出迎えてくれたのは母親一人、父親の姿はない。
しかし、母親を見た時に慎之介は一瞬、瑞希(みずき)が二人いると見間違うくらいそっくりだった。
…瑞希は母親似だな。
歳を重ねると、ああいう感じになるのだろうか?
慎之介の母親と同じくらいだと思うが、とても優しそうで上品な女性だった。
そんなことを考えながら、母親の後に歩いて行くが一体どこまで続くのかと思うくらい廊下が長い。
…瑞希はよくこの家で迷子にならなかったな。
感心している場合じゃないのだが…。
一番最後を歩く瑞希は、母一人が出迎えたことで、必然的に父が奥の客間で待っているだろうことを考えるとなんだか憂鬱だった。
廊下を歩く三人の間には、ものすごく重苦しい空気が漂っていた。
古い家なので歩くと軋む廊下を通り抜けて、父の居るであろう奥の客間の前に着くと、母が障子を開けてくれ、慎之介と瑞希が中へ入る。
まるで大仏のように父は目を瞑ったまま、二人を見ようともしない。
そんな父の正面に慎之介が、その隣に瑞希が腰を降ろしたが、彼は用意された座布団を除けて畳の上に正座する。
さっきとは違う、もっともっと重苦しい空気が流れていた。
そんな空気を破ったのは慎之介の一言だった。
「始めてお目にかかります、瑞希さんとお付き合いさせていただいております高沢 慎之介と申します。突然ですが、本日はご両親に瑞希さんとの結婚の承諾をしていただきたく伺いました」
そう言い終わると父の目が開いて、慎之介をじっと見つめていた。
「高沢 慎之介。今、そう言いましたね」
瑞希の父親は慎之介が想像したのとは違う優しい物腰の、それでいて威厳を感じるやはり只者ではない紳士だった。
「はい、それが…」
「あなたのお父様はもしかして、日陽(ひよう)学院大学で教授をされている高沢 竜之介(たかざわ りゅうのすけ)さんではないですか?」
「えっ、父をご存知なのですか?」
想像すらしていなかった展開に、慎之介と瑞希は顔を見合わせた。
―――お父さんは、慎之介のお父さんのことを知ってたの?
「知っているも何も私とあなたのお父様の竜之介さんとは大学時代からの親友、いえ悪友とでも言った方がいいでしょうか。卒業後はお互い忙しくて会うのもままならなかったのですが、毎年年賀状だけは欠かさずに出し合っていましてね。慎之介君のことも知っていましたよ。小さい時に何度か会ったことがあるのですが、覚えてないでしょうね。あの小さかった慎之介君が、こんなに立派になっているとはね。ご両親は元気にしていらっしゃいますか?」
「はい。おかげさまで父は元気だけが取り柄なようで、夏休みは学生達と海外研修に行くと張り切ってます。母も習い事に余念がないようで」
「そうですか、それは何よりですね。お兄様はえっと光之介(こうのすけ)さんでしたか?は、いかがされてますか?」
「兄は父と同じように大学で研究を続けていたのですが、何を思ったか3年前にいきなりIT関連の会社を興して今はそこそこ軌道に乗ってるみたいです。まだ独りがいいと結婚はしていませんが」
「それはまた、お兄様らしいですね。いやぁ、それにしてもまさか瑞希の相手が慎之介君とは驚きましたよ。母さん、何をボーっとしてるんだ。お酒の準備をしなさい」
「はっ、はいっ」
母は慌ててキッチンに向かって行った。
慎之介は落ち着いて父と話をしているけれど、瑞希は現状が理解できなくて、ただ父と慎之介を交互に見ることしかできなかった。
「慎之介君。本当に瑞希でいいのかい?この子は見た目は大人しそうに見えるけど、気は強いし、頑固だし、相手をするのは大変だと思うんだが」
―――ちょっとっ、そんなわかりきったこといちいち言わなくてもいい!!と心の中で思ってはみても、口に出して言えるわけもなく…。
「そんなことはないですよ。瑞希さんが頑固で気が強いと思われるのは自分の意思を貫いて一生懸命になればこそのことで、内面は相手の気持ちのわかるとても優しい人ですから、僕はそういう彼女に惚れたんです」
慎之介の言葉はすごく嬉しかったけど、瑞希は恥ずかしくて今すぐにでもここから出て行きたかった。
親の前でこんなことを平然と言えてしまう慎之介が、羨ましいというかなんというか…。
「そう言ってもらえると、親としては何も言うことはないでしょう」
「では、瑞希さんとの結婚は許していただけるのですか?」
「許すも何も、こんないい話を断る方が間違っていますよ。慎之介君、こんな娘ですけど、私と妻で一生懸命育ててきたつもりです。どうか、瑞希を幸せにしてやってください。お願いしますよ」
父が頭を下げた。
「僕は必ず瑞希さんを幸せにします約束します。ですから、お父さんどうか頭を上げてください」
慎之介は、きっぱりと言った。
普段は恥ずかしいのか、あまりこういうことを言葉に出さない父が瑞希のためにここまで言ってくれている、そのうえ頭まで下げて。
瑞希は父の思いに熱いものが胸の奥底から込み上げてくるのを感じていた。
知らぬ間に涙が頬を伝っていた。
お酒の準備をして戻って来た母が、障子越しで泣いている声が聞こえる。
「何だ何だ。瑞希もお前までも」
涙でぐちゃぐちゃになっている母と瑞希を見た父が呆れたように言う。
「こんな目出度い席に泣くやつがあるか」
「だってえ…ひっく、お父さん…。ありがとう」
瑞希が、ここで初めて口を開いた。
慎之介がそっとハンカチを瑞希に渡して、背中を撫でてくれている。
今までだって十分幸せだった、でもこんなにも満ち足りた気持ちで幸せを噛み締めたことはあっただろうか?
しかし、そんな余韻に浸っている暇もなく、その後は父も慎之介もお酒が好きなこともあってすごかった。
一緒に住んでいる長兄夫婦も合流して大宴会になってしまったのだ。
本当は日帰りするつもりだったのだけど、父のこういう時は泊まっていくもんだの一言で泊まることになり、男同士の中には入っていけない瑞希がキッチンで洗物をしていると母が瑞希に言う。
「瑞希、良かったわね」
「お母さん」
「あんな素敵な人がいるなら、もっと早く言ってくれればいいのに」
「だって、まだ早いと思ったから」
まさか、一週間前にこういうことになったとは言えず、こんなに喜んでいる母には申し訳ないと思いつつ、瑞希は適当に誤魔化すしかなかった。
「でも、お父さんの親友の息子さんとはね。なんだか、広いようで世の中って狭いのね」
母の言う通りだと思った。
こんな偶然があるのかと、あるとすればこれは正に赤い糸で結ばれた運命としか思えない。
「慎之介さんのご両親には、もう挨拶したの?」
「ううん、まだ。まず、お父さんの承諾を得てからでないとね。だって、こんなことになるとは思わなかったから、そんなに簡単に許してくれると思ってなかったもの」
「確かにね」
母もこれには同意したようだった。
慎之介なら大丈夫だとは思っていても、やはりどこか不安があったのだから。
「何だか、呆気ないわね」
「え?」
瑞希は皿を拭いていた手を止めて、しみじみと話す母を見た。
「だってそうでしょう?瑞希は高校を出たらさっさと東京の大学に行っちゃうし、4年で戻って来るものとばかり思ってたのに向こうで就職しちゃったじゃない?それで、もう結婚でしょ。あんなに小さくて可愛かった瑞希が、もうお嫁さんなんて…母さん信じられないわ」
「お母さん…」
母は、いつでも瑞希の味方だった。
とても綺麗で優しくて、瑞希の我侭を聞いてくれて…、東京の大学に行くと言った時も初めは反対したけれど、最後には父のことを説得してくれたのは母だったのだ。
「瑞希、幸せになるのよ。たまには、家にも帰って来なさいね。きっと、お父さんも喜ぶと思うから」
「うん」
瑞希は、母の言葉にまた涙が込み上げてきた。
両親のためにも絶対幸せになる、そう心の中に刻み込んだ。
◇
次の日は、さすがに前日の酔いが抜けなくて、二人が瑞希の実家を出たのは午後になってからだった。
「慎之介、大丈夫?ごめんね、いっぱい飲ませちゃって」
「俺は大丈夫だよ。でも良かった、ご両親に瑞希との結婚を快く許してもらえて」
「そうね」
父親同士が親友だということもあって、二人の心配を他所に二つ返事で結婚を許してくれたのは正直予想外。
「しかし、瑞希の親父さんと俺の親父が大学時代の親友だったなんてな。こんなこともあるんだな」
「私も驚いたわ、まさかこんな結末が待ってるとは思わなかったわよ」
「だよな、俺達が部屋に入っても瑞希の親父さん、目を瞑ったままでこっちを見ようともしなかったからな。刀でも出てきそうで、さすがにあれには一瞬俺もどうしようかって思ったよ」
思い出しても身震いするほど。
「でも、あの時の慎之介すごくかっこ良かった」
「惚れ直した?」
「…うん」
「どうした?今日の瑞希は、やけに素直だな」
いつもなら『何、言ってるのよ』って、言い返してくるはずなのに今の瑞希は俯いて黙ったままだ。
「どうしたんだよ。瑞希?」
心配になった慎之介は、ハンドルを握りながら何度か瑞希に問い掛ける。
「慎之介、ありがとね」
「あ?あぁ。これも瑞希があの時、言ってくれた言葉のおかげかな」
慎之介が瑞希の家の玄関の扉を開けようとした時、急に彼女に呼び止められて言われたのだ。
『私、慎之介に言ってなかったことがあるの』と瑞希が耳元で囁いた言葉は、『愛してる――― 』。
この一言で、慎之介の不安な気持ちはいっぺんに吹き飛んだ。
どんなことになろうとも絶対に瑞希を守る幸せにする、そう心に強く誓ったのだった。
「これで、うちの両親に会うのは楽勝だな。まぁ、瑞希なら親父の親友の娘さんじゃなくても絶対喜んで結婚を許してくれるとは思うけどな」
「そうかな…」
瑞希は言われるまで、慎之介の両親にも会わなければいけないのだということをすっかり忘れていた。
「こういうのは早い方がいいよな、すぐにでも連絡しておくよ。びっくりするだろうな?親父たち瑞希を見たらさ」
「なんか余計に緊張する。特にお母様に会うのは」
嫁と姑というのは、とかく問題が起きがちだから。
「大丈夫、心配するな。お袋は瑞希のことを気に入るよ」
この時の慎之介の言葉の意味を瑞希は知る由もない。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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