―――祐樹さん、遅いな。
祐樹から、今晩は飲んで帰るから遅くなるとお昼にメールと夜に電話もあったが、もうすぐ日付が変わろうとしているのにまだ帰って来ない。
先に寝てていいからと言われていたけれど、明日は土曜日で学校も休みだからと若菜は起きて待っていた。
そんな時、テーブルの上に置いてあった若菜の携帯が鳴リ出した。
「もしもし、祐樹さん?」
『あっ、あの若菜ちゃん?』
ディスプレイには間違いなく“祐樹さん”の文字だったが、相手は祐樹とは違う声。
『ごめんね、こんな時間に。俺、加山だけど』
「貴史さん?」
今夜は一緒に飲んでいるはずだったけど、本人でなく貴史が電話を掛けてきたということは、祐樹に何かあったのだろうか?
『祐樹のやつ、珍しく酔いつぶれちゃって。取り敢えず駅まで着いたから、一応連絡しておこうと思って』
「そうですか。祐樹さん、連れて来れそうですか?」
『あぁ、なんとか大丈夫』
「私は、玄関で待ってますね」
『じゃあ、すぐに行くから』
「はい」
電話を切るとまだ、すぐには来ないとわかっていても玄関に出てしまう。
いつも飲み会だと言ってもあまり酔って帰ることのない祐樹だったが、今夜は何かあったのだろうか?
―――つぶれるほど飲むなんて…。
若菜が門の前で待っていると暫くして貴史が、祐樹の腕を自分の肩に掛けて歩いてくる姿が見えた。
「貴史さん。大丈夫ですか?」
「若菜ちゃん」
貴史は、祐樹と同じくらい長身だが、かなり体格がいい。
だから、こんなに酔いつぶれた祐樹をここまで連れて来られたのだろう。
「祐樹の部屋は、2階?」
「はい。でも、これじゃあ2階までは無理ですね。1階の部屋にお布団敷きますから、すみませんが手伝ってもらってもいいですか?」
貴史と若菜は、祐樹を1階にある和室に連れて行った。
布団を敷いてスーツの上着とネクタイは外したが、さすがにズボンまでは若菜には脱がせられない。
シワになるといけないからと貴史が脱がせている間に若菜は、洗濯してあった祐樹のパジャマを取りに行った。
やっと祐樹を寝かせて時計を見ると既に1時を過ぎている。
もう終電は、終わってしまった時間だ。
「貴史さん、終電終わってますけど家までどうやって帰りますか?」
貴史は、ここから3駅隣の幸と同じ駅に住んでいる。
タクシーで30分というところだろうが、この時間ではもう全部出払ってしまってすぐには拾えないかもしれない。
「あぁ。駅で、タクシーでも拾って帰るよ」
「よかったら、貴史さんも泊まって行ってください。今からでは、タクシーはすぐに来ないと思います。祐樹さんの隣にお布団敷きますから」
ありがたい話ではあるが、いくらなんでも貴史がここに泊まるのはどうなのだろう?
「いや、でもそういうわけにもいかないよ」
「いいですよ。祐樹さんを送っていただいて、ご迷惑おかけしたのはこちらなんですし、気にしないでください」
「すぐに敷いて来ますから。ソファーに座っていてください」そう言って若菜は、祐樹の寝ている和室の方へ消えて行った。
やはり知っているとはいえ、男が泊まるのはマズイのではないか?と思ったが、せっかくの好意を無駄にするのも悪いと貴史は素直に受けることにした。
「貴史さん、これ祐樹さんのパジャマなんですけどよかったら着替えてください。お風呂は…今日は飲んでますから、明日の朝にしますか?」
「ごめんね。何から何まで」
「いいえ。あっ、今熱いお茶入れますね」
若菜はキッチンへ行き、お茶を入れると再び貴史のいるリビングへ戻って来た。
「どうぞ」
「ありがとう」
若菜の入れてくれたお茶を飲むとホッとした様子の貴史だったが、家族と同居している貴史には母も妹もこんなふうに飲んで帰ってもお茶など入れてくれるどころか起きてもいない。
祐樹がひどく羨ましく思えたが、こんな時、幸だったらどうなんだろう…。
ちゃんと起きて自分のことを待っていてくれるだろうか?
「祐樹さんがこんなに酔って帰って来たのは初めてなんですが、会社で何かあったんですか?」
ここのところいつもの祐樹ではなかったことに気付いていたが、若菜には祐樹に何かあったのではないかとそれが心配だった。
「まぁ、生きていれば色々あるよな」
貴史は、どこを見つめるでもなくポツリとそう言う。
若菜は、そんな貴史のことをただジっと見つめていた。
「それは、誰かが助けてあげられることと自分自身でなんとかしなければならないことがあると思うんだけど、祐樹の場合は後者だな。俺は、理由を知っているから」
「すみません、余計なことを聞いてしまって。私が、とやかく言うことではないのに…」
「ううん、若菜ちゃんが謝ることじゃないよ。ただ、若菜ちゃんがそんな顔をしているとあいつも辛いと思う、そういうとこ敏感だからな。若菜ちゃんはいつも通りにしていて、そうすればきっと答えを見つけてすぐに元のあいつに戻るさ」
貴史は、大丈夫だよと言うように微笑んだ。
若菜も貴史の言葉を信じて、祐樹のことをそっと見守ることにした。
+++
貴史に自分の気持ちを話してから祐樹の心の中は少しだけだったが、軽くなったような気がしていた。
でも、だからといってどうこうできるわけでもなく、毎日若菜と顔を合わせなければいけないことが、逆に辛くなることもあった。
そして思い出されるのは、貴史の言った言葉。
『彼女の親に直訴してでも、好きな子はモノにするということだ―――』
「そう言えば、若菜ちゃん。夏休みは、ご両親のいるシンガポールに行くのかい?」
季節はすっかり梅雨入りしていて、夏が来るのが待ち遠しい時期となっていた。
祐樹の研修も無事に終わり晴れて正社員の身となったけれど、なぜか貴史と同じ部署に配属されたのは喜ぶべきことだったのか少々疑問も残らなくもない。
「はい。ちょっとだけ、行って来ようかなと思ってます。でも、すぐ戻って来ますから」
「俺のことだったら、気にしなくてもいいんだよ?一ヶ月くらいひとりで暮らせるし」
若菜も高校生活は今年最後になるが、併設の大学に進学が決まっているから受験勉強に追われることもない。
3月の終わりに両親がシンガポールに赴任して以来一度も会っていないのだから、ゆっくりしてくればいいと祐樹は思っていた。
「祐樹さんは、お盆に実家へ行かれるんでしょう?行くとすれば、その間になるかなって」
「どうして?ずっといたらいいのに」
「そうなんですけど…」
両親に会いたい気持ちがないわけではないし、祐樹の言うように向こうにずっと行っていてもそれは一向に構わない。
しかし、そうなればその間、若菜は祐樹と離れることになってしまう。
休みに入れば、祐樹のために食事もお弁当ももっときちんとしたものを作ることができる。
若菜には、両親よりも今は祐樹と一緒にいたかったのだ。
「何かあるの?」
口篭ってしまった若菜だったが、何か他に理由があるのだろうか?
と祐樹が、そんなことを思っていると玄関のブザーが鳴った。
若菜が、ドアホンで確認すると郵便屋さんらしい。
急いで印鑑を持って玄関に行き、封筒を受け取ると若菜宛のもので差出人には父親の名前。
「お父さんから、何かしら?」
特に電話もなかったし、一体なんだろうかと思いつつ封を開けてみるとそこには航空チケットが入っていた。
たった今、祐樹とその話をしていたところだったから、なんというグッドタイミングなのだろうか?
『祐樹君と若菜、元気にしているかい?
こっちは毎日が夏だから、父さんは少しバテ気味だよ。
でも母さんは、色々やることがあるらしく忙しくしているけれど。
そうそう、若菜もそろそろ夏休みだろう?
せっかくだから、祐樹君と二人で遊びに来たらいいと思ってね。
航空券を同封しておきます。
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