「高柳課長、社長がお呼びです」
総務部にいた高柳が礼に呼ばれたのは、ある日の午後のことだった。
「社長、何か」
「あぁ、高柳さん。忙しいところ申し訳ないね」
「いえ、そのようなことはありませんが」
「ところで、みんなのフランス行きの準備は進んでるかな?」
「はい。航空券とホテルの方は、既に手配済みですが」
プロジェクト室のメンバー全員で、視察を兼ねてパリに行くことになっていた。
その準備を全て高柳に任せていたのだが、礼にはもう一つ彼に頼みたいことがあった。
「実は、出張の後で一週間ほど休暇を取ろうと思うんだ」
「休暇ですか?」
「そう。今までずっと休みなしでやってきたから、この辺でゆっくりしようと思ってね」
「それはいいと思います。社長は、少し頑張り過ぎですから」
セルフォン・プロジェクトを立ち上げてから数ヶ月経つが、その間とにかく色々なことがあったから、高柳も礼が休みを取ることには賛成だった。
「休暇は、パリで取ろうと思う。そこで頼みがあるんだけど、ホテルを追加で予約して欲しいんだ」
「わかりました。それでは、何泊延長なさいますか?」
「いや、別のホテルにして欲しい。できれば、最高級のスィートがいいんだけど」
高柳はてっきり、現時点で泊まる予定のホテルを延泊するものとばかり思っていたが、どうやら違っていたようだ。
それも最高級のスィート…ということは、伊万里も一緒だということなのだろうか?
「あの…つかぬ事を利きますが、嶋崎室長もご一緒で」
「さすが、高柳さん。察しがいい」
なるほど、二人で休暇を取るということか…やっとわかった高柳だった。
「では、早速そのように手配いたします」
「あのさ、伊万里には黙っていてくれるかな。驚かせたいから」
「そういうことでしたら、喜んで。でも、嶋崎課長は大丈夫ですか?内緒にしてても」
礼が内緒でことを進めるのは、高柳も周知のこと。
それをいつも伊万里が突っ込んでいることも知っている。
驚かせたいという気持ちもわからないではないが、礼が考えているのはこれだけではないような気がしてならない。
変なことにならなければいいと、高柳は少しだけ心配だった。
「まぁ、大丈夫だろう?勝手に決めてとか、ひと言前置きはあるだろうけど」
そのやり取りが手に取るように見えて、つい高柳も笑ってしまう。
「えっと、それともう一つあるんだけど」
「はい、何でしょうか」
「日本人でも、式を挙げられる教会を探して欲しいんだけど」
「教会ですか?」
―――まさか…嶋崎課長に内緒で、式を挙げてしまおうって言うんじゃ…。
「社長、まさかこれも嶋崎課長に内緒ってわけではないでしょうね」
「さすが高柳さん、話が早い」
さっきから褒められているが、喜べるはずもなく、というか女性にとっては一生に一度のこと、こんなふうに決めてしまってもいいのだろうか?
「でもこういうことは、きちんと嶋崎課長と話し合われた方がいいのではないでしょうか」
「普通じゃあ、面白くないからな。それに伊万里に話したら、できるものもできなくなる」
礼は、三谷貿易の社長である。
既に両親には内緒で承諾を得ているものの、その結婚相手となればきちんと準備立てないといくら伊万里でもそう簡単にはうんと言わないのは目に見えていた。
「そうかもしれませんが、このような大事なことを私が決めてしまっていいものか」
「高柳さんだから、頼むんだ。高柳さんは顔も広いし、きっちり仕事もしてくれる。それに何より口が堅いから。どこからか洩れてしまっては、元も子もないんでね」
高柳は、とにかく顔が広い。
接待で使う店なども全て彼が決めるのだが、どの店も顧客からの評判はいい。
そして、何よりも口が堅いということだ。
内緒で話を進めてもらわないことには、せっかくの計画も台無しになってしまうから。
「わかりました。少々荷が重いですが、社長のご期待に副えるように努力します」
「これで仕事の方がおろそかになっても困るから、そんなに深く考えなくていいよ」
「いえ、これも仕事ですから」
「そういうところ高柳さんらしいな。式は向こうで挙げてしまうけど、パーティーは日本で盛大にやろうと思ってるんだ。その時には是非、高柳さんにも出席してもらうよ」
「出席だけなら、喜んで」
社長室に笑いが起きる。
この調子だと、高柳はパーティーの招待客兼準備係に回されるのは決定的だから。
かくして、礼の突拍子もない計画は着々と進んでいった。
+++
週末、やっと二人きりになることができた礼と伊万里は、彼のマンションで甘い夜を過ごしていた。
肌と肌を合わせながら、お互いの存在を感じ合う。
今まで幾度となく繰り返してきたはずのに、なんだか特別なものに思えるのは気のせいだろうか?
「やっとここまでこぎつけた。これも伊万里のおかげだな、感謝してもしきれないよ」
「やだっ。何、真面目腐った言い方してるの?私だけじゃないでしょ、やっぱり社長の礼がいたからじゃない。それにまだまだ、先は長いのに」
いつになく素直に感謝の気持ちを述べる礼に伊万里はどう答えていいかわからず、ついいつもの調子で返してしまう。
確かに口火を切ったのは伊万里かもしれないが、最後は社長である礼の力があったからこその結果だと思う。
でなければ、伊万里一人でここまで来ることなど到底できるはずはない。
「そんなことないよ。俺ではこんな発想浮かばなかったし、絶対この話はうまくいかなかった。それでご褒美ってほどでもないんだけど、仕事が済んだらそのまま少し二人でゆっくりしないか?」
「え、旅行?」
「そう。ずっと休みなしで働いていたんだ、俺も一週間休暇を取ることにしたから、伊万里もそうすること。これは社長命令だから」
セルフォンとの会食以来、礼も伊万里も休日返上で仕事に追われていた。
しかし、あまりに急に決めるものだから、さすがの伊万里もついていけない。
―――いつだってそう、礼は自分で勝手に決めて事後報告なんだから。
「休むのはいいけど、そのままって?」
仕事のついでに休みなど取ってももいいのだろうか?
みんなも一緒となれば、尚更だと思うのだが・・・。
「日本にいると何かと雑音が多くてさ、多分休暇を取っても電話やら、しまいには呼び出しまでくらいそうだからな」
確かに日本で休暇を取ろうものなら、ちょっとしたことでも電話でなんだかんだ言ってくるだろうし、例え日本の端にいたとしても呼び出される可能性は高い。
それがパリならそう簡単には戻れないから、ゆっくりできるというわけだ。
「もう決めたから」
「礼は、いっつもそうね。私に内緒で全部一人で決めちゃって」
こういうところが礼らしいのだが、もう少し人の意見も聞いて欲しいという気持ちを込めてわざと嫌味っぽく言ってみる。
「そういう俺も好きなんだろう?」
「はぁ?何、自惚れてるのよ」
どうしたら、そういう解釈になるのやら…。
でも、ニコニコと微笑む礼を見ていると何も言えなくなる。
伊万里は小さく溜め息を吐くも、この男には何を言っても無駄とありがたく礼の申し出を受けることにした。
しかし、この後もっとすごいサプライズが待っていようとは思いもよらない伊万里だった。
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