―――なんなのかしら?このモヤモヤは…。
このところエリは、自分でも原因がわからないモヤモヤとした気持ちに悩まされていた。
「どうしたの?元気ないわねぇ。また、課長と喧嘩したの?」
浮かない顔のエリにそっと話し掛けてきた沙希。
この前、東郷と喧嘩というかちょっとあったからまたそう思ったのかもしれないが、今回は少し違う。
「ううん。あれは、私が謝ってすぐ仲直りしたから」
「じゃあ、どうしたの?」
「うん…それが、なんだかよくわからなくて」
エリには、このモヤモヤがなんでなのかわからない。
ただ…。
「その顔は、恋に悩む乙女って感じね。このあたしが、じっくり聞いて相談にのってあげるわよ」
「あんまり、あてにはならないかも」
「失礼ねぇ」
沙希はわざと膨れっ面をしているが、本当は自分のことを心配しているのを知っているだけにエリは心が痛む。
「ところで、今夜課長のところに行く予定は?」
「今日は、同期で飲み会があるらしいから行かないつもり」
「そう。だったら、パーッとうちらも飲みに行く?」
「行く行くぅ」
ゲンキンねぇと沙希は思ったけれど、こんなことでエリが元気になるのならお安い御用。
東郷も飲み会があるから定時で帰るという話、こんなチャンスは滅多にないわけで…上司がいないのを狙って帰らない手はない。
だからなのか、なんだかみんなソワソワしているように見えるのは、気のせい?
エリも例に漏れず、あまり仕事には身が入らなかった。
+++
エリと沙希がやって来たのは、会社近くの典型的な居酒屋。
飲むのには、こういう店の方が都合がいい。
二人はビールの生ジョッキを手にして、乾杯する。
「あ〜美味しい」
「ほんと」
仕事帰りの一杯は、格別だ。
モヤモヤした気持ちも、この時だけはどこかに行ってしまったよう。
「元気のなさは、なんなわけ?わからないとか、言ってたけど」
「うん、わからないのはわからないんだけど…」
ただ…祥子が東郷に話掛けると、仕事の話だとわかっていても、なんとなくこのモヤモヤした気持ちが湧いてくる。
東郷は、『俺が好きで愛してるのはエリだけなんだから』とはっきり言ってくれたのに…。
「けど?」
「湯川さん」
「湯川さんが、どうかした?」
祥子が、どうかしたのだろうか?
あ…。
「はは〜ん、もしかして気になるの?」
黙って頷くエリに、「そう」と妙に納得した様子の沙希。
要するに、これは東郷と同じだということ。
―――課長のこと、とやかく言ってる場合じゃないじゃないねぇ。
でも、エリもそんなふうに思うってことは一歩前進じゃない。
「気になるっていうか…」
「なるんでしょ?」
「うん…」
「そっかぁ、エリもねぇ。課長のこと、好き好きなんじゃないの」
「そんなこと…」
沙希の言う通り、エリはいつの間にか東郷のことでいっぱいになっている自分に気付いた。
―――私、独占欲がこんなにも強かったなんて…。
これじゃぁ、杵君と楽しそうに話してるって怒ってた一士のこと、言えないわよね。
「まぁね、同じ職場だとどうしても気になるわよ。それだけ、好きだってことなんだから。大丈夫よ、課長にはエリしか見えてないもの。私、見たのよね」
「え、何を?」
一体、沙希は何を見たのだろう?
「課長が、携帯をじっと見つめてるの」
「携帯?」
「そう。あんまり真剣に見つめてるから何かなって思って、後ろからこっそり覗いてみたのよ。だって、課長ったら私が後ろにいること、全然気付いてなかったんだもの」
「それで?」
「何を見ていたと思う?」
「何よ。もったいぶらないで、教えなさいよ」
東郷が何で携帯をじっとみつめていたのか、沙希はもったいぶってなかなか教えてくれようとしない。
「エリよ」
「はぁ?」
「待ち受け画面が、エリの笑った顔だったの」
「うそ…いつ、そんなの撮ったのよ」
「知らないわよ、そんなこと。今度、課長に聞いてみたら?」
「聞けないわよ。俺の携帯、黙って見たのかって怒るもん」
一緒にいる時に電話が入ったり、メールが入ったりするとものすごく気になるのだが、そこはエリの性格からして、つい大人を装ってしまう。
だから、携帯の待ち受け画面のことなど聞こうものなら、きっと東郷のことだから変なところを突っ込んでくるに違いない。
「怒るんじゃなくて、喜ぶの間違いじゃない?気にしててくれたんだって。いくら本物が目の前にいても、じっと見つめるわけにはいかないものね。課長、健気〜」
どうして、こんなに沙希は鋭いのだろう?
でも、東郷がそんなことを…やはり、エリには嬉しいという気持ちの方が強いかもしれない。
「だからエリも、気にするなっていうのは無理かもしれないけど、課長を信じてあげないとね」
「うん」
―――今は、一士の想いを信じるしかない。
やっと吹っ切れたと思った矢先、店内に賑やかな声が響き渡る。
「あれ?東郷課長。それに湯川さんも」
「え?」
沙希の視線の先には、東郷に寄り添うように祥子がいた。
その後ろには部署は違うが、エリも見たことがある面々。
東郷からは場所までは聞いていなかったが、どうやら同期の飲み会というのはこの店で行われるようだ。
「課長達、このお店で同期と集まるんだったの?」
「私も聞いてなかったから」
「それにしても何よ、湯川さん。彼女じゃないんだから、離れなさいよっていうのよね」
エリと沙希がこの店にいることに気付いていない祥子は、東郷の腕を掴んでまるで彼女気取り。
周りの仲間も、それを見てみぬフリといったところだろう。
同期といえば同級生張りのノリがあるから仲がいいのは当然だと思うが、あれはどうなのか…。
せっかく消えた不安も、また振り出しに戻ってしまう。
人数は20名前後だったが、祥子はしっかり東郷の隣の席に座る。
会社ではデキル女の彼女も男性陣の前では気が利く女性のようで、みんなの飲み物のオーダーを聞いたりしている。
「湯川さんって、男の人の前だと随分違う感じ」
それはエリも思ったことで、意外な一面を見た気がした。
しかし、これでは気になってオチオチ飲んでもいられない
「なんだか、飲みずらいかも」
「そうね。どこか他のお店に行く?でも、ちょっとこのまま見ていたい気もしない?」
エリもそう思うが、彼氏の動向を観察しながら飲むというのもどうなのか…。
まぁ、食べ物も頼んでいたし、暫くこの店にいることにしたのだが…。
だいぶハイペースで飲んでいた祥子が、自然に東郷の肩にもたれ掛る。
そんな祥子の肩に腕を添えて心配そうに見つめている東郷―――。
エリは、これ以上見ていることができなかった。
「ごめん、沙希。私、帰る」
「えっ、ちょっと待ってよエリ。私も帰るからっ」
先に席を立ったエリの後を追うようにして沙希も席を立ったのだが、声を出して名前を呼んだことで気付いた東郷と目が合った。
その表情はとても驚いたものだったけれど、沙希は軽く会釈すると素早く清算を済ませて店を出て行ってしまった。
『仕方がないとはいえ、この状況を見られたということは…』
東郷は祥子を隣の人に頼んで急いで店を出たが、そこには沙希もエリの姿ももうなかった。
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