LA GRANDE DAME
Story19


二人の間には色々なことがあったパリ出張だったが、取り敢えず仕事の面では無事仮契約を済ませて礼と伊万里は日本へ帰国した。

「おはようございます、嶋崎室長。仮契約、おめでとうございます」

伊万里が自分の執務室に先に寄ってからプロジェクト室に来てみるとまだ早い時間であるにも関わらず、既に出社していた鎌田という事務の女性が元気に挨拶を交わす。
仮契約が成立した話は、礼が電話で高柳に連絡し、みんなに伝えるように言ってあった。
彼女は入社2年目の若い社員だったが、真面目できっちりと仕事をこなすところから伊万里が前にいた部署から引き抜いてきたのだった。


「おはよう。鎌田さんは、朝が早いのね」
「私には、これくらいしかみなさんのお役には立てませんので」

鎌田は事務員なのでプロジェクトに関係する仕事を受け持つというよりは、みんなの管理的業務が主なものだった。

「そんなことないでしょ?このプロジェクトのメンバー全員で、パリに行こうって社長も言ってたし」
「え?パリにですか?」


鎌田が、驚いた声を上げた時にもう1人のメンバーである宮下が出社した。
彼はこのプロジェクトの中で若手を纏める主任であり、一番年上の29歳だった。


「おはようございます。鎌田さん、どうしたの?」
「あっ、宮下主任。おはようございます。今、室長が全員でパリに行くって言うものだから」
「え?パリに?」

鎌田に向かってどうしたのかと問いただしておきながら、宮下も同じような声を上げたのが伊万里には可笑しかった。

「二人とも、そんなに驚かないでよ。セルフォンは日本に入ってきていないから、パリに見に行くしかないでしょ?社長と私で見てきたといっても、それではみんなに伝わらないし、社長に話したらそう思っていたところだったって」
「それが、本当ならすごく嬉しいです。私、パリに行くの憧れでした」
「まぁ、仕事だから規制もあると思うけど、みんなの自由な発想を聞きたいのよね」
「でも仕事とはいえ、うちの奥さんに色々言われるだろうな」

場所が場所だけに女性からは、羨ましがられるのだろう。
その後、岡本と川上という女性二人と高橋という男性が加わり、朝からプロジェクト室はパリ行きの話で盛り上がっていた。

+++

「仮契約が無事に済んで、なによりでした」

高柳は礼に呼ばれて、社長室に来ていた。

「あぁ。俺も行く前は、少し不安だったんだよ。実は、この話はなかったことに…なんて言われるんじゃないかってさ」

伊万里がパリに行く前こう口にしていたが、その時礼は絶対に大丈夫だという言い方をしていた。
しかし、本心は同じように不安だったのだ。

「セルフォンの方はみんな好意的で、話もスムーズに進んでね。工場内も全部見せてもらったんだ」
「そうなんですか?セルフォンは、製法に関しては秘密主義を貫いていると聞いていますが」

高柳は入社以来ずっと総務部で仕事をしていたが、前社長との付き合いから社内のほとんどの業務内容を把握していた。
今回、このプロジェクトに参加することになってからは、よりセルフォンについての情報を収集していたのだ。
中でもセルフォンの内情は謎に包まれている部分が多く、特に製法に関しては販売されている製品でしか知ることができない。
業務提携する以上それはやむを得ない話かもしれないが、それにしても工場内部を全部見せるというのは、すごいと高柳は思った。

「セルフォンは社長が今のジュリアン氏に代わってから、相当内部に改革があったらしい。工場内も店舗内も外観とは全く違う近代的なものに変わっていたよ。そういうところも今度、プロジェクトのメンバー全員で見に行った方がいいと思ってる。その時は、高柳さんも一緒に行ってもらうよ」
「それは、いい案だと思います。みんな喜ぶでしようね」
「早速今朝、伊万里がみんなに話したらしいんだけど、すごかったらしいよ。盛り上がっちゃって」

高柳には、その様子が目に浮かぶようだった。

「あと社長、嶋崎室長に言われていたのですが、プロジェクト室の発足会というものをやった方がいいのではないでしようか?」
「そうだなぁ。出張やらなんやらバタバタしていて、すっかり忘れていたよ。仕事も大事だけど親睦を深める意味でも重要なことだからね。高柳さん、申し訳ないんだけど、頼んでもいいかな?」
「はい、わかりました。社長も、もちろん出席ですよね?」
「そのつもりだけど、だからって高級な料亭っていうのはやめてくれよ。場所は、みんなに合わせていいから」

社長になってからの礼は、若い社員達とかかわるような業務がほとんどなくなっていた。
高級な店で、お偉いさん相手の接待ばかり。
たまには、若い人達と羽目を外すのも悪くない。

「では、みんなに聞いて決めることにします」

そう言って高柳は部屋を出て行こうとしたが、ふと思い出したように途中で足を止めた。

「あの…社長、嶋崎室長と何かあったのですか?」
「え?」
「あっ、いえ。余計なことを言いまして」
「いいんだよ。でも、さすが高柳さんだね。やっぱりわかっちゃったか」

ジュリアンとのことで伊万里の言葉を信じられなかった礼は、彼女を少なからず傷つけてしまったのは事実。
お互い冷静になって話し合ったことで誤解は解けたにしても、やはりどこかで引きずっている部分があったかもしれない。

「高柳さん。今夜、少し時間もらえないかな」
「わかりました。でも、週明けですからほどほどにお願いしますよ」

高柳は笑いながら、今度は部屋を出て行った。

+++

定時後に礼と高柳が足を運んだのは、高柳お薦めの料理屋。
こじんまりとした作りであったが、プライバシーが守られるように個室で区切られていた。

「高柳さん、悪いね忙しいところを誘ったりして」
「いえ。社長のお誘いは、何を差し置いても優先しますから」

高柳は決して嫌味を言っているわけではなく、これは本当の話。
何より礼の誘いを優先するのは、高柳のポリシーだった。
そしていつものようにビールを頼んで、お互いのグラスを合わせた。

「俺、伊万里を疑ったんだ。信じることができなかった」

礼は、パリでの出来事を隠すことなく全て高柳に話した。
彼にだけは、飾ることなく本心をさらけ出すことがきたから。

「そんなことが…」

高柳は短くそう言っただけだったが、二人の間ではもうこの件についての整理はついているのだと思った。
ただ、相手を傷つけてしまったという自責の念ばかりが強くてなんとなくぎくしゃくしてしまう。

「社長は、嶋崎室長に甘えればいいんですよ」
「え?」

礼には、高柳の言う甘えればという言葉の意味がよくわからない。

「男は、どうやっても女性には敵わないものなんです。だから、何も言わずに素直に甘えてしまえばいいんですよ。きっと、嶋崎室長もそれを待っているんだと思います」
「そういうものかな」
「社長らしくないですね。迷いは禁物ですよ」

高柳の私生活はあまり聞いたことがないが、こんなふうに適切な判断を下す反面きっと奥さんには甘えているのかもしれない。
少しだけ人生経験の豊富な彼の助言は、誰の言葉よりも信頼できるに違いない。
礼は、帰り際に電話で「今から家に行ってもいいか?会いたいんだ」そう、伊万里に自分の気持ちを伝えると『まったく礼は、いつも急なんだから』と初めは怒ったように言われたが、その後『待ってるから』という言葉に全てが取り払われたような気がした。


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