「なぁ、今夜パーッとみんなで飲みに行こうぜ」
時刻はあと30分で定時というところ、今日一日の研修内容についての理解度や反省を報告書にまとめている時だった。
この時間になるといつも教官が席を外しているので、既に書き終わった者は雑談に花を咲かせたり、休憩していたりと様々だ。
そんなうちの1人、隣に座っていた関係ですぐに打ち解けて話をするようになった加山 貴史が、まだ書いている祐樹を誘いに来た。
入社して最初の週末ということで、同期の親睦を兼ねて飲みに行こうという話になったらしい。
「俺は、遠慮するよ」
「なんだよ、付き合い悪いな」
報告書を書きながら目も合わせずに即答した祐樹に貴史は、少し不満そうだ。
「そんなんじゃないけど、もう少し早く言ってくれればな」
時計を見れば17時を過ぎようとしているところ、研修中は定時で決まって帰るから、家で若菜がそれに合わせて食事の支度をしていたのだ。
「彼女とデートか?まさか家で夕飯の支度をしてるとか、言わないだろうな」
―――彼女じゃないけど、『していたら、悪いのかよ』
と祐樹は思ったが、それは言わなくても顔に出ていたようだ。
「図星かよ」
冗談で言ったつもりだったのが、本当だったことに貴史は驚いていた。
「いいだろう、別に」
祐樹は途中だった報告書を書き終えると、それ以上言う言葉はないという意味を込めて教室の一番前の机が提出場所になっていたので席を立った。
それでも他の仲間まで加わって祐樹を誘うものだから、これでこれから長い付き合いになるであろう彼らとの関係を崩すわけにもいかず、若菜には悪いと思いつつも行くことになってしまった。
会社近くの居酒屋に着くとすぐに祐樹は、トイレに行くフリをして家に電話を掛けに席を立った。
『はい、安西ですが』
「もしもし、若菜ちゃん?」
『あっ、祐樹さん』
相変わらずの可愛い声に思わず祐樹の顔もほころんでしまう。
「あのさ、もう夕飯作っちゃったよね?」
『はい、それが…。あっ、もしかしていらなかったんですか?』
祐樹が申し訳なさそうに言ったのがわかったのか、話す前に先に言われてしまい、少々気まずい。
「ごめん。実は、急に同期のやつらと飲みに行くことになったんだ」
『そうなんですか?こっちは、全然構わないですよ。どうせカレーだったから、明日も食べられるし』
カレー好きの祐樹には、その言葉に思わず『やっぱり帰る』と言いそうになったが、今更遅い。
「本当にごめんね。今度からは、もう少し早く言うようにするから」
『そんなこと、全然気にしないでください。お仕事、もう終わったんですか?』
「うん、仕事って言ってもまだ勉強ばっかりだけどね。なるべく早く帰るようにするから、戸締りをしっかりして何かあったらすぐに連絡するんだよ」
『祐樹さん、心配性ですね。大丈夫ですよ、もう子供じゃないんですから。それにせっかくお友達と飲みに行くんですから、ゆっくりしてきてくださいね』
若菜は慣れていると言うのだが、祐樹の方が若菜を1人にしておくことにどうも慣れていなかったのだ。
「じゃあね」
『はい』
祐樹は電話を切った後、暫く画面を見つめたままだった。
―――やっぱり、あんな可愛い子をひとりで家に待たせるなんて、できないよな。
若菜の言う通りもう今年18歳になるのだから子供じゃない、でも祐樹には心配でならなかった。
本当に妹が居たら、兄というものはこんなに心配になるものなのだろうか?
「何だよ。若菜ちゃん、って」
声に反応して振り向くと誰もいないはずの店の奥の通路に立っていた祐樹の背後に貴史が、居たことに驚いた。
すっかり若菜のことで頭が一杯だった祐樹は、電話の一部始終を貴史に聞かれていたことに気付かなかった。
「別に何でもないよ」
これで引き下がるような男でないことを祐樹はこの何日かの間で理解していたが、下手に言い訳をしても突っ込まれるだけ、ここは知らぬ存ぜぬで切り抜けるしかない。
「そうか?『なるべく早く帰るようにするから、戸締りをしっかりして何かあったらすぐに連絡するんだよ』ってどういうことだ?彼女にしちゃあ、話し方が少し子供相手っぽくないか?」
貴史は腕を組んで、真剣にさっきの会話から相手が誰なのかを推測しているようだ。
「お前、いい趣味してんな」
まさかそこまで聞かれているとは思わず、祐樹は溜め息を吐かずにはいられなかった。
座敷に戻り、貴史と並んで腰を下ろすと既に注いであったグラスを持って早速乾杯に入る。
みんな思い思いに雑談が始まっていたが、貴史はさっきの電話での会話が気になっていたようだ。
「どういうことか、聞かせてもらおうか」
妙に貴史の態度がデカくて、なぜか悪いことをして責められているような気にさせられたが、こいつとは一生の付き合いになりそうだと出会った瞬間的に思った祐樹は、若菜とのことを話しておくことにした。
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