恋はすぐそこに
2


次の日の朝も、その次の日の朝も、ららは白桐と同じ電車で一緒になった。
彼は敢えて車両の中では近くに来ようとはしなかったが、ホームに降り立つと、ららのことを待っていてくれる。
それが嬉しいと思う反面、やっぱり相手が相手だけに心境は複雑だ。
そして、そういう噂はすぐに広まる。

ららちゃ〜ん、聞いたわよ。毎朝、白桐課長とご出勤ですって?」
「ちゃ〜んって…」

こぶたちゃんのその呼び方と、何より突き刺さるような視線が痛い…。
どこで誰が見ているかわからないと思ってはいたものの、こんなに早く知られてしまうとは。
単に毎朝同じ電車で会うだけという偶然が重なっただけなのに、変な噂が立てられたら自分も困るが、課長はもっと迷惑な話だろう。

「こぶたちゃん。それ、誰から聞いたの?」

「えっと」と顎に指をあてて考えているところを見ると、その噂の出所は複数あるということなのだろうか…。
―――それはまた、厄介な。
こうなったら、飲み会の前に全部吐き出させなければ、今夜はこの話題で終わってしまうかもしれない。

「何を聞いたんだい?」
「げっ、課長…」

お目当て和食のお店のドアを引いて中へ入ろうとした矢先、まさか真後ろに居たとは思わなかった。
そんな、ららを他所に白桐は「詳しい話は中で一杯やってからにしよう」と二人の背中をポンッと押した。
元気に迎えられた店員さんに予約していた名前を告げると案内されたのはテーブル席だったが、衝立で仕切られているのはポイントが高い。
忘年会で使うことになれば結構な人数になるが、ちゃんと奥には70人は入れる座敷が用意されているから、これなら大丈夫だろう。
らら達もかなり早く会社を出てきたと思ったのに、それより先に来ていた深森(みもり)達は、待ちきれなかったのか、既に一杯やっていたようだ。

「課長、遅いっすよ。待ちきれなくて、一杯やっちゃいました」
「お前らには、ほんの少しの我慢というものがないのか」

「ないで〜す」という何とも気の抜けた言葉が返ってきたが、これでも将来の白桐出版を担っていく若者達なのだ。
多少、不安も感じつつ、全員揃ったということで取り敢えずビールで乾杯といくことにする。
白桐は、深森に呼ばれてららと席が離れてしまったことにさっきの話の続きもこれじゃあ聞けないと一抹の寂しさを感じながら、生ジョッキのグラスを持ち上げた。

「そう言えば、課長。毎朝、観月さんとご出勤らしいっすね」
「は?」

いきなり、深森に切り出されて危うくビールが気管に入るところだった。
…こいつらは、朝誰と一緒に来るとか、そんなことまでチェックしてるのか。
若い女子社員と肩を並べて歩いていれば、それも毎朝となれば、そんなふうに思っても仕方がないのだろう。

「彼女とは毎朝乗る電車が同じってだけで、職場が一緒なのに無視する方がおかしいだろ」
「可愛いですしね。朝から電車が同じなんて、課長はラッキーですよ」

「俺にもその電車の時間、教えて下さいよ」と出てきた刺身の盛り合わせに迷わず箸を伸ばす深森。
弁解しているように聞こえたらと思ったが、確かに相手が彼女だからというのも多少なり…いや、かなりあった。
しかし、深森も彼女を狙っていたとするなら、絶対教えてなんてやるものか。

「彼女は人気があるんだ」
「モテモテ御曹司の課長には、いくらでも素敵な女性がいるんでしょうけど。俺達には観月さんですら、手が届かない存在なんですから。それに彼女は、細かいところにもよく気が付きます」

…モテモテ御曹司は、余計だ。
それに、いくらでも素敵な女性がと思われているのか。
生憎、白桐は管理職ではあるが、他の社員と同等の給料しかもらっていない。
出会いの場だってそれは同じことで、白桐が特別ということではないのだ。
それにしても、彼女の評判はかなりのものなんだな。
可愛いというのは認めるし、バリバリのキャリアウーマンではないものの、深森の言うように細かいところによく気付く。
いつもおチャらけている彼にしては、正しい判断だろう。
ふと、彼女に視線を向けると、何をそんなにと問い質したくなるほどの笑みを浮かべている。
そこだけ、ライトがたくさん照らされているかのように輝いている。

「ラララ〜ラ♪ ラ〜ララ♪♪」

…おっと、こんな時に誰だ?
まさか、仕事とか言わないだろうな。
白桐がワイシャツの胸ポケットに入れていた携帯電話を取り出そうとするが、その前に音が切れた。

「もしもし」

『あれ?確かにこの着うたは―――』は白桐の物と同じではあった。
…ん?この声は。
もう一度、視線を彼女に向けると、さっきとは違う表情を見せる。
ビールでほろ酔い部分もあったかもしれないが、それとは違う色気のような。
…男かよっ。
信じたくなかったが、どうやら電話の相手は男のようだ。
あれだけ注目されているのなら、男がいたっておかしくないし、逆にいない方が不自然だったのかもしれない。
…クソっ、どこのどいつが先に彼女をモノにしたんだ!!

自分はまだ、彼女のことを何も知らないというのに…ましてや、そういう対象にすら思ったことさえなかったはずなのに。

彼女と電話の相手とはどういう関係なのか、そのことが気になって、おちおち飲んでもいられなかった。



「竜ちゃん?どうしたの。ん?今ね、会社のみんなで飲んでるの」

竜ちゃんというのは観月 竜生(みづき りゅうせい)という名前の通り、ららの3つ年上の兄のことである。
半年前に結婚したばかりの新婚さんだが、珍しく電話を掛けてくるなんて、喧嘩でもしたのだろうか…。

「え?付き合ってって、いいけど」

…何?付き合うだと?
デートの誘いかよ。

白桐は左の耳で深森の話を聞きながら相槌を打ち、右耳でららの電話での会話を聞き取るという、器用なワザを使っていた。

しかし、“竜ちゃん”という相手は何者なのだろう…。
彼女のことが、どうして気になるのかわからなかったが、年齢的にもあれだけ周りからも人気があれば男がいたっておかしくない。
完全に一人の男のものになってしまうのも、時間の問題か…。

考えただけでも、心が落ち着かない。

「じゃあ、来週ね。ホテルのレストラン、ちゃんと予約してよ?」

通話を切ると、ららはフッと笑みを漏らす。
もうすぐクリスマスだから、愛する奥様にプレゼントを選んで欲しいという兄の誘いなら仕方がない。
付き合うお礼にホテルのディナーをオネダリしてみたのだが、兄は快くOKしてくれた。
そういうところは太っ腹ではあったが、きっと彼氏はいないのか?とか、そういう、ららの情報を聞き出す目的もあるのだろう。
毎朝、課長と同じ電車に乗り合わせていることで満足しているようでは、だめなのかもしれない。
―――あぁ〜彼氏、欲しくなっちゃった。

「誰?竜ちゃんって」

早速、こぶたちゃんの鋭いツッコミが入ったが、彼女はららに兄がいることは知っていても、名前までは知らなかったのだろう。

「お兄ちゃん。お義姉ちゃんのクリスマスプレゼントを一緒に選んで欲しいんだって」
「ちょっと前に結婚したっていう?」
「そう。ホテルのディナー付でね」
「いいなぁ」
「でも、相手はお兄ちゃんだよ?」

兄と二人でディナーも、よく考えたら、かなり寂しい気がする…。

「でも、電話の会話を聞いていたここにいる男どもは、全員ららの彼氏だと思ったわね」
「はぁ?」

―――何で、彼氏…。
っていうか、人の会話を盗み聞きしないでよ。

「課長も耳、ダンボになってたもん」
「課長が?」

慌てて白桐課長に目を向けると、すっごい突き刺さるような視線が…。
だけど、別にららに仮に彼氏がいたとしても、課長がそれを知って特に驚くことでもないのでは?

「お兄さんだって、男には変わりないもんねぇ。クックック…」

―――こぶたちゃん、おもしろがってるし。
課長にも、そう思われちゃったのかな…。
あぁ〜ん、こんな時にお兄ちゃんが電話なんて掛けて来るからっ。


NEXT
BACK
INDEX
PERANENT ROOM
TOP


Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.