「どうしたの?雪奈(ゆきな)ったら、難しい顔しちゃってさ」
休みを挟んで週の初め、私はあの日の出来事が未だに理解できずにこんなふうに悩む日々を過ごしていた。
「え?うっうん…」
「もう、何よ〜」
煮え切らない雪奈(ゆきな)に遥がせかすように言う。
事情を知らない彼女には、無理もない話だが…。
「実はね。金曜日にあの後、よく行くバーに一人で飲みに行ったんだけど、そこで偶然垣内(かきうち)さんに会ったの。それが、その店のマスターと大学の先輩後輩でね。そうそう、立川さんもよ?」
「えっ、それで?」
「で、よくわからないんだけど垣内さんが突然笑い出して、『あんた、俺の彼女になんない?』とか言い出してね」
「は?」
遥は驚きのあまり一瞬目をパチクリさせていたが、暫くして妙に納得した様子。
バーに一人で、それもよく行くなんて女としてどうなのよと思ったが、今はそのことについてはこの際つっ込まないことにしておく。
その店のマスターと立川、垣内両氏が先輩後輩というのも何かの縁なのだろうから。
「そっかぁ、あの垣内さんがね〜」
「どういうこと?」
「垣内さんって、仕事もデキルしすっごいいい男なのにどんなに可愛い子が誘っても絶対乗ってこないのよ。よっぽど、一筋の彼女でもいるのかなって。でも、どうもそうじゃないらしい。ってことは本気で女嫌い?って思うじゃない」
「そうなんじゃないの?」
―――だって、マスターも言ってたもの。
垣内さんは、女嫌いだって。
もしかして、男好きだったりして…って、それはないかっ。
「だったら、雪奈(ゆきな)に彼女にならない?なんて言わないでしょ?」
―――まぁ、確かにそうだけど…。
だけど、あの時はお酒も入ってたし、間が差したっていうかねぇ。
「それに突然、笑い出したって」
「そうなのよ。私は別に変なこととか言った覚えはないのにすっごい笑い出して。肩、震わせて、目に涙まで溜めちゃってさ」
「それよ」
「へ?」
「あたし、営業部にはよく行くけど、垣内さんが笑うどころか微笑んでるのだって、一度も見たことないんだから」
―――な〜んか、垣内さんって、立川さんと違って難しい顔してるものね。
あれで、よく営業なんてやってるって思うけどっ。
「それに雪奈(ゆきな)も、普通に話できたんでしょ?」
「え?」
「ほら、雪奈(ゆきな)って女の子同士で話すようには初対面の男の人の前だとそういうふうにできないって」
―――そう言われてみれば、そうかも。
私は、なぜか女の子と話をするようには初対面の男の人の前ではうまく話をすることができない。
慣れてくればそんなこともないんだけど、垣内さんの前ではそれはなかったかな。
つい、いつもの調子で話しちゃったのかもしれないわ。
とはいっても、あれはあの人がイチイチ…。
「そうかな?」
「お互い、いいパートナーに出会えたってことじゃない。もちろん、雪奈(ゆきな)も彼女になることOKしたんでしょ?」
―――いいパートナーって…。
「そんなの…してないわよ」
「何でよ」
「何でって…」
―――遥、顔怖いわよ…。
だって、冗談かもしれないし、そんなこといきなり言われて本気で返事なんてできないじゃないねぇ。
「ダメじゃない、ちゃんと返事しないと」
「そうだけど、まだ垣内さんのことよく知らないし。いきなり、彼女ってのも」
「まぁね。でも、垣内さんなら、雪奈(ゆきな)と上手くやっていける気がするけど。ううん、きっとそうよ」
「そうかなぁ」
「そうだって!!」
―――う〜ん、どうだろう?何度、私の名前は雪奈(ゆきな)ですって言っても“あんた”とか言うし、あの笑い上戸よ?
上手くなんて、やっていけるのかしらねぇ?
+++
あれからというもの、垣内さんとは部が違うから顔を合わせることもない。
一応、携帯の番号とメアドは交換したけど、理由もないのにこっちから電話なんてできないし、ましてやあの無愛想な男が掛けてくるとも思えない。
このまま、自然消滅したりして…そんなことを思っていると不意に携帯が鳴り出した。
「もしもし」 ←かなり、太太しい声で。
『あっ、俺』
―――は?俺って誰よ、ちゃんと名前を名乗…。
えっ、ちょっと待って!!その声は…垣内さん?!
うわぁーーーーーーーーーっ。
まさか、向こうから掛けてくるとは思わなかったから、思わず自分の家なのに姿勢を正しちゃったじゃない!!
「かっ、か、垣内さん?」
『そう。あのさ…今、話しても平気?』
「はい」
『どうした?初めの出方と違って随分、緊張してるみたいだけど』
「いえ、それはっ…ていうか、緊張しますよ。まさか、垣内さんが電話を掛けてくるとは思ってませんから」
『意外?』
「えっ、まぁ」
―――そりゃぁ、意外でしょ。
『だろうな。俺自身が一番、意外とか思ってるし』
「は?」
『自分から女の子に電話なんて、掛けたことないからさ』
「そうなんですか?」
『そう。なんか恥ずかしいっていうか―――』
―――え?もしかして…垣内さん、照れてるぅ?
「うふふ…垣内さんって、案外ウブなんですね」
『あ?ウブで悪かったな。俺はそういうの慣れてないんだから、しょうがないだろう』
電話の向こうでふて腐れているであろう垣内さんの顔を想像して、思わず笑みがこぼれる。
「あっ、そんな感じしますっ!!」
妙に納得したりして。
―――だって、あの垣内さんが電話慣れしてたらねぇ。
『今、何してたんだ?』
「何って、体操してました」
『体操?!』
「はい。この前、テレビでやってたんですよ、『今からでも間に合う!!必見、胸の大きくなる体操』。だから、試してみてるんですけど、あんまり効果がないみたいで」
『クックック…』
―――あぁ…また笑ってる?
もう、だいぶ慣れはしたけど、これってどうなのよ…。
「もう、そんなことを聞くために掛けてきたなら切りますよ」
『待てって、ごめん』
それでも、笑いを押し殺すようにしているのが、電話越しにも伝わってくるのがわかる。
『ごめん。あんた、あんまり面白いこというからさ。前にもそんなこと言ってたけど、そんなに胸が小さいのが気になるのか?』
「そりゃあ、小さいよりは大きい方がいいじゃないですか」
『そういうもんか?』
「そういうもんですよ」
『俺は自分の彼女の胸が大きかろうが小さかろうが、一向に構わないけど』
―――自分の彼女って…。
「今は、垣内さんの女性の趣味は聞いてませんから」
『そういうこと言うか?』
はぁ―――。
垣内さんの溜め息が聞こえてくる。
だって、しょうがないじゃない。
まだ、私が垣内さんの彼女になるって決まったわけじゃないし…。
『いいじゃん、胸が小さくてもあんたはあんたなんだからさ。俺は、そういうあんたを好きになったんだし』
そういうあんたを好きになったんだし―――。
そんなこと、急に言わないでくれる?
体中が、一気に熱を帯びてくるのがわかる。
―――あぁ、電話で良かった…。
「はっ、恥ずかしいからそういうこと平然と言わないで下さい」
『何、赤くなってんだよ』
「どうして、見てもいないのにそんなことわかるんですか?」
『見なくてもわかるだろう?あんた、わかりやすいから』
よく、みんなに雪奈(ゆきな)はすぐに顔に出るからって言われてるけど、見なくてもわかるってどうなの?
「垣内さん、私のこと好きなんですか?」
『はぁ?何を今更。好きじゃなかったら彼女になってくれとは言わないだろう?』
「本気だったんですか?」
『お前は、冗談だと思ってたのか?』
まだ、聞こえてはこないけど、また受話器の向こうから大きな溜め息が聞こえてきそう。
「だって、会ったばかりで話もロクにしていないのにあんなすぐに彼女にならない?なんて…。普通、言わないじゃないですか」
『そうかもしれないけど、俺は冗談であんなこと口に出せるほど器用じゃないぞ』
「そんなこと、わからないじゃないですか」
『お前なぁ』
自分でもこんな言葉しか返せないのが可愛くないんだってわかってるんだけど、しょうがないでしょ?ずっとこうなんだもん。
『じゃあ、どうしたら信じてもらえる?俺が本気だって』
「どうしたらって、言われても…」
『俺じゃ、嫌?』
「嫌…なんかじゃないですけど…」
『だったら、俺の彼女になってくれない?俺さ、自分から言うのって初めてなんだ。だから、ごめん。上手い言葉が見つからないんだけど』
「いいんですか?私なんかで。可愛くないし、口も悪いし、素直じゃないし」
『わかってる』
「うっ、それって」
―――そんな、はっきり言わなくてもいいじゃない!!
少しくらい、違うよとか否定してくれたって…。
『そんな、あんたがいいんだ』
「垣内さん…」
『何、泣いてんだよ』
「泣いてなんてっ。勝手に目から―――」
どうして、全部この人にはわかっちゃうのかしら…。
自分でもわからなかった。
ただ、勝手に涙が出てくるんだもん。
『大丈夫だ。俺くらいだろ、あんたのこと受け止められるやつって』
『もう泣くなよ』って、何よ!!別にあなたでなくても…。
私は暫く涙が止まらなかったけど、垣内さんはその間も電話を切らずにずっと泣き止むのを待っていてくれた。
ぶっきらぼうだけど、ほんとはすっごく優しくて…。
多分もうこの時から、私は垣内さんに捕らえられていたのだと思う。
でも、私は素直じゃないから、まだ本当の気持ちは言ってあげない。
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