be yourself
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あれ以来、笠原とは他愛ないことを電話で話したり、会社帰りに食事や飲みに行ったりすることも普通になっていた。
もちろん、彼が言っていた行きつけの居酒屋にも連れて行ってもらった。
『周りがオヤジしかいない居酒屋』笠原の言う通り、魚や焼き鳥を焼いている煙に混じって煙草の煙が立ち込めている、藍が決して足を踏み入れることがなかったはずの彼だけの世界。
静かなクラシック音楽が流れ、食器の音に神経を尖らせながら、おちょぼ口で気取っている場合ではない、大きな声を出さないとすぐ傍にいる笠原の声すら聞こえないし、手羽先のから揚げを箸で食べることがどれほど難しいか。
でも、相変わらず笠原との関係はあの時のままの平行線…そこへ招き入れてもらえたことで自分は一歩特別な存在になったと思ったのは、藍の思い上がりだったのかもしれない。
─── 笠原は、私のことをただの同期としか思ってないのかな…。
日に日に募る笠原への想いに、藍はどうしていいかわからなかった。

「藍、どうしたの?最近、元気ないみたいだけど、どこか体調でも悪いの?」

お昼に社員食堂で同僚の安達 美穂(あだち みほ)と食事をしていたのだが、途中で箸が止まってしまった藍を心配そうに見つめながら美穂が言った。

「え?そんなことないけど」

まさか、笠原のことを考えていたなどと言えるはずもなく、なんでもないと装うようにモデル時代に培ったカメラ目線で藍は笑って誤魔化した。

「そう?藍はなんでも自分で溜め込んじゃうからね。あたしで良かったら聞くから言ってよ、友達でしょ?」

美穂は一年先輩だが藍が新人で配属された職場には同期の女子はなく藍一人だったこと、歳が一番近かったこともあって初めからとても可愛がってくれ、今では友達の域を超えて親友と言ってもいいくらいの間柄になっていた。
美人だけど男っぽくてさっぱりしていて、それでいて人の変化にすぐに気がついて声を掛けてくれる、藍にとっては血の繋がったお姉さんみたいなとても頼りになる存在だった。

「ありがとう。今度、話を聞いてもらってもいい?」
「いいわよぉ?そうだ!!明日から一週間は、旦那が出張でいないのよ。だから、週末にでも泊まりに来ない?久しぶりにパーッと飲み明かそ」
「うん」

美穂は、半年ほど前に大学時代から付き合っていたという彼と結婚したばかりだ。
心温まるアットホームな結婚式で、藍は自分も早くあんなふうに純白のウェディングドレスを身に纏いたいと切に願ったのも、ついこの間のこと。
独身時代はお互いの家で泊まりで飲み明かしては彼氏のことなどを話したりということが度々あったけれど、彼女が結婚後は新婚家庭にお邪魔するのはなんとなく気が引けて美穂の家には一度しか行ったことがなかったから、この誘いはとても嬉しかった。



金曜日の定時が過ぎて、美穂と藍は途中のしゃれたスーパーで食材を揃えると美穂の住むマンションへ向かう。
美穂の家は今流行のデザイナーズマンションというもので、外観もさることながら、内装も凝っていてとても素敵だ。
そして、今夜のメニューはど〜んと奮発して特上肉を使った焼肉。
何でも美穂の旦那さんは焼肉に目がないらしく、自分がいない間に女二人で食べたことが知れたら、いつまでも根にもたれてしまうかもしれない。
とはいっても焼肉のいいところは食材をお皿に盛ってテーブルに置くだけで作る手間も省けるし、何より飲みながら話しながら食べられるのがいい。
初めはビールで乾杯すると、美穂は待ってましたとばかりに単刀直入に藍に切り出した。

「それで、聞いてもらいたいことって何?」

藍は躊躇いながらも、笠原とのこれまでのことを簡単に要点をかいつまんで美穂に話した。
そして、自分は笠原のことが好きだが、彼は自分のことをどう思っているのかわからないこと、気持ちを伝えるべきか?もし伝えて今の関係が崩れたら…藍にはそれが一番怖かった。

「そっか、藍はその笠原君が本当に好きなのね。あたしは、藍が本当に好きな人を見つけられたことが嬉しいな」

話しぶり、表情を見ても、藍が彼を心から想っているのが手に取るようにわかる。
美穂は藍が色々な人と付き合っていたこと、それは決して男癖が悪いとか遊びとか軽い気持ちだったわけではないが、本気で人を好きになったことがないことも、別れ話に笠原を巻き込んだ男のことも、もちろん全部知っている。
それでも、藍が本気で好きな男性(ひと)に巡り合えたことが美穂には何より嬉しかったのだ。
美穂は笠原という男がどんな男なのか知らなかったけれど、彼女のハートを掴んだ彼となんとか上手くいってくれればと願わずにはいられない。

「あたしは、笠原君に藍の本当の気持ちを伝えるべきだと思う。そうしなきゃ、何も始まらないわよ?一人でうじうじしていてもしょうがないじゃない。話を聞いていると、笠原君も藍のことを好きなんだと思う。でなきゃ、個人的に誘ったりしないでしょ」

藍に惹かれない男性はいないと言い切れるほど、そんな彼女を隙あらば誘いたいと狙っている輩は数多く、女の美穂から見てもその容姿だけでなく、何気ないしぐさに至るまで彼女は素晴らしく魅力的だ。
本人は意図的に振舞っているかと思えば、これが無意識だというのだから、生まれながらにして本能的に持ち合わせている個性とでも言うべきもの。
まったくもって、羨ましい限りである。

「彼も藍と同じ気持ちなんじゃないかな、もし自分のことを好きじゃなかったらって。藍なら大丈夫、あたしが保障する。もし、藍のことを振るようだったら、そんな男は初めからダメなやつだったのよ」

笑ってそう言い切る美穂が藍にはとても眩しく見えた。
美穂はいつだって強くて前向きで、そう言えば今の旦那さんにも自分から告白したと言っていたし、藍はいつも受身、ただ周りに流されていただけだったことに今更ながら気が付いて、ものすごく恥ずかしかった。

「うん、そうよね。伝えなきゃ、何も始まらない。それに上手くいかなくても世の中、男はたくさんいるんだし」
「そうそう。それでこそ、いつもの藍。今日は、とことん飲も」

「旦那にはナイショね」美穂はとっておきのワインがあるからとキッチンにそれを取りに行った。

+++

美穂に話を聞いてもらって胸のつかえがすーっと取れたと思ったのもつかの間、笠原に自分の気持ちを伝えようと決めた藍だったが、やはりすぐには言い出すことができそうにない。
生まれて初めての感情に、告白というこれまた初めての行動に出るには勇気も時間も必要だ。
そんな時、久しぶりに同期の女子だけで集まった飲み会で聞き捨てならない噂を耳にした。

「ねぇ。笠原君さぁ、この前すっごく綺麗な子と一緒に歩いてるのを見たって、うちの部の人が言ってたのよね」

藍が瞬間的に反応してしまう笠原という名前を発したのは、彼と同じ部に配属になった佐藤 麗奈(さとう れいな)だ。
麗奈は綺麗というより、可愛いということばがぴったり当てはまるタイプだろうか?
明るくてよくしゃべる、とても楽しい子なのだが、いかんせん人の色恋話には目がないらしい。

「そうなの?あの笠原君がねぇ」

やっぱり色恋話に目がない山崎 紗知(やまざき さち)が、光の速さで話に加わる。

「でもさ、笠原君。最近、カッコ良くなったって評判なのよね。あれは絶対女だって、そう言えば藍は笠原君と仲良かったじゃない。なんか知らないの?」
「えぇっ??しっ、知らないわよ。か、笠原のことなんて」

ただでさえ寝耳に水、いきなり振られて思わずどもってしまったが、まさか…笠原にそんな子がいたとは思いもしなかった。
─── そうよね。前に笠原は彼女はいないって言っていたけど、今はできたのかもしれないし…。
笠原が一緒に歩いていた綺麗な子とは一体、どんな女性なのだろうか?
本当に彼と付き合っているのだろうか…。
藍は頂上を目の前にして悪天候のために下山しなければならない、諦めに似た落胆の気持ちを隠せなかった。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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