み上げてくる。

「もうっ、起きてるなら言ってよ」
「せっかく、伊万里からキスしてもらえたのに起きられるわけないだろう」

礼は、ゆっくりと起き上がると伊万里を確かめるように抱きしめる。

「今夜は、来ないと思ってた」
「そのつもりだったんだけど、会いたかったの」

いつになく素直な伊万里に礼の方が、面食らってしまうくらいだった。

「どうしたんだ?今夜の伊万里は、妙に素直だな」
「たまには、いいでしょ」
「たまには、なのか?俺は、いつでもオッケーだけど」

クスクスと笑いながら、礼は伊万里にくちづける。
この唇の感触は、何度味わっても心地よくて手放せなくなってしまう。
特に今夜のように可愛い彼女を前にしたら、もう止めることなんてできるはずがない。

「…っん…ぁ…」

角度を変えて舌を絡め繰り返されるいつもより熱いくちづけに伊万里は、思わず甘い声を発してしまう。
そんな伊万里の反応に気を良くした礼は、尚も彼女の唇を堪能し続ける。

「…ちょっ、礼…待っ…」

言葉を発したくても、それを許さないかのように彼は唇から離れようとしない。
―――それにこんなところで、なんて…。

「待たない。こんな可愛い伊万里を前にしてなんて、無理だから。覚悟して」
「やっ、何?覚悟って…っん…」

礼は、その場に伊万里を押し倒すと再び唇を塞ぐ。
こうなってしまうともう抵抗できないことを伊万里は知っているから、黙って受け入れるしかない。
彼からの溢れんばかりの自分への想いに戸惑いつつも、今はそれを素直に嬉しいと思えるし、また全身でそれを返してあげたいと伊万里は思うのだった。

+++

週が開け早速、伊万里専用の執務室が用意されたが…。

「ねぇ。どうしてあたしの部屋は、社長室の隣なの?それに…」
「ここしか、空いてなかったからな」

と、さも仕方がないかのように礼は言うが、本当にそれだけなのだろうか?
確かに現状空いている部屋はここしかないのかもしれないが、元々社長専用の別室だった部屋だから行き来できるように社長室との間にドアが付いているのだ。
伊万里には、礼がわざとここを選んだとしか思えないのだが…。

「だったら、このドア塞いでくれないかしら?」

こんなところにドアがあったのでは、仕事中とはいえ礼が入ってくるのは目に見えている。

「それは、いくら伊万里の希望でも無理だな」
「どうしてよ」
「そんなことをしたら、伊万里にすぐ会えないじゃないか」
「あのねぇ…」

―――『会えないじゃないか』って、仮にもここは会社なのよ?
公私混同もいいところだわ。
さすがの伊万里も、礼の行動には呆れて言葉も出てこない。

「あっ、言っとくけど鍵は閉めるなよ」
「はいはい」

―――ほんと、子供みたいなんだから…。
そう思いつつも、やっぱり嬉しい自分がいることは確かだった。
でもそれは、絶対口にはしないけれど…。


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