礼と伊万里は、セルフォン社との仮契約を済ませるためにパリへ行くことになった。
と言っても旅行ではないので、そう長くは滞在できない。
往復を除いても中二日という、短いものだった。
にもかかわらず、礼は妙に浮かれているのだが…。
「伊万里と二人っきりで、出張なんて最高だな」
こんな社長が、世の中にいるのかしら?
と疑問に思わずにいられない。
そりゃあ伊万里だって短い間とはいえ礼と一緒にいられるのだからそれは同じ気持ちだけれど…だからといって、これはどうなんだろうか?
「出張なんだから、それに行ってみたら話が違うとか言われるかもしれないのよ?」
まだ仮契約の状態で、それもセルフォン社の社長と電話で話をしたという口約束だけでは予断を許さない。
蓋を開けてみなければ、現時点では先のことはわからないのだから。
「それは、わかってるよ」
礼とて、不安がないわけではない。
しかし、こうなったら先に進むしかないのだし伊万里がいてくれれば絶対うまくいくという自信があった。
+++
週が明けて月曜日の午前中、礼と伊万里は一路成田からパリへと旅立った。
伊万里にしてみれば15年ぶりの里帰りということになるのだが、礼にとっては初めてのパリだった。
「懐かしいな。全然変わってないかも」
夕刻、シャルル・ド・ゴール空港に着くとタクシーに乗ってホテルに向かう途中の車窓を見ながら伊万里は話す。
日本と違ってヨーロッパというところは、年月を経てもほとんど外観が変わらない。
パリの場合は郊外はかなり近代的な建物も建ってはいるが、根本的には変わっていないだろう。
「伊万里は、何年間パリに住んでいたんだ?」
「そんなに長くはないんだけど、5年くらいかな」
伊万里は、日本で言う中学2年から高校までをこのパリで過ごしていた。
「そっか、俺の場合は高校の時にニューヨークに1年留学したのと会社に入ってからマレーシアと中国に行ったくらいだからな」
礼は将来のことも考えて海外生活をしてはいたものの、それは主にアメリカとアジアが中心であって、ヨーロッパはあまり縁のないものだった。
ある意味新鮮でそれが伊万里と一緒なら尚更なのだが、それを口にするとまた色々言われそうなのでここでは口にしないことにする。
「今日はゆっくり休んで、明日に備えないとな」
とは言ったものの、礼にはせっかくのチャンスである。
そう簡単に伊万里を解放するはずがないのだが…。
「明日は、10時にセルフォンだったわよね。なんかドキドキしてきたかも」
「何言ってるんだ?偉大な女性が、そんな弱気な発言でどうする」
「偉大な女性?」
「そう。伊万里は、偉大な女性なんだよ」
「なんだか、よくわからないんだけど…」
伊万里には礼の言った言葉の意味はいまいちピンとこなかったが、タクシーがホテル前に到着したようでその真意はわからないままだった。
◇
「ねぇ、ひとつ聞いてもいいかしら?」
「ひとつと言わず、ふたつでもみっつでもどうぞ」
確信犯的な礼の言い方に少々ムっとしつつも、それ以上に呆れ果てたと言った方が正解かもしれない。
この状況を見ると高柳を味方につけたのは、どうなんだろうか?という疑問も出てこなくもない。
「じゃあ、お言葉に甘えて聞くけど、どうして泊まる部屋がダブルなわけ?それも礼と同じなんて、どう考えてもおかしいでしょ」
わざわざ説明しなくてもわかると思うが、敢えて言わせてもらうと伊万里が案内されたのはダブルの部屋、もちろん予約されていたのは一室のみである。
―――どうりで、フロントでチェックインをしないと思ったのよね。
それにどうなの?この豪華な部屋は…。
まさか出張費でこんな贅沢できるわけないし、社長だからって職権濫用じゃない。
「そうか?俺には将来を誓い合った二人が、別々の部屋に泊まることの方がよっぽど不自然だと思うけど」
将来を誓い合ったなどと言われて、伊万里の顔は一気に赤みを帯びる。
確かにそうかもしれないが、これは仕事であってプライベートは関係ないはず。
「それに俺には、無理だね。愛しい伊万里が目の前にいるっていうのに壁を隔てて過ごすなんて」
礼は、伊万里を背後から抱き締めると耳元で囁くように言う。
ほんとやることが大胆で、伊万里の度肝を抜くことばかり。
こんな人と一生を共にしたら、心臓がいくつあっても足りないわね。
「だったら、ホテルを変えてもらおうかしら?」
「そういうこと言うんだ、この口は」
礼は、伊万里を少しだけ強引に自分の方へ向かせるとすかさず唇を奪う。
もう我慢など、異国のパリに来てしまっては通用しない。
重要な契約が明日に控えているとわかっていても、礼は自分の気持ちを優先させたかった。
そして、十数年の想いを埋めるように礼は伊万里を求めていたのだった。
「・・・・・んっ・・・・・礼っ・・・ちょっと・・・・・シャワー・・・」
「何?シャワー浴びてからだったら、いいの?」
「もうっ、そういう意味じゃっ」
「じゃあ、どういう意味?」
礼はわざとイジワルな言い方をして、伊万里をからかう。
その反応は初めて会った時から変わらないなと思いながら、礼は伊万里を抱き上げた。
慌てて伊万里は、礼の首に腕を回してしがみつくが…。
「うわぁっ、ちょっとっ。やだっ」
「やだじゃない、シャワー浴びるんだろう?」
「えっ?まさか…」
――― 一緒に入るとか、言わないでしょうねぇ…。
予想通り、礼は伊万里をバスルームへ連れて行くと観念したから自分で脱ぐと言っている伊万里の言葉など無視して勝手に服を脱がせる始末。
今まで付き合っていた彼女に対しても、こういうことをしていたのだろうか?
この暴走っぷりには少々手を焼かずにはいられないが、自分の気持ちを素直に出してくれる礼がやっぱり嬉しかった。
+++
伊万里が少しだけ体にダルさを覚えつつも目を覚ますとついさっきまで熱く激しい夜を共にした愛しい相手の姿は、既にそこにはなかった。
時計を見ればまだ6時になろうとしているところだったが、伊万里はゆっくりと起き上がると視線の先に真剣な表情で窓の外を眺める礼の姿があった。
それは、三谷本社でセルフォン社の重役と打ち合わせをする時と同じ顔だった。
「礼?」
「あっ、伊万里。起きたのか?もう少し寝ていてもよかったのに」
伊万里が起きたのに気付いた礼は、さっきまでの真剣な表情とは違う伊万里にだけ見せる優しい笑顔に戻っていた。
「ううん。なんか目が覚めちゃったし、それに礼が隣にいないからどうしたのかなって…」
「寂しかった?」
礼は再び伊万里の居るベットの側まで来ると端に腰掛けて、彼女の何も身に付けていない肩を抱き寄せる。
最近、こんなふうに素直に自分を欲する伊万里が可愛くて仕方がない。
―――だけど、『そうじゃなくってっ』と反論してくるだろうけど…。
「そうじゃなくってっ」
そのままの反応に礼は、思わず笑ってしまう。
「何が、おかしいのよっ」
「だって、伊万里が可愛いから」
「そういうこと言わないでって、言ってるでしょ」
恥ずかしさから礼の腕をすり抜けようとする伊万里だったが、それを礼が許すはすがない。
「どうして?本当のことだし」
「もう、今日は大事な仮契約なのよ?そんな、おちゃらけて」
「そうだよ。だけど、伊万里がいれば大丈夫だって言ったろ?」
礼は、その場に伊万里を押し倒して唇を塞ぐ。
また朝からってお小言を言われるだろうことはわかっているけれど、一度火が点いてしまったらもう礼には止められないのだから仕方がない。
なぜか言いようのない不安に駆られている自分を隠すように礼は伊万里を抱いた。
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