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Chapter1-4


「瑞希(みずき)、瑞希」
「うぅん」
「瑞希ったら、起きろって」

何度か慎之介(しんのすけ)に名前を呼ばれて、やっと遠い眠りから覚めてきた。

「あぁ、慎之介おはよう」

あまりの至近距離に慎之介の顔があって、焦点が合わず彼の顔が良く見えない。
瑞希は目を細めて彼をジっと見つめた。

「瑞希、おはようじゃないだろう。いつまで寝てるつもりなんだ?今日は、お前の実家に行くんだろう?」
「えっ?今、何時?」

反動で起き上がった瑞希が時計を見ると8時を過ぎたところ。

―――やだっ、早く支度しなきゃ。
『あれ?』
身体が思うように動かない。
『何で?』

「もしかして、立てないとか?」

既にシャワーを浴びたのか首にタオルを巻いた慎之介が、ニヤニヤしながらベットから起き上がることができない瑞希のことを見下ろしていた。

「そっ、そんなことないもんっ」

強がって言ってみたが、マズイ…本当に立てないかも。

「もうっ、慎之介が悪いんでしょっ。どうしてくれるのよっ」

毎度のこととは言え、今日は大事な日だというのにこんなことになってしまい、つい慎之介に捲くし立てるように言ってしまった。

「はいはい、お姫様。俺が悪かった、だからそんなに怒らないで」

慎之介は瑞希を宥めるようにそっとベットから抱き上げるとバスルームに向かう。

…ちょっとやり過ぎたよな。

慎之介は、声に出さないように呟いた。
今までは、えっちなんかただの行為としか思っていなかった慎之介だったが、瑞希を初めて抱いた時それが違うのだということを思い知らされた。
愛しい人を抱くということがこんなにも快楽的で幸せなことだとは思ってもみなかったのだ。
だから、一度瑞希と触れ合ってしまうと自分でもその欲望を抑えきれなくなってしまう。

…まったく、俺もどうしようもないな。

瑞希をバスルームの椅子に座らせると本当は身体を洗ってあげたかったが、これ以上お姫様を怒らせるわけにもいかないので、そそくさと出て行った。
代わりに彼女の大好きなカフェオレとトーストにカリカリのベーコンを添えた半熟の目玉焼きを作ってあげることにする。
慎之介もわりと料理はする方だったが、今までの彼女に作ってあげることなど一度もない。
どこか自分の中で線を引いて、割り切った付き合いしかしていなかったのだから。
暫くして瑞希がバスルームから出てくるといい香りが部屋に漂っていた。

―――慎之介、カフェオレ入れてくれたんだ。

瑞希はカフェオレが大好きで普段から家でも会社でもよく飲んでいたのだけれど、この前彼に入れてもらったのはその中でも格別に美味しい。
ダイニングに行くとテーブルには既に朝食がズラリと並んでいた。

「これ、慎之介が作ったの?」
「あぁ。お姫様のご機嫌を直すためにね」
「ちょっと、そのお姫様ってやめてよ。何か、私には似合わないもん」
「俺にとって、瑞希はお姫様だから」

慎之介の言葉に照れながらもやはり嬉しかったのか瑞希が微笑んだ。
お風呂に入って少し上気した頬がほんのり赤くてなんだか色っぽい。
…オイオイ、俺は朝から何を考えてるんだ。

押し倒したい衝動をなんとか抑えながら、慎之介は瑞希の前にカフェオレを差し出す。

「はい、カフェオレ」
「わぁ、慎之介の入れてくれるカフェオレ大好き!すっごく、美味しいんだもん」

すっかりご機嫌が直った瑞希が満面の笑みを慎之介に向ける。
こんなことくらいでこの笑顔が見られるのなら、いくらでも作ってやる。
慎之介はそう心の中で思っていた。
瑞希のこの笑顔がどれだけ人を引きつけるのか、彼女は全然わかっていないのだろう。
なんとしても今日は彼女の両親に自分との結婚を承諾してもらわなければならない。
慎之介は密かに決心を胸に刻むのだった。

慎之介はスーツを身に纏い、瑞希が選んでプレゼントしたイタリアブランドのネクタイを締めている。
瑞希は自分の家に行くのだから何でもいいかなとも思ったけれど、やはりそういうわけにもいかず、柔らかいシフォンのプリント柄のブラウスに無地で膝下丈のスカートを合わせていた。
マンションの地下駐車場に向かい、足が止まった先にある車を見て驚いた。

「うそ…慎之介、こんなすごいのに乗ってるの?」

目の前にあるのは誰もが知っているドイツの有名な車。
メルセデスのステーションワゴン。

「これか?俺の給料で、こんなの買えるわけないだろう」
「じゃあ、誰のなの?」
「兄貴にもらったというか、お下がりを押し付けられたという方が正しいかな。俺の兄貴、車が趣味で何台も持ってるんだけどさ、すぐ飽きるんだ。それを俺がこうやって使ってあげてるわけよ」

右ハンドルだったから、慎之介は左側のドアを開けて瑞希を先に車に乗せた。
慎之介が乗り込むとシートベルトを閉めたかどうか確認する。
そういうところも彼らしいところ。
一週間前、お互いのことをまだよく知らなかった瑞希と慎之介は、まるで試験勉強の一夜漬けのように話したのだが、その時に聞いた話だとお兄さんは7歳年上でIT関連の会社を経営しているそうだ。
だから、きっとお金もたくさん持っているのだろう。
うちは父の権限で車を選ぶから、絶対国産車しか買わない。
同じ値段ならしゃれた外国車にすればいいのにって思うが、堅物な父のことだからそんなこと関係ないのだろうけど。
ふとハンドルを握る慎之介の手が視界に入る。
思ったよりしなやかで綺麗だ。
そのまま横顔まで視線を移すと真剣な眼差し。
そう言えば、あまり横顔というのは見ないものかもしれない。
車の運転席と助手席の距離は、近からず遠からずで恋人たちの愛を深めるのにはちょうどいいらしいし、それに男の人をよりかっこ良く見せる効果もあるそうだ。
そんなことを思いながら、瑞希は彼をずっと見つめていた。

「そんなに見つめられると瑞希の実家に行くのやめて、その場で押し倒したくなるんだけど」

慎之介の言葉で、はっと我に返る。

「俺って、そんなにいい男?」

信号で止まったのをいいことに、慎之介は横を向いてニヤニヤしながら瑞希の方にぐーっと顔を近付けてくる。

「何、馬鹿なこと言ってるのよ。ちゃんと前を向いて運転しなさいよ」
「ハイハイ、そんなに照れなくてもいいのに」

不覚にも瑞希はかっこいいと思ってしまった。
実際いい男なのだからしょうがないのだけど、それを言ったら慎之介のことだから絶対つけあがるに決まってる。
それに素直じゃない瑞希は、思っていてもそんな言葉を口にすることなんてできないのだ。
慎之介は瑞希のことを可愛いと言うが、100歩譲ってもそんなふうには思えない。
自分の顔だから、自分が一番良くわかっている。
彼は本当に自分なんかと結婚してもいいのだろうか?
またしても、そんな不安が瑞希の中に湧いてくるのだった。
そんな時、瑞希の手の上にすっと伸びてきた彼の手が重なった。
慎之介の方に視線を向ければ、彼は正面を向いたまま。

「また、いらんこと考えてただろう?瑞希は何も考えなくていいんだよ。黙って俺について来ればいい」

瑞希はすぐに顔に出るとは慎之介だけでなく、友達にもよく言われることだった。
だけど、ここまで人の心の中が読めてしまうものなのだろうか?

「み〜ず〜き。そんな顔するなって」
「だって…」

瑞希の手を握る慎之介の手に力が入る。

「だってなんだよ。俺は瑞希に一生側にいて欲しいんだ。瑞希がいれば幸せなんだよ」
「うん」
「だったらそんな顔してないで、いつもの笑顔見せてくれよ。でないと俺、堂々とご両親の前で瑞希を下さいって言えない」
「うん、わかった」

瑞希はできる限りの笑顔を慎之介に向けた。

「そう、その顔」

そう言って、微笑む慎之介の笑顔が眩しかった。

そんな会話をしているうちに実家のすぐ側まで近付いていた。

「自分の家に帰るだけなのに、何かすっごく緊張する」
「瑞希がそれじゃあ、俺なんてどうすればいいんだ?」

隣にいる慎之介の心情は、並みのものじゃないと思う。
その割にいたって平然としているように見えるのは、さすがというほかない。
そういう瑞希も慎之介に頼ってばかりではなく、いざという時は彼をサポートしなければならないのだ。
両親も瑞希のことを心配しながらも信頼してくれているはずだから、きっと瑞希の連れて来る相手なら受け入れてくれるはずだろう。
それが慎之介なら、まず文句なしだと思う。
もうここまで来てしまったのだから、引き返すわけにいかない。

家の門を抜けて車を止める。

「おい、まさかここが瑞希の家?」
「そうだけど」
「嘘だろ?」

慎之介は、開いた口がふさがらなかった。
時代劇では見たことがあるかもしれないが、まさか実際にこういう家があったとは…。
瑞希の家はこの辺でも古い旧家だとは聞いていたが、こんなすごい家だとは思わなかった。
代々議員の家系で父親も市会議員だと言っていたからそれも頷ける話だが。
長兄は公務員だがいずれは父親の後を継いで議員になるのだろう、次兄は大学病院に勤務する医者だと言っていたな。

…何だか、すごい家の娘をもらうことになっちゃったな。
俺、本当に大丈夫か?

強気なことを言っておきながらも、慎之介はかなり心配になってきた。
しかし、瑞希のため、当たって砕けるしかないと覚悟を決める…しかないだろう。
車を止めた場所から庭というより庭園と呼ぶ方がぴったり合っているようなところを通り抜け、二人は玄関の前に立っていた。
深呼吸を整えると慎之介が扉を開けようと手を伸ばす。

「慎之介」

瑞希が急に彼に声を掛けた。

「私、慎之介に言ってなかったことがあるの」
「うん?」

この期に及んで慎之介には何のことかさっぱりわからなかったが、瑞希が自分の方へ顔を近付けるように手招きするので、言う通りにすると彼女が耳元で何かを囁いた。

「え?」

慎之介が瑞希の言葉に呆然としていると、瑞希は「さぁ、入りましょう」と彼の手を取って玄関の扉を開けた。


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