素直になれなくて
STORY11


「大丈夫?また、無理して倒れたりしないでよ?」

東郷が自販機の前でドリップコーヒーが抽出されるのを待ちながら肩を動かしたり首を回したりしていると、声を掛けてきたのは祥子だった。

「あぁ、湯川さん。俺ももう若くはないって気付いたから、さすがに気をつけてるよ」
「ならいいけど」

彼女は、隣の自販機にコインを入れるとボタンを押す。
ガチャンという音とともに出てきた缶のお茶を取り出しながら、少し心配顔だ。

「湯川さんこそ、こんな遅くまで頑張ってたんじゃ彼氏が心配するんじゃないのか?」
「私?私は、一士と違って健康には人一倍気を使ってるし。それに彼氏なんていないもの」

どちらからともなく、近くにあった椅子に並んで腰掛ける。
時刻は21時を過ぎたところ、フロアに人はまばらにしか残っていない。

「また、フったのか?」
「またって何よ、人聞きが悪いわね。っていうか、今回はフラれたの」
「え?」

恋多き祥子だったが、相手をフルことはあってもフラれた話を聞くのは東郷も初めてだった。

「相手は私よりも年下だったし、仕事仕事で会えない日が続いたら、別れるですって。私には、もう少し大人の男でないとダメみたい」

祥子は缶のプルタブを引くと、ゆっくり口に含む。
最近まで付き合っていた男性は自分よりも3歳年下で、仕事先で知り合って何となく付き合い始めたのだが、あまり長くは続かなかった。
職場も離れてしまったし、祥子が彼よりも仕事を優先したことがそもそもの原因だった。
というより、東郷との再会がそうさせたのかもしれないが…。

「そっか。まぁ、湯川さんならすぐにいい人が現れるだろうけど」
「そう言う一士は、どうなわけ?さっきなんて、人が話をしてるってのに携帯のメールを見たりして」
「俺の話はいいよ」
「何よ、私ばっかり」

祥子の話だけ聞いておいて、自分のことは言わないのがどうも気に入らない。

「ねぇ、付き合ってる人いるの?」
「いいだろ、俺のことは」

エリには社内で二人の関係を知られてもいいというようなことを言ったが、こうやって面と向かって聞かれると東郷も言葉を濁してしまう。
相手が祥子ということもあったかもしれないが、やはり社内で付き合っているのを知られるのは恥ずかしいのかなと思った。

「ふううん、そう。私にも言えない相手なの」
「もう、その話は終わりだ。俺は、先に戻るよ」

東郷はカップを専用のダストボックスに投げ捨てると、祥子を避けるように自分の席に戻って行った。
そんな彼を不満そうに見つめる祥子だった。

+++

期末が近いこともあって、課長の東郷は予算会議で連日の深夜残業が続いていた。
エリは体のことを気遣い夕食を作りに来てくれるのだが、あまり帰りが遅くなると次の日に差し支えるからといつも東郷が帰宅する頃にはその姿はなかった。
―――はぁ、これじゃあ全然会えないじゃないか…。
祥子に探りを入れられてからというもの、会社でエリと目を合わせるようなこともなくなった。
実際は、密かに目で追っているのだけれど…。
こうやって食事を作っていってくれるのに、一緒に食べられない寂しさ。
電話をしようにもこんな時間では、もう眠ってしまっているだろうし…。
―――はぁ…。
何度も溜息を吐いては野菜の煮物をレンジで温めていると、テーブルの上に置いてあった携帯が鳴り出した。
この着信音は、他でもないエリ限定のもの。

「もしもし、エリ?どうした?」

時間が時間だったから、東郷はエリに何かあったのではないかと電話に出るなりこう問い掛けた。

『課長、すみませんこんな時間に』
「いや、いいんだが。何かあったわけじゃないのか?」
『いえ、何もありません。ただ…課長の声が聞きたくて…』
「え?」

エリが自分からこんなことを言うのは珍しい、というか多分付き合って初めてのこと。
東郷にとっては何もないというエリに、それこそそんなことないだろう?と言いたくなるくらい、大変なことだった。

『すみません、こんなことで電話してしまって。疲れているのに』
「何で謝る。俺もエリの声が聞きたかった」
『課長』
「こんな時くらい、名前で呼んでくれてもいいだろう?」
『一士』

東郷は目を瞑るとエリが側にいるわけではないが、まるですぐ目の前にいるかのような錯覚を覚える。

「俺こそ、ごめんな。毎晩食事を作ってもらって」
『いえ、いいんです。それより、体は大丈夫ですか?無理して、またあんなことになったら』
「湯川さんにも言われたけど、エリのおかげで食事もきちんと取っているし、心配しなくても大丈夫だよ」
『湯川さんに?』

杵と楽しそうに話していたというだけであんなに不機嫌になった東郷が信じられなかったが、その後に祥子と楽しそうに話している彼を見て同じ気持ちになった。
そしてまた、祥子の名前を聞いてモヤモヤとした気持ちになってくる。

「そうなんだよ。ちょっと前に喧嘩した時、会社でエリが“ごめんなさい”って俺にメールくれただろう?目の前にいたから湯川さんそれ見てて。まぁ、相手が誰だかまではわからなかったみたいだけど、後で聞かれたんだ。付き合っている人がいるのか」
『え?』

―――湯川さんに?
で、課長は何と言ったのだろうか?まさか、私の名前を出したんじゃぁ…。

「エリとのことは知られてもいいと思ってたんだけど、彼女の前ではそれが言えなかった。何でだろう?いざとなると、やっぱり恥ずかしいものなのかな」

ホッとした反面、祥子の前でこそエリと付き合っているのだとはっきり言って欲しかったという気もしないでもない。
ゲンキンな話だけれど…。

『湯川さんとは、仕事の話以外しないで下さい』

エリの声が、少しだけ低くなった。

「え、エリ?それって…」
『嫌なんです。湯川さん一士って名前で呼ぶし、私の知らない一士のこといっぱい知ってるしっ』

東郷は大学時代からの知り合いだと言っていたが、沙希の言うように本当は付き合っていたのかもしれない…。

「エリ。もしかして、ヤキモチ?」
『そうですっ。悪いですか?ヤキモチ妬いちゃっ』

逆切れ?と思ったが、口をついて出てしまうのだからこればかりはしょうがない。
しかし、東郷にしてみればこんな彼女の言い方が嬉しい以外の何者でもないわけで…。

「心配しなくても、俺が好きなのはエリだけだよ」
『前に付き合ってたって、言うのは?』
「そんなこと誰が言ったんだ?俺と彼女は、大学時代からの知り合いだって前に話したよな?」
『でも…』

東郷の声がとっても優しくて、わけもなく涙が出そうになる。

「彼女とは何もない。同じ大学から同じ会社に入っただけ、それだけだ。本当の俺を知っているのは、エリだけなんだよ」
『一士』
「そんな、悲しそうな声を出すなよ。抱きしめてあげだいけど、そういうわけにもいかないんだから」
『はい』

エリは、振り絞るように明るい返事を返す。

「さっきも言ったけど、俺が好きで愛してるのはエリだけなんだから」
『ごめんなさい。変なこと言って』
「ううん。あのさ明日、俺が帰るまで待っていてくれる?」

多分、明日も東郷の帰りはかなり遅くなるだろう。
それでも待っていてくれというのは…。

『はい、わかりました』

明日こそは、東郷に触れ隣で眠ることができるに違いない。
そう思ったら嬉しくて…どんどんと大きくなっていく彼への想いに、エリ自身まだ気付いていなかった。


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