高度4万フィートの恋
Flight5



「一体、どこに居たんですか?」

「待ちくたびれちゃいましたよ」と助手席でご立腹の寿珠(すず)に対して、角田は空の上とは全然違う柔らかい表情で愛車のブラックのフォルクス・ワーゲン、ビートルを静かに走らせた。

『マンションの近くまで来てるんだけど』なんて、嘘ばっかり!!
30分間、ギリギリまで考えに考え抜いて、そんな中で心を決めて携帯の発信ボタンを押したというのに、慌てて支度を済ませた寿珠がマンションの前で待つこと1時間…。

「ごめん。さすがの俺でも、君の家まで知らないから」
「騙したんですね」

『後悔してる』と言っておきながら、ローマでの時と同じ、寿珠はまんまと彼の罠に掛かってしまったというわけだ。

「騙したなんて、人聞きが悪い。じゃあ、知ってた方が良かったのか?俺は、本当のストーカーになっちまうだろうが」

角田が寿珠の住んでいるマンションを知るはずもなく、かといって彼女が誘いに乗る保障もなかったわけで、適当に自分の家を出発して車を走らせていたのだが、大まかにも近くは近くだったし、あの時はああいう言い方をするしかなかったのだ。
ただ、何はともあれ、こうして隣に居てくれることが角田にはホッとした反面、嬉しくてたまらない。

「それより、どこか行きたい場所の希望とかある?」
「別に」
「何だよ、その投げやりな返事はさ」

「だって、急に言われたって思いつかないんですもん」と寿珠は自分の側の窓の外に視線を落とす。
電話の向こうから聞こえたベテラン女性歌手の歌声が心地よく耳に入ってくるが、寿珠ももちろん好きな歌手であったから、チーフの趣味としてはまずまず合格点をあげよう。
誘いを受けることしか頭になかった寿珠には、これからどこに行くのかとか、冷静になって考える時間などなかったのだから。

「じゃあ、考えてみて」
「いいですよ。適当でっていうか、無理しなくても」
「適当でってなぁ。どこが、無理なんだよ。せっかく、上田さんとこうしてデートしてるってのに、何でも我が侭言っていいんだぞ?」

―――『デート』って、勝手に決めないでよ。
まぁ、誘われてのこのこ出てきちゃったんだから、デートには変わりないのかな。
だけど、何で私?
今日のチーフは、初めて見るジーンズ姿で至ってカジュアルなのにものすごく魅力的に見えた。
誰にも内緒の制服フェチだった寿珠も、また別の雰囲気に思わず見惚れてしまうのを悟られないよう、極力視線を外すが、胸のドキドキだけは止まらない。
しかし、この車を選んだところはちょっぴり意外なチーフの一面を垣間見たような気がした。

「なら、空港に行って下さい」
「えっ?空港って、成田空港?!」

「えぇ」と寿珠が平然と返すと、『何で成田?!』という表情を浮かべるチーフ。
そりゃ、そうだろう。
日頃仕事で当たり前のように行き来している空港に今更、それも自称デートだというのに選ぶ場所でもないはずだ。

「何でまた」
「飛行機に乗ることはあっても見ることって最近は、ほとんどないから。たまににはいいかなと思って」

キャビンアテンダントになりたくて夢見ていたあの頃、いつも一人空港に来ては飛行機を眺めていた寿珠。
それから数年経った今は、ほとんど見ることもなかったし、それがチーフでない別の誰かだったら、こんなことを言ったりはしなかったかもしれない。

「俺も見ることはないけどさ」

『我が侭言っていいんだぞ』と言ってしまった手前、大人しく彼女の希望に応えるしかなさそうだ。
『海が見たい』くらい言われると思っていたのだが、そこが彼女らしいところなのだろう。
彼女の言うようにプライベートで足を向けることなどあまりない場所ではあったが、改めて来てみればそれはかなり新鮮だったと言っていい。
ジャパン・スカイエアーの発着するターミナルとは違う方のターミナルの展望デッキに来ていた二人。
平日とあって人はまばらだったが、それが返って良かったと思えた。

「いい眺め」

まるで、子供のようにフェンスに張り付いて離発着する航空機を食い入るように見ている寿珠を角田は微笑ましく見つめていた。

「そうだな」

角田も子供の頃はこうやってよく父親に連れて来てもらっていたし、やはり男の子といえば、憧れるのはパイロット。
将来は自分もあの巨大な航空機を操るパイロットになることを夢見ていたが、最終的にパーサーを選んだのは人と接する仕事に就きたかったから。
だが、飛行機が好きなことには変わりない。

「夕暮れ時に来たら、ロマンチックだったかも」

望遠鏡を覗きながらポロっと寿珠の口から漏れた言葉だったが、夕日が沈むのを二人で見ながらなんて、デートスポットとしてはかなりいい感じ。
それが、チーフと二人っきりとなると微妙な話ではあったけれど…。

「今度、来る時はそうしようか」
「えっ、今…度…ですかぁ?」

振り返って見ると思いの外チーフがすぐ側に居て、寿珠は思わず視線を望遠鏡のレンズに戻す。
―――今度なんて…。
チーフはまだ、私を誘う気なの?
それにしても、何でこんな近くに寄って来るのよ。

「嫌なのか?俺とじゃ」
「そういう訳じゃないですけど…。何で、私なんです?チーフなら、もっと素敵な女性がいると思いますが」
「君は俺にとって、十分素敵で魅力的な女性だけど」

「次は、俺にも見せて?」と言うや否や、寿珠の背後から望遠鏡を覗き込む角田。
避けようにも彼の両手で望遠鏡を押さえられて寿珠は身動きがとれず、かろうじて顔を背けることしかできなかった。
それでも、彼の熱い吐息を耳元に感じて、ビビっと全身に電流が流れたような錯覚に陥る。

「そういう、誤解するような言い方は止めて下さい」
「誤解って?」

触れるか触れないかの微妙な距離で話し掛けられると、背筋がゾクゾクして妙に落ち着かない。
―――あぁ〜お願いだから、離れてよっ。
こうなったら正直に白状すれば、上司であっても魅力的な男性には変わらないわけで、そんな人に意味深な言い方をされると誤解するからっ。

「あの、もう少し離れていただけませんか」
「どうして?」
「どうしてって、チーフは私をからかって弄んで。意地悪するのを楽しんでるとしか思えません」

角田の望遠鏡に添えられていた手が、寿珠の腰を抱き寄せる。

「ちょっ、チーフ!!止めて下さい」

―――こんなところで…。
大声を出すわけにもいかず、どう足掻いてみても、そんなことは何の役にも立たなかった。

「からかっても、弄んでもいないさ。意地悪するのは若干、快感になってるかもしれないけどな」
「何ですか、それ」

クスクスと笑う彼の振動が伝わってくる。

「まだ、わからないのか?俺がこんなに一生懸命、アプローチしてるのに。いくら上司だって、勤務中に誘ったり、こうして休みの日に電話を掛けたりしないだろう」

「だいたいなぁ、あのキスで少しは気付くもんだ」と言われても、わからないものはわからない。
少しは気があるのかも…なんて思ったら、自惚れてるって軽くあしらわれるのがオチ。
いくら、チーフでも本気で自分のことなんて愛してくれる保障なんてどこにもないのだから。

「まさか、本気じゃないですよね」
「あのなぁ、冗談でこんなこと言うはずないだろう?」

「ったく」と呆れたように角田は言うと、寿珠を自分の方に向かい合わせにする。
彼女がキスに応えてくれた時点で、角田にだって核心があった。

「無理することなんてない。自分を偽るな。俺は、君を悲しませるようなことは絶対しないから」

その声はどこまでも優しくて寿珠の心を解きほぐすように包み込み、ずっと引っ掛かっていた何かが弾けた。

「チーフ」

今の寿珠には、それだけを声にするのが精一杯だった。
ただ、何も持たずにまっさらな気持ちで彼の胸の中へ飛び込んだ。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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