その後あのようなメールが流れることはなく、騒ぎは終息に向かっているように見えた矢先のこと。
「社長っ、大変です!!」
高柳は、受付の女性への挨拶もそこそこにノックと共に勢いよくドアを開けて社長室に入って来た。
いつだって冷静沈着な高柳なのに…礼も余程のことがあったのだろうと席を立ち上がった。
「高柳さん、一体何があったんだ?」
「取り敢えず、これを見てください」
高柳から一枚の書類を手渡され、それを見た礼は言葉を失った。
そこに書かれていたのは、伊万里の一件で責任を取って社長は辞任するべきだというもの。
恐らくこれも八代専務の差し金だろうが、こんなことを誰が信じるものなのか?
「何だ、これ?」
呆れて言葉も出ない礼は、そのままどっかと椅子に深く腰掛けた。
「これは、加藤常務からの連絡でわかったのですが、八代専務は他の役員に働きかけて近く臨時取締役会を徴集し、社長の辞任要求をするものと思われます」
「そっか」
―――とうとう八代専務は、動いたか…。
至って冷静な礼に高柳は苛立ちを隠せない。
「加藤常務の話では、相当な数の役員が八代専務の側に付くのではないかと…そうなれば、社長の辞任は避けられません」
加藤常務というのは、礼を支持する唯一の味方と言っていい。
それくらい、礼には敵が多いということだ。
「高柳さん、そう興奮しないで。まぁ、椅子に座ってゆっくり話しましょう。今、コーヒーを持ってこさせますから」
「社長!そんな暢気なことを…」
高柳の心配を他所に、礼はコーヒーを2つ持って来るよう秘書室に電話を掛ける。
そして…。
「大丈夫、もう手は打ってあるから」
「え?」
「俺を誰だと思ってるのかな?」
礼は、椅子から立ち上がって窓の外を眺めながら「そろそろ来る頃だな」そう呟くように言うと、見計らったようにドアをノックする音。
コーヒーを持った女性、その後ろからは宮坂と伊万里が入って来た。
「よぉ。高柳さんもちょうどいいところへ。あれ?三谷、俺たちの分のコーヒーはないのか?」
宮坂は、コーヒーを持って来た女性に追加を2つ頼む。
あまりに暢気な宮坂に、高柳はさっきまでの硬い表情を和らげた。
「宮坂、どうだった?」
「まぁ、なんとか間に合いそうだ」
「そうか」
「あの…社長。私にはさっぱり…」
『そろそろ来る頃』と言ったのは多分宮坂のことだと思うが、二人の会話がイマイチのみ込めない高柳が言葉を挟む。
それは、急に宮坂に呼び出された伊万里も同じだった。
「みんな、座ってくれないか」
3人は、礼に言われるままにソファーに腰掛けた。
「たった今高柳さんから報告があって、八代専務が動き出したらしい」
「そうか。ということは、臨時取締役会が開かれたら最後だったな」
「ねぇ、どういうことなの?八代専務が動いたって、臨時取締役会って?ちゃんと説明してくれないと、わからないじゃない」
この状況がさっぱりわからない伊万里は、少し拗ねたように言う。
「ごめんごめん。これを見て欲しいんだ」
礼は、さっき高柳に渡された書類を伊万里に渡す。
「何っ、これ?」
それを読んだ伊万里は、驚きを隠せない。
あのメールの一件以来、全く影を潜めてしまった八代専務だったが、裏でこんな手を回していたとは…。
「どうするの?礼、社長を解任されてしまうかもしれないわよ」
「そうだな」
「そうだなって…」
一大事だというのにこの冷静さは一体何なのか?
そんな時、再びドアをノックする音が聞こえ、宮坂がコーヒーを受け取って戻って来た。
「嶋崎さんも落ち着いて、まぁコーヒーでも飲んでよ」
「宮坂君、こんな時によく平気でいられるわね」
「こんな時だからこそ、冷静にならないと」
「宮坂の言う通りだ。それと高柳さんにも言ったけど、俺を誰だと思ってるんだ?見くびってもらっては困るな」
礼は、微笑むと1人立ち上がる。
「高柳さんと伊万里には今まで黙っていたが、八代専務と木村部長の動向は宮坂に探らせていた。これは決して二人を信用していないとか、そういうことではないことをわかって欲しい。あの人達だってそういうところは抜け目ないからな」
高柳と伊万里が動けば、必ずそこをついてくるに決まっている。
だから礼は敢えてこの二人には何も言わず、全てを宮坂に任せていたのだ。
それだけ彼を信頼していたということになるのだが。
「でも、あのメールの件は、八代専務が木村部長とシステム管理部の人間にさせたって証拠はないんでしょ?他の役員達も八代専務に付く可能性は高いわけだし、そうしたら…」
「その後は、俺が説明させてもらうよ」
宮坂が、礼の隣に立って話し始めた。
「確かに嶋崎さんの言うようにあのメールの件は、はっきりした証拠がつかめなかった。これは俺の力不足だから、この場を借りて嶋崎さんには謝るよ。すまなかった」
「ちょっと宮坂君やめてよ。今は、そういうことを言ってる場合じゃないでしょ?」
いきなり宮坂に謝罪されて、伊万里も困ってしまう。
「そうなんだけどさ、この道のプロとしては悔しいんだよ。こんなことになって」
宮坂にとっては、自分の管理不足でこのような結果になってしまったことが、とても残念でまた悔しいことでもあった。
まして、同期でもあり親友の礼の彼女でもある伊万里にあのような思いをさせたことが、何よりも辛い。
「宮坂は悪くないさ。誰もこんなことになるとは思ってないし」
「そうよ」
礼と伊万里にそう言ってもらえたことが、宮坂にとってはせめてもの救いだったかもしれない。
「話を元に戻すけど、メールの件を調べているうちに八代専務が鉄鋼輸入に関して不正取引をしていることがわかったんだ」
「「え?」」
事情を知らない高柳と伊万里が、驚きの声を上げた。
―――まさか…八代専務が不正取引を?
窮地に立たされたとばかり思っていたが、この思わぬ展開に二人は目を見開いたまま固まってしまった。
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