Stay Girl Stay Pure
Story7


どれくらい意識を失っていたのか、めまいを感じつつも涼はゆっくりと目を開く。
白い天井に間接照明なのか、特に目立った照明は見当たらない。
このシチュエーションは、数日前にも味わったような気がするが、ここは一体…。
イアンの泊まっていたホテルとは違う、普通の家のように思えるが豪華だということに変わりない。
思い出してみればパーティーの途中、疲れてホテルの一室で休んでいる時に誰かが来て、ドアを開けると知らない外国人男性が二人、なんか変な薬みたいな匂いのするハンカチを当てられたんだった。
―――ということは…えっ誘拐!!あたしは誘拐されたわけ?!
うそっ、どうするのよ…。
うちには身の代金を払えるお金なんか、これっぽっちもないんだからね。
お父さんは一応名の通ったチェリストだけどお金に関してはものすごいルーズ、天然のお母さんはそれに輪をかけて無頓着。
お金は貯めるモノじゃなくて、使うモノとか言ってるんだから。
今はアジア公演とかで、二人して香港に滞在しているし、これを知ったら『ごめんね、涼。ダメな親の子に生まれて運が悪かったと諦めて』とか言って絶対助けてくれないに決まってる。
凛ちゃんは、えっと凛ちゃんって言うのはお姉ちゃんのことね。
ちょっとは心配してくれるかなぁ?
でも、あの人のことだから逆ギレして、大変なことになりかねないわ。
ということは、頼れるのはじゅんさんしか…。
だけど誘拐ともなると普通こういう時って、暗い倉庫みたいなところにさるぐつわなんかされて、腕と足を縛られたりするものじゃないの?
見張りもいないし、こんな豪華な部屋のベットで眠っていたなんて、これウォーターベットっていうやつでしょ?…道理でよく眠れたわ。
っていうかそれより、イアンはあたしが連れ去られたことを知っているのかしら?
誘拐されているっていうのにいらぬことまで考えてしまう涼だったが。

「やっと目が覚めたようだな。それにしてもまぁ、よく眠ってるよなぁ。今、何時だと思ってるんだ」

「昼だぞ」とかなり呆れたような言い方だが、いきなり発せられた声に思いっきり跳び起きた涼は、身構える。

「うわっ誰?あたしなんて誘拐したって、うちには貯金なんて全然ないし、身の代金なんて要求されても払えないんだからっ。それにスタイルだってよくないし、売り飛ばしてもなんの価値もないわよっ」

聞かれる前に家にはお金はないことと、自分を売り飛ばしても一銭にもならないことを前置きしておく。
が…そこに立っていた人物、恐らく声と話口調から男性だと判断できるが、カーテンが閉まっているために部屋が薄暗くて顔までは見ることができない。
そして無言のままだが、肩がヒクヒク動いているのだけは確認できた。
あぁ、笑ってるのね。
イアンもそうだったけど、あたしが一気に言い切ったのが可笑しかったんでしょう。

「あはは、お前面白いな。何勘違いしてるんだか知らないが心配するな、身の代金も要求しないし、売り飛ばしたりもしないさ」

「しっかし、イアンが珍しく女を連れてるって聞いてはいたが、こんな面白いやつだったとはな…」と言いながら、その男はなおも笑い続けている。
―――あたし、そんな面白いこと言ったかしら?
それよりちょっと待って、この人今、イアンがって言った?!
この男性は、イアンの知り合いなのだろうか?だとしたら、あたしは助かったの?!
なんとか身の危険だけは回避できたようだが、まだこの人は敵なのか見方なのかもはっきりわからない。
涼は、まだ笑い続けている彼をただ黙って見つめるしかなかった。

+++

「俊ちゃん、凛ちゃんに連絡つけられる?」

涼がぐっすりとウォーターベットで眠っている頃、じゅんはリックから涼が何者かに連れ去られたと聞き、慌てて店を閉めた。

「今頃は、ホノルルのホテルで寝てると思います。国際電話を掛けられる携帯を持ってますから、俺、掛けてみますよ。でも大丈夫かな、凛は結構短気だから、仕事放り出して戻ってきそうだし」

このジューンにバイトで来ている日陽学院大学に通う俊ちゃんこと桂木 俊太郎は、何を隠そう涼の姉、凛の彼氏である。
随分歳の差はあるのだが、愛に年齢は関係ないということでまぁ多めに見ていただきたい。
そして、姉の凛はというとジャパン・スカイエアーという航空会社のキャビンアテンダントをしていて、しょっちゅう海外に行っている。
ゆっくり会えないんだと俊太郎は、いつもボヤいているのを聞いているじゅんは、ノロケにしか聞こえないといつも心の中で思っていた。
凛はフライトを終えると真っ先にこの店に足を運ぶから、じゅんも彼女のことはよく知っている。
俊太郎の言う通り、短気なところがあるのと両親が不在がちなこともあって、妹の涼とはとても仲が良い。
だから、連れ去られたなどということを話したらどういうことになるか…。
それこそ、仕事など手につかないのではないかと思う。

「じゅんさん、凛に電話が繋がりました。俺が話すより、じゅんさんからの方がいいと思うんで」

じゅんは、俊太郎から携帯を受け取ると電話に出る。

「もしもし、凛ちゃん?ごめんね。こんな時間に寝てるところを起こしちゃって」
『じゅんさん、何かあったの?』
「実は…落ち着いて聞いてね。涼ちゃんが、何者かに連れ去れてたらしいの」
『えっっっ?』

こう言われて驚かない人間はいないだろうが、凛の驚きっぷりは半端なものではなかった。

『連れ去られたって、どういうことっ!』

じゅんは、リックから聞かされたことを全て凛に話した。
涼の上司から自社を総括するグローバル・ホールディングスのCEOの世話をするように言われ、早速パーティーに出席したものの、途中で疲れたからと部屋を用意してもらって休んだこと。
パーティーが終わったので秘書が呼びに行くと既に涼は、部屋にいなかったこと。
部屋の様子から、涼は何者かに連れ去られた可能性が高いことを話すと凛は、黙ってそれを聞いていた。

『それで、警察には話したの?』
「秘書の人が言うには、警察には言わないで欲しいって」
『どうして?そんな…涼ちゃんにもしものことがあったら』
「それは私も言ったんだけど、絶対に助けるからって言われて」
『信じて平気なの?』
「わからないけど、今はそう思うしかないから」
『何か要求は?』
「今のところは特に…」
『そう…』
「凛ちゃんは、いつ日本に戻って来られそう?」
『明日の朝一番のフライトに乗せてもらえば、夜にはそっちに行けると思う』
「わかった。とにかくそれまでは、私が状況を把握しているから」
『ごめんね、じゅんさん』
「いいのよ。で、ご両親には言っていないんだけど」
『言わない方がいいと思う。あの二人じゃ、きっと話にならないだろうから』
「うん、じゃあ気をつけて帰って来て。俊ちゃんに代るね」

じゅんは、携帯を俊太郎に渡すとカウンターの椅子に腰掛ける。
――― 一体、涼ちゃんはどこに行っちゃったのかしら…。

+++

「リック、まだ涼さんは見つからないのか?」

なかなか進展しない状況にイアンは、苛立ちを隠せない。
しかし、この時間になっても相手が動いてこないというのは、一体どういうことなんだろうか?
これでは、涼を連れ去った意図もつかめない。

「特定はできているのですが、涼さまは既に―――」
「なんだと!!」
「セシルさま、落ち着いて下さい。涼さまは無事です。私が言いたいのは、既に何者かが涼さまを保護していると」
「リック、それはどういうことだ。誰が、涼さんを―――まさか、あいつか?」

イアンの言ったことが正しかったのだろう、リックは黙ったまま小さく頷いただけだった。

+++

そんな、みんなの心配を他所に涼は…。

「しっかし、お前よく食うなぁ」
「だって、助かったんだってわかったら急にお腹が空いちゃって。それにもうお昼なんでしょ?」

男性に用意された食事を平らげる涼。
明るいところで彼を見ると西洋的な顔立ちの日本人のようだが、目の色が少しだけイアンと同じように青い。
どうやら、ハーフのようらしい。
年齢は涼とそう変わらないか、少し上なのだろうか?
彼に言われて助かったとわかると急にお腹が空いてきて、食事をちょうだいしたというわけだった。

「そうだけど」

涼はとにかく眠り続けて、目が覚めた時には昼をとうに過ぎていた。
が、この食欲は半端じゃないだろう。

「そう言えば、あなた名前はなんて言うの」
「俺に聞く前にまず、自分が名乗るのが先だろう?」
「そうだったわね。あたしは、根上 涼」
「涼?男みたいな名前だな、だから食いっぷりがいいのか」
「失礼ね。まぁ、半分当たってるから文句も言えないんだけどI

凜が生まれて二人目を授かった時、両親は次は男の子と決め込んでいた。
だから名前も涼としか決めていなかったので、そのままつけてしまったというわけだった。

「でも、お前に合ってるよ。いい名だ」
「え?」

彼が言ったことが一瞬理解できなかった涼だったが、さっきから意地悪なことばかり言っていたのに…。

「で、俺の名前はあんまり言いたくないんだけど、聞いても笑うなよ」
「笑われるような名前なの?」
「まぁ、この顔には合ってない名前だろうな」
「ふううん、で?」
「あぁ」

名前を言えば99.9%は笑われるに決まっているが、この名前を本人はそれほど嫌ってはいなかった。
むしろ、気に入っていると言ってもいい。

「東 秀吉」
「は???? アズマ ヒデ…」
「だから、“あずま ひでよし” つってんだろうが」
「ひっひっひっ…」
「お前なぁ、それ笑い過ぎだぞ」

さすがの秀吉もそこまで、笑われるとは予想していなかった。
なんで、親はこんな大層な名前をつけたのか…。
と、ここで親を恨むつもりは毛頭ないが、慣れてしまえばどうってことはない。
ただ、初めのリアクションはみんなこんなものだから。

「ごっ、ごめんごめん。でも、秀吉ってかっこいい名前よね。今って、そういう男らしい名前の人少ないもん。ご両親の思いが詰まった名前なのにごめんね、笑ったりして」
「いや、いいんだけど…」

この顔でこの名を聞けば笑われても、かっこいいとか男らしいなんて言われたことは、一度もない。
まして親の思いなど…。
秀吉はこの時、目の前の明るく快活な女の子に不思議な気持ちを抱き始めていたことにまだ気付いていない。


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