次の日、伊万里が勝負服と決めているイタリアのGGマークで有名なブランドのブラックのパンツスーツに身を包んで会社に出社した。
その姿を見た社員達がこれまた、どうしたんだ?!という顔で伊万里を見ているのがわかる。
いちいち見られているというのはあまり気持ちのいいものではなかったが、普段の自分を比較すればこれもしょうがないことなのかもしれない。
近くにいた女性事務員に今日は、1日応接室にいて緊急時以外は連絡してこないよう告げる。
昨日、夜中までかかって作成した資料をもう一度見直して伊万里は社長室に向かった。
「おはようございます、嶋崎課長」
「おはよう。社長は?」
「はい。お部屋にいらっしゃいます」
いつも恒例になっている、受付の女性との挨拶だ。
部屋の前に行くと一呼吸おいてドアをノックする。
「嶋崎ですが」
「どうぞ」
中に入ると立ち上がって窓の外を眺めている礼がいた。
「おはようございます。社長」
「おはよう」
言いようのないピリピリとした空気が流れている。
「いよいよね」
「そうだな。でも伊万里がいれば、大丈夫だろう?」
「まったく、人に頼りっぱなしなんだから。社長なんだから、こういう時くらい俺に任せろとかないわけ?」
この言い方、伊万里らしいなと礼は苦笑を返す。
「俺が下手に口を挟むより、セルフォンも伊万里と話す方がより実感が沸くと思うんだ」
礼は、何もしないわけではない。
もちろん最終決断は社長である自分がするし、間違った方向へ話が反れるようなことになれば、口も挟む。
しかし、自分が全てを取り仕切ってしまったら自由な発想は浮かんでこない。
代々築き上げてきたこの三谷貿易を守っていかなければならない立場にあることは確かだが、社員の自主性を無視してまで独裁したくないというのが礼の社長としての思いであった。
そして、日本でのセルフォン市場は伊万里の年代を含む若い女性を中心としたものになるだろう。
だからこそ、一番身近な立場にいる伊万里に任せたかったのだ。
◇
約束の10時にセルフォンのデュボワ氏とクレマン氏が三谷本社に到着して、おととい会食した時と同じ和やかな雰囲気の中、どういう製品を作っていくかを話し合った。
三谷貿易としては、若い世代の高級志向な女性をターゲットにした商品構成ということでセルフォンでも主体となっているコーヒー、紅茶等やスィーツ系を中心にオリーブオイルやビネガー、パスタといった食品系をプラスするという案を出し、セルフォンに対しては日本のものということで、礼と伊万里とで話をしてグリーンティーと梅を使った製品を作ってみてはどうかとの提案をしてみることにした。
というか、ほとんど伊万里任せと言った方が正しいのだが…。
「グリーンティーについては、私達も考えていたところでした。でも、梅というのがピンとこないのですが」
デュボワ氏とクレマン氏も今回の視察でグリーンティーに関しては既にいくつかの製品案を考えていたらしいのだが、梅というものにはあまり馴染みがないようで思いつきもしなかった。
「日本に昔からある酸っぱい食べ物で実を漬け込んで食べるのが主流ですが、青いものを使ってお酒等も作られています。今回はこの青い方を使って、コンフィチュール(ジャム)とかソルベ(シャーベット)に使えばフランスの方にも馴染んでいただけると思うのですが」
伊万里の提案に両氏も興味を示す。
セルフォンの方は、今まで自社でしか製品開発をしていなかったということもあってなかなかそういう意見の交流の場がなかった。
言葉は悪いかもしれないけれど、古い歴史の中に閉じこもるというか閉鎖的だったのだろう。
半年ほど前、病気を理由に会長に退いた父親の代から息子へと社長が引き継がれたこともこのような場を設けることができた理由が少なからずあったのかもしれない。
今回二人が日本に視察に来たのも実は、この若き社長の命令だったという話をたった今聞かされた。
三谷貿易にとっては、非常に運が良かったということになるだろう。
「それは、とても興味深いですね。早速、社長に報告致します。ミタニのことは社長もよく存じておりましたから、きっといいお返事ができると思います」
「「本当ですか?」」
礼と伊万里は、顔を見合わせて同時に声を上げた。
こんなに簡単に話が進んでいいものなのか、これは夢なのでは?と思わずにはいられなかったが、数日後に両氏が帰国した直後にセルフォンの社長であるル・フォール氏より連絡をもらいそれが本当なのだと改めて認識することとなる。
◇
昼食を挟んでデュボワ氏とクレマン氏との話は数時間に及び両氏が三谷本社を後にしたのは、15時を少し過ぎたところだった。
「この分だと契約は、ほぼ間違いなさそうだな」
「そうね、こんなにうまくいくとは思わなかったけど。でも、セルフォンの社長ってどんな人なのかしらね?想像なんだけど、なんとなく礼に似てるような気がする」
「俺に?」
若きセルフォン社長の情報は極めて少なく、どのような人物なのか現時点では知ることはできなかったが、なんとなく伊万里は礼に似ているような気がしていた。
「ってことは、セルフォンの社長は間違いなくいい男だな」
「はぁ?どこをどう間違ったら、そういう発想になるのよ」
この楽天的な考え方はどうなの?と思うが、そういうところがこの歳で会社をうまく動かしていく秘訣なのかもしれない。
「なぁ、伊万里」
礼は、自分のデスクの椅子から立ち上がるとソファーに座っている伊万里の背後からそっと包み込むように抱きしめる。
―――だ・か・ら、密室だと言ってもここは会社なんだって…。
とは思っても今はなぜか伊万里の口からは、そんな強い言葉は出てこない。
「うん?」
「今夜、うちに来ないか」
明日は週末で、仕事も休みである。
だからというか気持ちを伝えてしまった今、礼には一分一秒たりとも伊万里と離れてはいられなかったのだ。
「いいけど。ちゃんと、寝かせてくれる?」
「それは、どうかな?こんな魅力的な伊万里を前に俺が我慢できると思う?」
そう耳元で言うといたずらっぽく笑う、礼。
そんなことここで言わないでっ!て思いつつも、女としてはやはり嬉しいというのが本音だろう。
伊万里だって、礼と同じ気持ちなのは確かなのだから。
自分を抱きしめる彼の手にそっと自分の手を重ねる。
「礼ったら、もうっ。仕方ないわね」
こんな言い方をしていても最後は自分の気持ちを受け入れてくれる伊万里が、礼には愛しくて仕方がない。
二人は、自然に唇を合わせると早々に仕事を切り上げて彼のマンションへと帰って行った。
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