Symbiosis
Story3


そして3日後、父と母は元気にシンガポールに旅立って行った。
祐樹は4月から社会人としての生活が始まるが、若菜の学校の新学期はそれから一週間後である。
取り敢えず当面の分担として、朝晩の食事の仕度は若菜がして、お風呂の掃除とゴミ出しは祐樹の担当と決めた。

そして次の日、4月1日の朝が来た。
まだ学校は始まっていないが、朝食の準備と祐樹の初出勤を見送るために若菜は朝早くから起きていた。
―――もう7時になるっていうのに祐樹さんったら、まだ起きて来ないのかしら?
祐樹の勤める会社は、安西家から40分ほどのところにある。
入社式は9時と言っていたので8時に出ても間に合うが、今日は初出勤という大事な日、遅刻するわけにはいかないだろう。
若菜は仕方なく、2階の自分の部屋の斜め前にある祐樹の部屋に向かった。
ドアに耳を当ててみるが、中から音は聞こえない。

コンコン―――。

「祐樹さん」

ドアを何回かノックして名前を呼んでみたのだが、返事は返ってこない。
鍵がかかっているかもしれないと思ったが、ドアノブに手を掛けてみるとすんなりとドアは開いた。

「祐樹さん?」

少しだけドアを開けてもう一度名前を呼んでみたが、やはり反応がない。
室内もカーテンが閉まっているのか、薄暗い。
まだ時間に余裕はあると言ってもそろそろ起きないとマズイと思い、勝手に入るのは少々躊躇いつつも、若菜は祐樹の部屋に足を踏み入れた。
8畳弱ほどのフローリングのこの部屋は元々空き部屋で、ずっと使っていなかったから本当に何もなかった。
祐樹自身も持ち物は少ないんだとは言っていたが、部屋の隅には小さなテレビが載ったラックとノートパソコンが載った折りたたみのローテーブル位しかない。
祐樹はベットは性に合わないらしく、真中に布団を敷いて寝ていたが、身長が高いせいか布団から足がはみ出しているのが見える。
162cmの若菜が見上げないと会話ができないので何センチあるのかと聞いたところ、189cmと言っていたので標準サイズの布団では収まらなかったのだろう。
取り敢えず起こさなければならないので、頭まですっぽりとかぶっている布団を剥がすとうつ伏せに眠っている祐樹の耳元で名前を囁くように呼んだ。
それでも、ちょっと寝返りを打つ程度で起きる気配がまったくない。
―――やだ、もしかしてこの人、すごく寝起きが悪い?
若菜は目覚ましが鳴ればすぐに起きられるタイプだし、父も母も朝は早い方だったので、よく友達が朝起きられなくて大変だという話を聞いても実感が沸かなかったのだ。
それに寝顔がとても綺麗で思わず見惚れてしまいそうだったが、そんなことをしている暇はない。

「祐樹さんっ、起きてください!会社に遅刻しますよっ」

身体を揺すりながら大声で叫ぶとようやっと薄目を開けたが、まだ本気で目覚めていないよう。
―――うわぁ、これすご過ぎる。
これじゃあ、家族もさぞかし大変だったでしょうに…。
などと同情している場合ではなくて、祐樹の腕を引っ張って起き上がらせようとした。

「祐樹さんってば、起きてくださいよ。入社式に遅刻なんて、みっともないですよ」

ようやく意識がはっきりしてきたのか、若菜の言っていることを理解した祐樹が勢いよく飛び起きた。

「あぁ、若菜ちゃん。おはよう」
「おはようございます。もう7時ですよ。ご飯用意できてますから、早く着替えて下に降りて来てくださいね」

若菜が言うと「え?もうそんな時間?」と慌てて布団を畳み始めた。
先に下に降りた若菜が味噌汁とご飯をよそっていると祐樹がワイシャツ姿にネクタイを首にぶら下げた状態で急いで降りてきた。

「ごめんね。起こすの大変だったろう?」

寝癖のついた髪を押さえながら、申し訳なさそうに若菜の側に来て謝った。

「いえ。それより、早く顔を洗って来てください」

「あっ、そうだ」と思い出したように洗面所に走って行った。
―――はぁ、これじゃあどっちがお世話になってるのか、わからないわね。
若菜がいなければ初日から遅刻間違いなしで、あんな調子ではとても独り暮らしは無理だっただろう。
すっかりネクタイも髪も整えて出てきた祐樹は、今までのカジュアルな服装と違ってとても大人に見えた。
―――やっぱり、社会人なのよね。

「これ、若菜ちゃんが作ったの?」
「はい」

テーブルに並べられた朝食を見て、驚いたように祐樹が言った。

「すごいね、若菜ちゃんはこんなの作れちゃうんだ。いや、びっくりしたよ」
「そんなこと、ないですよ」

若菜は料理をするのが好きだったので母の手伝いをしたり、たまに1人で作ったりもしていたから別段すごいことだとは思っていない。
それに焼き魚と卵焼きくらい、誰でもできるのでは…。

「いただきます」

祐樹は手を合わせていつもそう言ってから、食事を始める。
仙台の家ではずっとやってきたことで癖になっているらしいが、お店でもどこでもやってしまうのが少し恥ずかしいとも言っていた。

「美味しい。これは、おばさん直伝の味かな?」

祐樹は初めに味噌汁を口にすると小豆沢家とは違うけれど、すごくホッとする味がした。

「そうなるんですかね?お母さんに教えてもらったから」
「そっか、味噌汁って家庭毎に味が違うからね。若菜ちゃんの作ったものが、俺にとっては東京での味になるのかな」

家族以外に食べてもらったことがなかった若菜には、祐樹の感想はすごく新鮮で驚きだった。

「若菜ちゃんは、本当に料理がうまいよね。きっと、いいお嫁さんになるよ」
「え?そんなことないですよ。料理は、お母さんの手伝いをしているうちに覚えただけだから」

若菜は少し照れたように答えたが、母親の手伝いをしていてここまでできたらすごいと祐樹は思った。

「若菜ちゃんは、彼氏いないの?」

こんなに可愛くて明るくていい子なんだから、彼氏がいてもおかしくないだろう。

「彼氏ですか?そんな人、いませんよ」
「本当?可愛いから、絶対いると思ってた」

はっきり言い切る若菜が、祐樹にはかなり意外だった。

「ええ?私なんて、全然可愛くなんてないですよ。祐樹さん、目が悪いんじゃないですか?それに女子校だから、そんな出会いなんて全然ないし」

文化祭で声を掛けられて付き合うとか、家庭教師の大学生と付き合うっていう子の話は聞いたことがあるが、若菜に限ってはそういうことは今までなかった。

「学校に行く途中で声を掛けられたり、ラブレターとかもらったりしないの?」
「そんなこと一度もないですよ」

一体、それは何時の時代のこと?と今時ラブレターもないだろうと若菜は思ったが、見ればかなり真剣な表情の祐樹、もしかして自分はもらったり、もしくは渡したりしたことがあったのだろうか?
どちらかと言えば祐樹の場合、渡した方の部類だろうけれど。
そんな会話をしている時にふと時計を見ると8時になろうとしていた。

「祐樹さん、急がないと時間になっちゃいますよ?」

若菜に言われて祐樹が自分の腕時計を見るとそろそろ出ないとまずい時間だ。
急いでお茶を飲み干すと「ごちそうさまでした」とまた手を合わせて、スーツのジャケットを羽織り鞄を持って玄関に向かう。

「それじゃあ、行って来ます」

玄関で靴を履いた祐樹が、そう言って若菜の居る方へ振り返った。

「いってらっしゃい。お仕事、頑張ってくださいね」
「はい」

祐樹は後ろ手に手を振りながら、元気よく出勤して行った。

『なんか、新婚さんみたい』

お互い、同時にそう思った瞬間だった。


NEXT
BACK
INDEX
PERANENT ROOM
TOP


Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.