「社長、社員の間でこのようなメールが流れているようですが、ご存知ですか?」
高柳は、手にしていたメールのコピーを礼に差し出した。
そこに書いてあったのは、伊万里に対する誹謗中傷の数々。
「何だ、これは」
「やはり、ご存知なかったようですね。幹部までは送信されていないようですが、それ以外の全部署に流れているようです」
「こんなこんなこと…あるわけないだろう?」
「わかっています」
伊万里のことを何よりもわかっている二人が、ここに書いてあることを信じるはずがない。
「高柳さん。至急、出所を調べてくれないか?」
「わかりました」
高柳が部屋を出て行くと礼は、ぐったりと椅子の背にもたれた。
―――どうして…。
なぜ、伊万里がこんなことをされなければならないのだ。
ふと、二人で食堂に行った時の会話が頭をよぎる。
『私は、タダでさえ色々言われてるんだからね―――』
やはり以前から、そういう兆候があったのではないか…。
それより、彼女にもこのメールは送られているのか?
だとしたら…その方が、礼には心配だった。
伊万里のことだから気丈に振舞っているだろうが、きっと内心は傷ついているに違いないから。
+++
「室長。誰が、こんなひどいメールを流したんでしょう!」
伊万里がプロジェクト室に入るや否や、いつもは穏やかでおしとやかな岡本が、怒りを露にしながら伊万里のところへやって来た。
彼女は伊万里の5つ年下だったが、公私共に頼りになる良きパートナーだった。
その周りには、彼女だけではなく他のプロジェクト室のメンバー全員が集まって来た。
「単なるいたずらよ。いちいち気にしてたら、やってられないわ」
「私、悔しいです。室長が、こんなことするわけないのに…」
岡本は、悔しさのあまり今にも泣き出してしまいそうだ。
根も葉もないメールを送りつけてきた相手は決して許せないが、こんなふうに自分のことを心配してくれる人がいるだけで伊万里は十分だった。
「ほら。そんな顔してないで。大丈夫、私はこんなことじゃ負けないから」
「でも、室長…」
大丈夫だという意味を込めて、彼女の肩を数回叩く。
「みんなも、大丈夫だから。いつも通り、仕事について」
伊万里は、みんなを安心させるように笑顔でそう言うと岡本は、『私に力になれることがあれば何でもしますから』と言って自分の席に戻って行った。
―――礼にもこの件は、耳に入っちゃってるわよね。
まだ、メールに礼のことは書かれていないが、もし今後礼に対してもこのようなことがあれば、進退問題に発展するかもしれない。
今の伊万里なら辞表を出せば済む話でも、礼は違う。
決してそんなことをさせてはならないのだ。
このまま黙って見過ごすわけにはいかないと伊万里は、システム管理部の宮坂にメールを入れた。
宮坂は伊万里の同期で、社内の基幹システムを扱うシステム管理部の課長だった。
根っからの技術屋の彼だったが、なぜか伊万里とは馬が合ってよく飲みに行ったりもしていた。
伊万里からのメールで事情を察した宮坂は、人目につかない奥にある会議室で話をしようと返事をかえした。
宮坂に指定された会議室に入ると彼以外に礼と高柳の顔までがそこにあった。
「伊万里、大丈夫か」
すぐに礼が、伊万里のそばに近づいて来る。
「大丈夫だけど、どうして?」
―――どうして、礼がここにいるのか…それに高柳さんまでも。
「高柳さんが、俺に教えてくれたんだ。至急調べるように頼んで、宮坂に話をつけてくれた」
礼が高柳に調査を依頼した後、高柳はシステム管理部に足を運び、宮坂にその旨を伝えた。
そのちょうど同じ時、伊万里からも同じ内容のメールをもらっていたので、お互いの仲を知っている宮坂は全員で話をした方がいいと考えてこのように集まってもらったのだ。
「で、宮坂君。何かわかったの?」
「メールのアドレスは間違いなく社内のものなんだけど、誰のものなのかわからない」
「誰かが、一時的に作ったアドレスということですね」
高柳の言葉に宮坂が頷く。
どうやらこの人物は、どういう経緯かはわからないが社内で何らかの方法でメールアドレスを作り、伊万里への誹謗中傷メールをばら撒いたというのだ。
その後、すぐに削除してしまったのだろう、既にアドレスは残っていなかった。
「でも、どうやってアドレスを作ったの?アドレスの登録や管理は、システム管理部でやってるんでしょ?」
社内のメールアドレスの取得に関しては、全てシステム管理部で行い管理していて勝手に作ることはできない。
ということは、内部の人間がやったということなのだろうか。
「嶋崎さんの言う通り、社内のメールアドレスはシステム管理部で一括管理している」
「ということは、システム管理部内の人間が絡んでいるということか」
「その可能性は、高いと思うが…」
システム管理部の人間でしかメールアドレスを作ることができないということは、礼の言うように部内の人間が絡んでいる可能性は極めて高い。
しかし、それを担当する人間は限られているわけで、簡単に相手が割り出せるような方法で行うというのが、どうも納得できなかった。
「でも、おかしいですね。アドレスを作れる人間は限られているのですから、すぐに誰だかわかることなのに」
「そうね。私も高柳さんと同じ、そんなみすみす誰だかわかるような方法を使うかしら。もしこんなことをやったのが知れたりしたら、懲罰を受けるでしょうし」
「まず、アドレスを作れる人間は誰なのかだな。宮坂、アドレスをいつ登録したかっていうのはわかってるのか?」
「あぁ、登録したのは昨日の15:35となってる」
「それが誰かって言うのは、わからないんだろう?」
「さすがにそこまでは管理していない」
「じゃあ、昨日の15:35に一体誰がアドレスを登録したかだな。アドレスを登録できる人間は誰で、昨日のその時間に席にいた人間は?」
「三谷、お前刑事になれるぞって言ってる側から俺も、それはきっちり調べてるけどな」
宮坂は礼の突っ込みにさすがだなと思いつつも、きっちりそこまで調べている自分もまんざらではないなと思う。
「冗談言ってる場合じゃないだろうが。で、どうなんだよ」
「アドレスを登録できる人間は、俺を含めて4名だ。そのうち1人は風邪で休んでいて、もう1人は15時から会議に出ていた。そして残りの1人は不調のパソコン調査で食品部門に出向いていた。これも確認済みだ」
「はぁ?ってことは…まさか、お前かよ」
まさか、宮坂が…。
「そんなわけ、ないだろう」
「ちょっと待って。今、1人不調のパソコン調査で食品部門に行ってたって」
「さすが嶋崎さん。三谷の単細胞とは大違いだな」
「単細胞ってな。お前が、回りくどい言い方するからだろうが」
社長に向かって単細胞とは…。
この3人の会話を聞いて、こんな時だが高柳は微笑ましく思っていた。
同期ということもあるだろうが、立場の垣根を越えて同僚の為にこうやって一生懸命になっている姿は将来の三谷貿易を見ているようでもあった。
「その不調パソコンの調査依頼をした主は、誰ですか?」
冷静な声で高柳が言う。
そして、宮坂の口から発せられた名前は―――。
「木村部長だよ」
「え?」
その人物の名を聞いた3人は、次の言葉が出てこなかった。
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