伊万里がホテルに着くと既に礼は、戻っていた。
ソファーに座って、珍しくワインを飲んでいる。
「礼、帰ってたの?ごめんね、遅くなっちゃって。ジュリアンのママと会えると思ってなかったから、こんな時間に―――」
「言い訳は、いいよ」
礼は伊万里の言葉を遮るように言ったが、その口調は今まで聞いたことがないくらい冷たいものだった。
「言い訳って何?私は、本当のことを」
「どこが、本当のことなんだ?だったら、ル・フォール氏と抱き合ってキスしてたってことも言ったらどうなんだ」
『え…』
―――まさか、礼があの場を見ていたなんて…。
でも、抱き合っていたということについてここで敢えて否定はしないが、キスしていたというのは絶対に違う。
「キスは…してないわ」
「俺に嘘をつくのか?あれは、どう見たってキスしてたとしか言いようがないだろう」
「嘘なんてついてないっ!どうして私が嘘を言わなきゃならないのよ。それに憶測でものを言うは、社長として失格なんじゃないの?」
「なんだと!」
礼は、持っていたワインのボトルを勢いよくローテーブルの上に置くとその場に立ち上がる。
本心をつかれたというのもあったが、あの場を目撃したというのにシラをきる伊万里が礼にはどうしても許せなかった。
「本当のことを言われたから怒るの?」
「伊万里こそ、本当のことを言われているのにどうして嘘をつく」
「さっきから何度言わせるの?私は、嘘なんてついてない。どうして…信じてくれないの」
あの時、ジュリアンに自分への想いを告げられて伊万里だってその気持ちに応えてあげたいと思った。
キスくらいと思わなかったわけではない。
しかし、伊万里には礼がいる。
その気持ちは、たとえどんなことがあっても絶対に変わることはないのだ。
だから寸でのところで思い留まった伊万里は、すぐにジュリアンから体を離すと彼の頬に自らキスをした。
それだけで、ジュリアンは伊万里の気持ちを酌んでくれた。
これからは、仕事という間柄で今まで以上にいい関係を築いていきたい。
お互い、思っていることは同じだった。
なのにどうして、こんなことに…。
―――どうして礼は、信じてくれないの?
「俺は、いつだって伊万里を信じてた。それを裏切るようなマネをしたのは、誰なんだ?」
「だから、私は裏切ったりしていないって言ってるじゃないっ!信じてたなんて、口ばっかり。本当は私のこと、初めから疑ってたんでしょ?もう、いいわよっ」
伊万里は口にしてしまってからしまったと思ったがもう遅い、勢いでそのままホテルの部屋を飛び出してきてしまった。
取り敢えずエレベーターに乗ってロビーに出たものの、行くあてなどどこにもない。
明日は、日本に帰らなければならないというのに…。
―――はぁ…。
今夜は、部屋をもうひとつ取って泊まるしかないわね。
フロントに行こうとして、人影がこちらに向かって来るのが見える。
『あれ?クレマンさん…どうしてここに…』
礼と一緒に出掛けていたが、もう自宅へ戻ったのではなかったのだろうか?
「クレマンさん、どうしてこちらに?」
「イマリさんこそ、こんな時間にどこかへお出掛けですか?」
「いえ…その…」
なんと言うべきか…。
プライベートと言えばプライベートだし、こんなことをクレマン氏に話してもいいのだろうか?
「失礼ですが、ミタニと何かありましたか?」
「え?」
―――どうして、クレマンさんが…。
あっ、もしかしてあの時、礼と一緒に見ていた?
彼はどういう人なのかよくわからないけれど、何か全てを知っているように思えるのはなぜなのか…。
「ミタニの様子がおかしかったので、気になってこちらに戻って来たんです」
「そうだったんですか」
「少しお話してもいいですか?」というクレマン氏の申し出を伊万里は、受けるとロビーのソファーに腰掛ける。
今夜は、パーティーでもあったのだろうか?
だいぶ遅い時間ではあったけれど、ロビーには華やかな衣装に身をまとった紳士と淑女が溢れていた。
「社長と何か。すみません、立ち入ったことを聞いて」
「いえ、いいんですよ。隠しても仕方ありませんから」
クレマン氏は歳が近いせいか、伊万里には少しくらい愚痴ってもいいような気がしていた。
それに今は、彼に話して何でもいいからアドバイスが欲しかった。
でなければ明日、礼と一緒に日本には帰れないから。
「クレマンさんも、見ていたんでしょう?」
彼は、黙って小さく頷くだけだった。
「私とジュリアンは小さい時近所に住んでいて、とても仲が良かったんです。と言ってもそこに恋愛感情などありませんでしたけどね」
でも彼は、違っていたのだと…。
ずっと、遠いこの国で伊万里のことを想い続けていた。
「私が、悪いんです。ジュリアンは、何も悪くない。礼が誤解している部分は多々ありますが、軽率な行動をとってしまった私が―――。なのに…」
もしも、自分が礼の立場だったら…。
どんなに言葉で伝えても確信なんかない。
信じられない彼の気持ちが、痛いほどわかるはずなのに…。
「ミタニもきっとわかっているんだと思います、イマリさんの気持ちを。ただ、男というものはそう簡単には引けないものなんですよ」
「クレマンさんもそうなんですか?」
「私ですか?どうでしょう。私は、妻に頭が上がりませんから」
そう言って笑うクレマン氏だったが、こんな彼の奥様は嫉妬に悩むことなどないのではないだろうか?
「私は、どうすればいいんでしょうか?」
どうすればいいんだろう…。
このまま、礼と離れるようなことになったら…。
「そうですね。まず、お互いよく話すことでしょう。それしかないと思いますが」
「そうなんですけど…」
―――それはわかってる。
でも、礼は私の話を聞こうとしない。
頭から、決め付けて…。
「とにかく今夜は、部屋に戻った方がいいです。明日は、日本に帰国するんでしょう?イマリさんから、彼にきちんと話せばきっとわかってくれると思いますよ」
―――こんなことになるんだったら、無理にでも部屋を別々にさせるんだったわ。
はぁ…。
今更、後悔しても遅いわけで…。
「そんな心配、無用でしたか」
「え?」
クレマン氏の視線の向こうに勢いよく走って来る一人の男性がいた。
「礼…」
「ほら、早く行ってあげないと。彼のことだから、このまま飛び出してしまいますよ」
どうやら礼は、クレマン氏と伊万里がここにいることに気づいていないようだった。
あの勢いでは、どこまで行ってしまうかわからない。
「クレマンさん、ありがとうございます」
「どういたしまして」
伊万里は、クレマン氏への挨拶もそこそこに礼の後を追い掛けた。
NEXT
BACK
INDEX
PERANENT ROOM
TOP
Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.